40年前、友人の結婚式に
集積と、あわせて挨拶を頼まれて
はるばる、、、北海道に飛んできた。
高校時代、
科学部だった同級生の男子学生が
席が一つ前だったこともあり
休み時間に
何かと将来の夢を話し合ったり
進路を話し合ったりしていた、
荒川に面した女子の多い高校に
草薙さんのような
優しそうな男子学生が半数弱在籍していた。
「府立第七高女」
つまり、小松川高校であった。
スカイツリーの界隈の
匠の腕の町工場の子女が多い高校でした。
その中には、市川や船橋から
越境入学してくる「社長さんのお嬢さん」も
ちらほらと目立っていた。
貧しい家庭の子女も
受験クラスで
大学を目指していた。
大半は学芸大学、や、教育大学、
日本女子大、東京女子大、
御茶ノ水女子大、
津田塾、、、や、国際基督教大学など
男子は、東京工大、北大、千葉大、教育大などに
分散して進学していた。
文系の社会派が大半で、
青山大学と早稲田に合格視して
青山大学の英文科に進学した同級生も居た。
2クラスぐらいのほかの7クラスぐらいは
就職を目指していた。
3年生で婚約していた超美人も居た、
ミス東京がこの頃、石黒さんという有名人らと
ラジオで「知恵、、、何とか?」という
20の扉のような放送で、
私たち後輩を喜ばせてくれていた。
やがて、、、
両国高校、隅田川航行、小松川高校が
学校群として合体した頃から
「小松川高校の女生徒」は
個性的な面白いビジョンの面々から
常識的な普通の優等生に変わっていったと
同窓生から聞いている。
市谷に育った父と音楽家だった母の
山の手の人たちとの習慣は
かなり異なっていた。
自立した、キャリアウーマンの卵のような
はきはきと、自分の生き方をしっかり持っている人が多かった。
Yチャンは親友でしたが
「これからはPC、の時代よ!、プログラマーになるわ!」
女性でも、工大に進み
時代に先駆けて、世界を巡る立派な専門家として、
あちこちから、活躍の絵葉書をいただいた。
話は戻りますが、
私は、かなり同級生と比べると
人生観も、心構えも甘かったと反省している。
結婚観も成り行きで
なんとなく、、、北海道に住んで40年になる。
結婚式に出てくれた同級生は
曰く博士、プログラマー、大学の助教授、大学病院の薬局長、、、
医学部の助教授、、、と
皆すごく頑張った、
私は、、、子供を2人産んで育てただけで、
後は、、、次々と生まれる孫3人にかかわっているうちに
気がついたら、、、目の前に70歳が見える。
薬剤師、衛星検査技師、高校教員免許、中学教員免許、
衛星管理者、応急手当普及員、漢方、英会話など
生きるうえで有利な使えそうな免許は
武器を揃えるごとく、とりあえず用意した。
しかし、、、子育ては、条件が厳しすぎた。
共働きをしながら頑張っても、
友人も、知人も、親戚も
はるか、、、東京に居る。
駆け出しの外科医の夫は
3ヶ月とか半年で、次から次へと転勤?バイト?
一間と3畳の断熱材の入っていない木賃アパートは
冬は2階までオイルをドラム缶で運ぶ作業がある。
留萌も、余市も洗濯機のない育児。
恋愛でも、好きでも、なんでもなかった縁が取り持つ天の命令?
55歳で夭逝した外科医の父が
あまりにも早い別れのため
私の中で、父の死を受け入れられなかった時に
北大を卒業し、実家が東京で、3年後には
東京に帰る予定だと
私の母に話した外科医が居た。
母は「お父さんが、若くなって帰ってきてくれるようだ!」と
喜んでいた。
私は北大に進学した同級生のことを思った。
高校時代から高分子化学に燃えて、
早稲田も、横浜も合格したのに
北大に進んだ、一個前の席に座っていた同級生!。
北大の絵葉書や、牛の草を食んでる牧場の写真を送ってくれたっけ!
彼は、どうしているかな?
そんなことを考えながら、
母のすすめるままに
3年間の北海道暮らしは宝物の思い出になるわよ!、、、と。
人生は甘くない!
北大の医学部を出たとき、すぐに東京のどこかの医局に入らないと
3年も北大に所属していると
北海道以外は勤められない気分になってしまった夫に
結局は「私の人生は振り回されてしまった、」
北大を卒業した夫は
立派な「北海道人」として受け入れられている。
結婚式も100回以上招待されている。
仲間の会合も
12月は毎晩続く。
私は、子育てしながら
HBCの母校卒業のディレクターと
{ママと赤ちゃん」の番組を放送したり
子供が進学する頃は「薬剤師」。
通算5年間正職員としてはたらいた。
私立大学に進んだ2人の息子の
授業料と、舅と姑の老後の応援になればと、
単なる、、、お金稼ぎの5年間でした。
今、、、一番下の孫が小学校に進学し
待機する必要も無くなり
やっと「夢探しの時間」を見つけました。
札幌の住居のある近くの
「爺婆学園」に通い始めました。
いったい、、、どんな夢に出会えるのか?
結婚生活では雪掻きと子育てと、夫の舞台裏の便利やで
人生が過ぎてゆきましたが、
この年齢になって、小松川高校時代に戻った気持ちで
素の自分を探して、
本当は、どんな夢があったのか?
手探りで思い出せたら、
再び、若さがもどってくるのでしょうか?
子育て、、、
子育ては「与え続ける時間と愛と忍耐と、、、
母性と愛」があってこそでした。
自分のために期待しても、放たれた矢のように
子供たちは未来に飛んでゆきます。
一人ぼっちで取り残されないように、
いつも、、、しっかり大地を踏みしめて無欲で生きると
子供たちや、孫からいただいた「良い時間」が
第一の人生の宝物だと、思えますよ。
後は、他人の土地で暮らしてしまった私には、
これから、爺婆学園で、地元を知って、自分の土地にしてゆくつもりです。
子育て支援!
それは、、、お金も大切ですが、、、
度重なる「転勤」
大学間の刺青の入ってるようなエリア感覚や
医学部の学閥、
根の深い島国の排他的習慣
このシステムが、ネット時代に於いて
境界が無くなれば、
子育てには「父親の育児感」が参加反映され
男らしい日本男児が育ち、
女性の尊敬を集められる大人となり
子供を産み育てる女性が
幸せになれるのではないかしらね?