枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

皐月、夏至・中潮

2021年06月21日 | Weblog
 二十四節気 夏至 太陽が、黄道の北端を通る日なので、北半球では、一年中で最も昼の長い日で、暑気も厳しくなる。毎年六月二十一日頃である。枇杷の収穫をすばるに頼むが、パソコンの椅子の上から足で蹴りを入れられる。野鳥が袋を破っているのは、天辺の為陽当たり最高で軸だけが残っていた。

 東のフェンス側のは、その破れから滴る液を嗅ぎつけ蟻が巣に運んでいたようだ。何にせよ、熟れているのを採らねばと孤軍奮闘である。今朝は、昨日の分をリエさんに詰めて送り、Aさんの手当に持って行く。空箱を貰い受け明日の手配をひたすらしているが、樹に生っているのがようやく半分になる。

 ブログの更新を済ませたらと暫しの休息であるが、今年程沢山生るとは計算外でリエさんの樹だけでも例年の三倍あったの。他人に押し付ければ迷惑となるから誰にでもは出来ないが、ご飯代わりにせっせと口にしているばかり。これ以上は発芽させたらえらいことになるので、焼酎に漬けこんでいる。

 柿や枇杷は、生り年と裏年が交互にあるのと土の状態で変化が起きる。基本、糠と塩だけの寒中の施肥を行うが農薬は酢を薄めた物しか掛けない。木村方式で遣ってみてここまでの効果とは、驚きの威力であるが林檎は失敗。これも丁寧にし過ぎた嫌いもあるが、声掛けはとても大切なことだと納得した。

 自然はこちらがすることへの裏切りはなく、祈れば通じ感謝すれば応えてくれる。多くを望まずにいることも大切な気がする。暑さ・寒さに太陽や月への、加えて天気の様に心を向ければ援けてくれるから有難い。地震や津波も自然の摂理であり、コロナにも人間への啓告として出現したのかもしれない。

 夏の暑さを厭わず、冬の寒さを耐えていれば日月が過ぎる。人間や動物への身体の不調には、機械に頼り過ぎることの戒めかもしれない。便利で快適な生活であるからこそ、偶に不便であったりすれば解決法がないのだろう。不具合が突発的に起きても、解決策を多々用意しておけば好いことなのにねぇ。

 オリンピックは、何が何でも遣るそうだ。庶民が生活出来ないまでの状況であろうが、コロナの終息も不確かなのを無視しても。物価は上昇していくわ、分らないように光熱費も燃料代も上げて逼迫させている。人情の欠片も無い。他人を見れば殺人者で、高齢者や身体に不自由な方への配慮に乏しい施策。

 リエさんから荷物が届いた連絡が来たが、明日には残りの便が行くわよと伝える。それでも三分の一は我が家で食べてのことで未だ送る予定を話しておく。途端に物凄い声が聴こえたが、食べきれないから送るよ。会社で好いというから手配の予定であるが、明日に持ち越そう。今日は疲れてしまったんだ。
コメント (4)
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