枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

機嫌が悪いなぁ・・・

2010年06月20日 | Weblog
 何が気にいらないのか、すこぶる機嫌が悪い。いや、パソコンです。とにかく接続できない。できたか?と、思えばオフになったまま。うそだろ??原因不明です。復旧に手間取ってしまった。う~ん。原因があると言えばあるし、ないと言うならない。ええ、まあ。居るんですよねぇ。何で我が家でないと駄目なんだろうか?まあ、諸般の事情があるのでしょうが、ちょっとね寝られないよ。うとうと、とろとろするんだけれども、熟睡できない。誰なんだろうな。

 リエさんの意識が混沌として入ってくるよ。そのまま、こっちに送ってくれればいいんだけれど。何とかこのまま持ち堪えてほしい想いです。すんごく疲れているんだね。体が悲鳴を上げているのがわかる。体のあちこちで、火花が散っている。仕事も、プライベートも同じようにはできないよ。私なんて、手抜きばっかりだよ。それでも、田舎だからいいのでしょうね。枇杷葉の力を借りましょう。

 人間の精神状態がピークに達したら、ショートしちゃうんだよな。私の場合は、幽体離脱しますが、そういうことに慣れていない普通の人には、そういった体験は、極度に体力を消耗させてしまうのです。無茶苦茶疲れます。夢なのか現実なのか、区別がつかない。朦朧とした状態では、体のバランスが保てないのです。正常な精神に繋ごうとするのに、心が拒絶反応を示すのです。

 先月上京した時に、リエさんの手に触れたからですが、以来とても身近に感じます。私の体のはずなのに、何となく違うんだ。そういう時には、敢えてじっと耳を澄ませる。そうして精神を集中させていくと、リエさんの傍に居るのがわかる。でも、こういうのはどんなに説明しようとしても、理解し難いと思うよ。非科学的なことって、案外まともなんだけど、疑心暗鬼になちゃうから、やっぱり言わないほうがいいね。

 昨日、石灰と塩をたっぷりと入れた。今日は、早朝から草刈があった。曇り空ではあったが、何とか終了した。午後からは仕事だった。うんたらかんたらして、出かけようとした途端に、土砂降りの雨になる。ありがたや!花木の緑も鮮やかになっていた。帰宅して、枇杷の葉にかたつむりがいるのを発見。鉈豆がカナブンにかじられて、葉が網目になっている。薔薇の挿し木がついた。

 枇杷葉の実が、袋をかけたまま、重そうに滴を垂らしている。そっと触ってみると、硬い実が手にあたった。思わず顔がほころぶ。リエさんからメールが届いた。ちょっと迷ったが電話する。元気そう。でも、頭の中は、自分以外のことだらけ。代わりが居ないというのも困るね。夏には、桃を贈るからね。皆さんで食べてもらったらうれしいです。その前に、我が家の枇杷を送ります。

 先月の上京の時に、ラッピングして持って行こうとした芍薬。淡い桜色と、緋色と白があったのよ。今年の芍薬の花の色は、鮮やかなはっきりした色合いでした。

 
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相性は、旧暦にあり。

2010年06月19日 | Weblog
 暦の中には、自分の干支が書かれていると思うが、もうちょっと気をつけてみてもらいたいのが、そのルーツです。きのえ・きのと・ひのえ・つちのえ等ありますが、本来、木と土は合います。でも火には合いません。また金と火は合いますが、水と火は合いません。従って、職場の人事配置も、こういったことを少しでも取り入れられば、チームワークが上手くいったり、諍いが耐えなかったりとの結果になるのです。但し、人間としての、考えが根本になければ、どのような人物とも合わないのは、日を見るより明らかですが。

 自分を印象つけるのには、相手の長所を見つけて、認識していくことですが、これらに全く当てはまらない方もいます。仕事上のことを、プライベートで喋る。最悪、他人の悪口しか言わない。然も、影でこそこそ言う。勤務時間での公私をきちんと分けていれば、そういったことにはならないように思うが、相手のことを何等考えないで、自分が楽をすることばかりしようとするから、そこに行き違いが生じて、声を荒げたり、雑な行動になっていく。
人の振り見て、と言うが、充分に気をつけて行動したいものだと思いを強くした。

 高齢者の認識できない状態には、その方の思いが強い部分に強調されて、言えば幼い頃に還っているのだが、子どもではありません。こちらの言うことを聞かそうとしても、認識できていないのですから、知らん顔をするか不信になるのです。自分の都合ではなくて、その方の心に添わなければこちらには振り向いてくれません。その方の生きてこられた今日までと、正面から向き合っていかないと、心は視えません。こちらの常識や都合勝手では、決して居心地のよい場所とは言えないのです。

