枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

薔薇が咲いて・・・

2022年08月11日 | Weblog
 この時期には、今まで咲いたことがなかった。真紅の薔薇の一輪が開花して、まるで其処だけを照らす光のように見える。忘れないで、此処に居るのよと告げる。赤い薔薇は花ことばにあるのではなく、ひたむきさが似合う。群れて咲けば圧倒されるが、庭の片隅に気づかぬ程。初夏の勢いには遠いものの、夜空の星雲の如きである。

 今朝は、ブログのカウント数字にエンジェルナンバー発見する。対向車に888と7777も確認して、進路も視える。それにしても弥勒の遭遇が多いのに、少なからず驚きがある。雲の彩や形・状況に地震を思ったら、北の方角にあり。青森での野晒しになっている核の廃棄物に、不安が尽きなく汚染水が海へと流れていくのは停まらず。

 紫陽花の挿し芽と白薔薇が、着いたようだ。折り鶴ランは幾らでもランナーを伸ばし、ベゴニアも増える。観葉植物も何故か勢い育つので、冬になる前に置き場所を。すばるが悪戯しない空間と云うのが難しく、悩みの種でもある。まあ時間はたっぷりとあるのだから、余裕で考えていこう。生き物との同居に、ため息の出ることも。

 朝顔は零れ種なので、今やっとフェンスに広がっている。百日紅との競演に、彩の艶やかさを想い佇む。自然交配でマゼンダが出現して、形は小さくも艶やか。フェンスに絡んで咲き、その下には露草が群れ対照的な景色を見せる。1ヶ月も経たずで、其処には白い曼殊沙華が出て来ると楽しみにしている。ジュメさんからの贈り物。

 ここ数日、目覚めているのに眠ったようであり覚醒していても眼が開かない。其処に視える光景に愕然として、地球の破壊を停めなければと想いは翔けるばかりだ。祈りは通じず、想いも届かずでこの世と別れねばならない。わたくしの大切な人々が、援けられるなら何時でも差し出そうと祈るばかりで。百日紅がやさしく匂ってる。

 昼には激しい雨音と雷神がクシャミし、眠っていた児を起こす。何に驚いたものか、焔のように啼くばかりで手がつけられない。精霊の守り人もこまねく余りに黙して語らず、足元の鳥が飛び立つ。泣かないで、いい児ね子守唄を奏でましょう。秋風が、遠くより馳せてきて涼やかなジルバを踊る。ああ・薔薇が、ばらが泣いている。
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