枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

暖かな日に・・・

2010年12月02日 | Weblog
 日中は、うららかで暖かなお天気で、ちょっと動けば汗が出る。散歩に頃合いで、近くのお寺に出かける。銀杏の色づいた葉が、ハラハラと風に舞って落ちている。金の雨が降って来て、手の中に下り、コロコロと転がっているよう。歩いての往復でしたが、汗が出てきました。吹いて来る風も暖かで、本当に小春日和でした。12月の季節は、案外と寒いものですが、蝶も飛んでいる長閑な午後は、心地好い一時です。

 夕方になって、暖房を点けたら、外は雨になっていた。置き傘を差して帰りながら、静かに降ってくる雨に、哀しみが滴になっているように感じた。自分の生きてきた歳だけ、幾筋にもなって下りているようだった。雨など、今の今まで、単に宇宙から降っているだけと思っていたのに、そんな風に見上げている私が、何だか超えて行くべき路がわかったようだった。

 リエさんの、母に贈ってくれた華が、未だに咲いている。朝に夕に、声をかけ、お茶を淹れ、ご飯を供える。遺影はないけれど、私の心の中にある母と向き合う。図書館で借りた本に、落合惠子さんの『愛』のタイトルがある。想いは其処にいくんだね。これはリエさんの編集でしょう?とても佳い本ですね。今にして、私が借りるようになっていたのですね。ありがとう♥

 人生の中には、殺したい思いの人もいるでしょう。憎しみの塊になってしまう想いもあるでしょう。でも、殺せば罪に問われます。どんな精神状態にしても、死んでしまえば復習はできませんよ。自分の手を汚してはいけません。でもそう言いつつ、孫が殺されたら、老い先短い私が、敵を取るかもしれない。それほどに可愛い、愛しい者です。そういった想いの人が、とてもたくさん生かされているのですね。

 人間は、一人では生きて行けれません。自給自足にしろ、買ってくれる相手が居なくては、品物を交換できません。多ければいろんな品物が手に入ります。また、同じ物でなく違った相手がいれば、暮らしも豊かになります。知識も豊富になる。するとそこには諍いも生じます。人間の数が増えれば、当然の結果です。ややこしいことも出てきます。それでも生きていく知恵として、拘っていかなければ営みができません。

 時計を巻き戻して、自分の思う時代に往けたら、そこで暮らせていけるなら、幸せなのでしょうか?自分の心中で、別れを告げ、今を大切に生きるのもまた、哀しみが深くなって往くのだけれど、包み込んでいくことも大事なんだ。と思うのです。全てが楽しい思いではない。でもそれがわかったのも感謝です。母への想いは、深く静かで透き通っているよう。

 枇杷葉の葉が、濃く碧い色です。空の青さに溶け込んで、天に吸い込まれていきそうです。毎年、自然の恵みを分けてもらいながら、感謝の気持ちが少ない?のか、実付きがイマイチなんです。枇杷葉にしてみれば、どんな思いでいるかしら。そんなことを考えつつ、手入れをしている。枇杷葉の薬効に驚かされる。新発見があるのです。

 或る日の銀河。窓から差し込む陽射しに、居心地の良い場所を探している。カーテンを開けてやると喉を鳴らす。丸くなって居眠りをする。枇杷葉茶で、毛艶はいいし、肥満からも解消された。
コメント (2)
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