 近所に、虫を嫌う人が居ますが、先ず挨拶はしません。ゴミは自分の家の中はきれいにしますが、我が家の方に掃き出します。塵取りは使いません。他所の敷地内でも、自分の都合で駐車します。こちらが出られなくて困っていると、言えば退ける。とでかい態度。我が家の鉢をキャッチボールで壊しても、謝らない子どもに、弁償しない大人。いくら気のよい私でも、勘違いの甚だしさに、一昨年堪忍袋の尾が切れました。

 枇杷の実に袋をかけているのが、育っているのだろう。枝が撓ってきている。実付きを心配したが、3個くらいのもあって、それが大きくなっているので、重そうです。来週には収穫できそうです。うふふ、たのしみだなぁ。きっと美味しいよ。それに無農薬だしね。ネットでの注文ではたくさんだと、送料が無料になるが、味が極端に落ちる。しかたのないことだが、熟す前に収穫するからだ。

 果物の鮮度が落ちたら、商品価値はありません。枇杷などは本来、木から捥いで食べるものですが、高級化して、何というのか・・・。旬の味が消えているのですね。我が家でたくさんの枇杷の実が生りだしたら、あちこちに送ってあげたいのですが。木村さんのりんごではないが、約束はできないのです。食べてもらいたい人に贈るしかないかな?

 今年の清明の日に撮りました。白枇杷の苗木ですが、南から北東に移して、新芽が出た以外には、さっぱり花がつきません。茂木の赤枇杷は、4年目で結実したのですが。でも南側のだけです。東側のは、1個生ったきりで、花芽はつくものの、結実はしていません。
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瑞々しさ

2010年06月18日 | Weblog
 昨日は、Aさんの家にすっ飛んで行ったので、水をもらうのを忘れていた。今日、仕事が終わったので寄ってみる。運よく体調が思わしくなく、てあてをさせてもらう。しかし夕方である。何時もながら気がつくAさん。焼き飯をご馳走になりました。美味しい!私のてあては、患部にじっと手をあてているだけですから、見た目にはなんという事もない。でも、指先から電気が流れているらしい。

 つまりは、そうやって血液の凍ったものを溶かし、流れをスムーズにし、心臓から全身へと駆け巡らせる。不思議なのは、そのてあてがすまないと、手が離れないのです。30分で済まそうとしても駄目です。自然に手が離れるまで、どんなに時間がかかっても、辛抱強くあてている。略、1時間かな?私の精神を集中してやるのだが、最初は根気が必要で、とても疲れてしまった。最近は、手加減を覚えたが、手抜きはできない。

 枇杷葉茶を飲んでいると、体が瑞々しくなる。艶と張りが出て来て、滑らかな体の張りが保たれる。シミとソバカスが消える。色白になっていく。贅肉がなくなる。何キロかは減るようですね。蓄膿症、水虫など効能であって、1石5丁くらいにはなっています。便利重宝です。それらの作り方は、きっちりと測らなくても、毎日していけば、いつかは現れてくるものです。じんわり効果が出てくるのです。

 梅ジュースを作るのに、今年は頂き物が多かった。Aさんのご実家からももらった。おすそ分けだが、とてもありがたい。買った物もある。果実瓶に6本できた。これで1年は大丈夫であろう。昨年の残りを飲んでいるが、旨いですね。サイダーで割ったり、冷水で割るのだが、私は枇杷茶で割る。暖かくて美味しい。夏風邪の予防に効果がある。クシャミや鼻詰まりが消えた。体のだるさもなくなった。

 枇杷酒を作りませんか?枇杷の種が30粒。果実瓶2ℓ入り。焼酎35℃・18ℓ。枇杷の種をお湯又は、焼酎で丁寧に洗い、果実瓶の中に布巾で拭いて入れます。焼酎を18ℓ入れます。果実瓶の蓋をします。冷暗所で保管してください。約半年から1年で飲料できますが、その色具合から、2年物が香りや喉越しはいい。早めに飲みたい方は、種に傷をつけて漬けましょう。エキスが早く出てきますよ。冬の体は夏に、夏の体は冬に作っておきましょう。

 明日は上弦の月です。この月は何処から昇ってくるか知っていますか?太陽は必ず、東から上がりますが、月の出方の位置は、其々に違っています。宇宙を眺めていたら、きっと気づかれることでしょう。地震を予知するのも、そういった自然の掟に通じていると、納得する部分があります。また個々に持っている運不運にもよりますが、満月の大潮の満潮時には大規模な地震になり、津波は数メートルに達し、逃げ場はありません。

