枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

平成から令和に

2019年04月30日 | Weblog

 天皇陛下の退位。三十年と言うものの、月日の長さには歴史も伴う。実質的な戦争はなかったが、憲法の改正に意気込みを見せたり、政策の失笑をかう行いが多かった。天皇陛下が、なさろうとされることへの、相反する内容に唖然とした。嘆かわしいことに尽きる。アメリカに擦り寄るのは止めよ。

 今朝は、雨は止んだが、肌寒い日になってしまった。風邪も抜けない。青空市に出向き、牛蒡を買って来てきんぴらにする。本来は、泥を洗っての摺り下ろしがいい。風邪も初期の段階に良いのだが、余りにも治りが悪いのと、しんどくて堪らないのです。年齢の加減にも限度があるらしく、実行に。

 午前中に、残りの枇杷葉への袋掛けをする予定だったが、雨に止めた。草は土が軟らかいので抜ける。スズランが甘い香りをさせてきた。毛虫がうれしそうに枇杷葉の新芽を齧っている。無農薬なので、さぞや美味しいのだろう。この時期だけなので、半分は諦めて齧らせている。通草が蔓を伸ばし。

 百日紅の新芽に毛虫がいた。雨が降っている時には、葉裏に隠れているが、天気になると這い出す。毎日、これとの格闘で明け暮れる。農薬は撒きたくない。根気にも体力的にも支障があるが仕方ない。枇杷葉の袋掛けは次回の休みに。咽喉が痛いのと、身体がだるくて先延ばしにばかりしている。

 明日の勤務はどうなるのだろう。仕事を辞めてしまえば、体力は回復するかも知れないが、金銭的には苦しい。まあ贅沢は控えて、清貧の暮しでいけば、とも思う。さて、生きていくのも難儀なことの多いことだろうか。かといって、命を絶つのもできない弱さで、暗澹たる想いにばかり捉われる。

 物語には、そこに作者の想いが隠されており、活字で書かれていること以上に触れられる。子どもの頃に読んでいても、大人になって読み返してみれば、180°違うことにも遭遇する。中学生時代には多感な思いで読んだが、今はそこに渦巻く陰謀への理解も視える。小説は、何時の時代にも愉しい。

 月には、そこに棲むうさぎの都があるのだろうか。嫦娥姫の御側に仕えて、静かにしとやかに。


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