枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

下弦・小潮、卯月

2021年06月02日 | Weblog
 今朝は、下り坂になった模様で布団を干したのを急遽仕舞う。昨夕には庭木への水遣りに追われ、睡眠不足も何処へやら室内に入ってぐったり。ドクダミも花の咲いたのを抜く。今年は、何か次第に少なくなって来ているように感じるが、当座は案じることはない。昨夜になって、足湯に行って好いかとの連絡が入り了承し巻き寿しを作ることに。

 青紫蘇が大量にあるのと、レタスも買ったのでシーチキンで巻こう。今朝はご飯を仕掛けたり、その後の酢飯にしたりと遣っていたがふとブログ更新をしている。これから卵焼きを作り、材料を並べて作るのだが酢飯が冷めねば。すばるは気温の好みの場所で眠っていて、敷物の上であったり毛布だったりする。それとなく涼しい所に移動している。

 薔薇の挿し芽で増やそうと切って水揚げしたのを、鹿沼土に挿して置いた。雨の降る前でもあるのでいいかな?これもタイミングと天気にも因るか?と思いつつ、成功したのもあるが失敗も多い。庭は、枇杷葉で一杯なので薔薇が増え過ぎてもなのだが、愉しめることで満足している。隣近所のこともあるので、手入れだけは怠らずでいたいもの。

 続きは、足湯が終了後に。足湯に来た娘さんと巻き寿しを戴き、その後は足湯をしたり腫れている箇所への角質を擦る。入浴とは別なので、枇杷葉エキスで手当をすると驚く程角質が剥がれる。丁寧に何度も繰り返していたら、夜勤明けが幸いして眠り出す。気持ちも好いのかもとそのままにして、洗濯物を取り込み畳み再度珈琲を挽いて淹れる。

 PM4:30を過ぎたので声を掛け起こす。お八つを食べ乍ら蛍の話しになり、そろそろかな?と答えるが今夕見てみよう。家のフェンス下は小川なので、数匹が山瀬水の流れにカワニナを食んで育っているらしい。古里には歩いていて顔にぶつかる数だったが、今はその面影も消えた。メダカや鮠、泥鰌が田螺が昆虫や爬虫類の居た景色は皆無だな。

 子どもの頃には、そういった普通の風景が厭であったのに歳を重ねると妙に懐かしい。夕方の薄闇に蝙蝠が飛び、麦刈りが始まり山桜桃梅や茱萸が熟れ手当たり次第に頬張っていた。苗代苺も、赤と黄色があって兄妹喧嘩となっていた。そうして笹百合が咲きだすのが待ち遠しくあり、あの咽返る香りに酔っていた頃が走馬灯の如く目の前を流れていく。

 些細なことだけを思っていればよかったその時代、成長につれて杞憂も出てくれば生きるのはしんどくなる。自然の中で暮らせることへの祈りと感謝にも、今更ながらの想いもあるが地球に棲む生き物だと忘れないことにも。旧暦で暮らせることの有難さは、季節を堪能できることに加え身体がとても楽なこと。今までのあくせくが嘘のように感じられる。
コメント (6)
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