 生死を分けるのはそれからです。冷静に行動した生き物が生き残ります。弱者共存の生活も、人間の知恵と工夫で乗り切らなければ、絶えてしまいます。私には皆目見当もつきませんが、生き延びていくためには、人間の驕りや自慢を捨てなければ、捨てられるでしょう。

 我が家を覆い隠す木香バラ。白色なので清々しい。10年は経っています。
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試食したよ

2010年06月17日 | Weblog
 昨夜、Aさんに電話をかけると、手当てはいらない。と返事があったので、今日はのんびりと過ごしていた。いつも通りのパターンで、布団干し、洗濯、庭木の世話だ。パソコンのスイッチも入れ、写真の編集をするはずが、何故か掃除に転ずる。リエさんとMさんが、今夏に我が家を訪れたら、余りの乱雑に驚くかもしれない。廊下を磨く。最近、休みは殆ど出かけているのだ。いかんなぁ・・・。と、思うのだが、体が動かなかった。

 庭木の世話をし始めると、勢い止まらない。枇杷の袋に触っていたら、ありゃ、中味がない!のがあるよ。慌てて袋を剥してみた。小粒だが熟れている。一個食べてみよう。味はまずまずだった。市販品と同じくらいの甘さです。ここで収穫できなくもないが、やはり来週がいいな。たくさんの数ではないが、味で勝負します。リエさん、待っていてね。我が家の美味しいのを送るからね。

 果物商品価値は、傷みがないのは無論だが、味が不味いのも困る。収穫時に丁寧に取り扱うことも大切。同時に、自然を相手だと、予約はできない。我が家の枇杷の実は、この先どんなにたくさん生っても、送る相手は決められない。あるがままの状態で、収穫した物を送らせてもらうことしかできない。自然の恩恵とはそういうものでしょう。自然のやり方は、実に気紛れである。収穫寸前でも、何があるかわからない。

 午後から、桂文我のチケット予約に出かけ、牛乳を買って帰り、杏仁豆腐を作ろうとしていた。遅い昼食も食べようとしていたら、Aさんからの電話。え?緊急事態発生です。急ぎ駆けつけてみれば、至って元気そう。ほっとしたものの、少しばかりてあてをする。薬が変更になったらしいので、不安に駆られたのか。体を冷やさないで。と苦言を申し上げる。身体の機能が動かないのは、体内の血液が寒さで固まってしまうからです。

 その結果。流れる血液が減り、体内の温度を下げ、細胞の壊疽が起きる。その悪循環の繰り返しをする。身体は温め、汗をしっかりかきましょう。入浴も、半身浴がいいのです。冷たい物ばかりを頂き、体を冷やし続けていると、老化が早く進みます。気をつけましょう。外気温との差が、2℃くらいにして、冷やし過ぎないようにしたいものです。細胞は、一旦死んでしまえば二度と甦りません。後悔先に立たず。

 白梅と紅梅が1本の木に咲く、梅の根元で発芽した。双子です。この苗は、大きくなってきたので、他の鉢に移動しました。30cmくらいになっています。春から夏にかけては、ぐんと大きくなります。
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枇杷の実、色づく。

2010年06月16日 | Weblog
 勤務先に向かう道路脇に枇杷の木がある。民家の塀の側だったり、畑だったりする。まだ黄色だが、疎らに色づいてきている。我が家の枇杷のある場所は、地図では南だが、ちょっと北になり、寒さも厳しい折があった。関東地方や、房総では食べ頃なのかもしれない。自然の枇杷の実は、甘いより甘酸っぱいのが普通で、どちらかと言えば、甘さが強い。ハウス物は、極端に味のばらつきがあり、外れれば大筋不味い。

 枇杷の種を捨てないで!枇杷の種を剥いた皮も、乾かせばお茶で飲めます。簡単にゴミで出すよりは、少しの工夫で活用できるし、生かすことができる。生ゴミを減らすことを、常に考えて行動しましょう。人参や大根、玉葱等は、皮を剥く必要もなければ、捨てるなんてとんでもない!それだけでカレーができるのですよ。野菜をたっぷり入れての味は、驚く美味さがあります。

 リエさんが、ぶっ倒れたらしい。そりゃ、疲労が溜まっているよ。人間の神経が、何も感じなくなったら駄目なんだ。痛いとか、しんどいとかを感じている状態なら、治療もできるんだけど、そういった感覚が消えてしまったら、体が持続できないので、自然と休眠モードに突入する。でも、そこまでするなんて・・・リエさん。無茶は駄目だよ。きっと不眠不休で、いろんなことをしていたんだろうね。花芽茶や種茶はありますか?

