枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

心根のやさしさ・・・

2011年08月15日 | Weblog

 やさしい。という意味には、単なる意思のなさと、底に秘める強さに反する思いとがある。自分に厳しく出来る人は、忍耐力も大きく、相手を包み込むような心根がある。でも、だからといって、そういう人が、いつも同じでなければならないとは限らない。堪えに堪えていると、何かとてつもなく虚しくなる。人間である以上、堪忍袋の緒が切れることもあるもの。

 生きている以上は、死んでいかなければならない。だが、いざとなると死への恐怖で、恐ろしくなってくる。本心は死にたくない。加えて、死ぬなら家で死にたい。或いは、家族の傍で逝きたい。息子が、娘は、何故迎えに来ないのか。そういった心境の時に、己のしてきた如何なることも思うものではない。帰りたい。家に。還りたい。あの頃に。

 そんな強い思いに摑まると、抗い難い力に、胸は千路に乱れる。だが、助けられはしない。助けてはならぬのだ。思わず愛しくて抱きしめる。母なるかな。母にあって母にあらず。盂蘭盆会の今晩は、送り火を焚いて、ご先祖様にあの世に還っていただくのだ。どうぞ迷わずに、来年、おいでなさいませ。

 宮部みゆき氏の作品には、どんな小さなことでも、それを発端にして事件は起きていく。普通の人が、何気ない日常からちょっとばかし切り離される。殺人が起きるのは、大胆なことでなくて、ちょっとした物の弾み。何気ない聞き落としそうなことから始まる。まさかそんな・・・。どうしてなの?というような事柄からだ。

 心の中で、殺意が芽生えるのは、心の隙間に、言葉の欠片が落ちた時。そうして、それは加速しながら止まらず、結果は大きく広がって爆発する。やがてそれは、人一人殺せるくらいのパワーに膨らんでいき、体を呑みこんでいく。気づけば独り惑う。惑乱するなり。炎が揺れる。小さく揺れながら渦を巻く。

 枇杷の実を食べ、種を植えた。その種が芽を出し、育って大きくなり、実をつけた。その実の種を植えた。種から芽が出た。


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