 我が家の、枇杷の実は、今月の末に収穫です。来月に延ばそうか、とも思っています。ほんとうに熟した実は、甘酸っぱくて美味しく、色も橙色になって、まるで陽の光を閉じ込めたようです。袋をかけているので中は見えませんが、心待ちにする思いです。自生の実も、近直届くようです。枇杷酒をされますか?ジャムの瓶で送りますよ。種をギュウギュウに詰めて、焼酎を少し入れて送れば、大丈夫でしょう。

 枇杷茶は、便秘にも効果があります。人間のでも、動物のでも同じです。同時に下痢も止めます。我が家の銀河は、枇杷茶を飲みだして、便秘も下痢もしません。ウイルスの感染にも強いです。職場で、ノロウイルス感染の研修を受けましたが、牡蠣を生で食べることは、先ずないのですが、枇杷茶で抗体や免疫ができているので、症状としては出ないように思うのです。まあ最悪なったとしても、症状は軽いでしょう。

 現代農業に、昔ながらの馬屋で、牛を飼い、寝床を干草でしている所もあるそうです。そういった馬屋では、牛の腹痛は起きないそうです。人間は飼う、ということからでは手間だし、面倒だし、しんどいそうですが、牛にとっては一番いい方法らしい。何がいいかって、牛が喜んでくれるのが一番です。これこそ共存ですね。宮崎の口蹄疫も自然の方法でやっていたら、或いはここまで被害はなかった。ようにも思えます。

 人間の驕りが生態系を変え、既存の品種を絶滅させ、新しい品種を出現させた。ダムは無駄。と相次いで建設が中止になったり、先行きが見えなくなっているが、失った物は決して元には戻らない。何十年もかけて自然に育まれた物が、消えていくのは一瞬だった。再び元にしようとすれば、できないことではないかもしれない。だが、何光年の歳月が要ろう。見当もつかない、気の遠くなる年月だろうか。

 我が家で煎じている土瓶。その中に入れている花芽茶と種茶。喉越しが滑らかで、後口が爽やか、加えて甘く美味しい。くるみ森のかんろ水は、きっとこういう味なのかもしれないな。と某作家の児童書を読みながら思いました。
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夏、来たりなば・・・

2010年06月15日 | Weblog
 夏に生まれるというのは、実は一番、夏がきらいである。子ども頃には、扇風機など何処にもなかった。精々が団扇である。竹の骨に障子紙を張ったもので、祖母は風呂上りに扇いでくれた。自分で使うには手がだるい。そんなことをするくらいなら、木陰に居る方が涼しかった。極力、歩かない。動かないのがいい。夕方の陽が落ちた頃が一番よく、蝙蝠が飛んだりする中を走り周っていた。

 その時間帯は、蝮が涼みに出てくるのだが、不思議と咬まれたことはない。毒蛇の怖さは近年になってから知った。実物を見たからだが、子どもが咬まれたら、と思うと怖さも忘れて捕った。蝮は、頭を直撃していても、脳震盪を起こしているだけであって、暫くすると生き返る。従って新聞紙に包んで焼却した。夏場には、既に卵であるから、孵化したら増えるのだ。秋口が特に怖い。君子危うきに近寄らず。

 藪の傍に植えてある枇杷が、何故か美味しそうに思え、食べたい。と駄々をこねたら、祖母は頃合いを見て、竹棹で枝を折ってくれた。しかし不味かった。酸っぱいばかりである。李もあったが、これも顔が歪むほど、酸っぱい味だった。祖母の心の奥までは想うこともしないで、不平たらたら言っていた。祖母は生活の知恵として、体に必要な物を植えていたのだ。茗荷や生姜も、食べ尽くすのではなく、1年を通じて、畑の隅や家の軒に囲っており、必要に応じて採っていた。

 祖母の知識には、薬草としての効能が豊富にあったようです。但し、今でこそそういったことがわかるのですが、何分小学校の低学年では、納得できません。自分にとっての都合ばかりを並べ立てておりました。それでも、兄や妹に比べて、何故私だけが、祖母のしていたことを、鮮明に覚えているのかは不明です。特に兄は、誰よりも可愛がってもらっており、貧乏ながら買い与えてもらっていました。

 故郷の想いには、必ず祖母の姿がある。田植も済んだ頃、笹百合を採りに行った。蛍が飛び交う中を夢中で追いかけた。夜半の寝床で香る匂いに圧倒された。野いちご、黄いちご。夏古草(うつぼ草)、センブリ。ドクダミ、卯の花。イタドリが扁桃腺に効くのも、祖母がしてくれたやり方も全て、脳裏に甦ってくるよ。自分で、自分を認めることは、闇に居て光を感じることでもあるのだ。今日の自分に感謝して、明日の私に希望を探そう。

 春先に、Aさんのところで頂いた蕗の薹。季節の移ろいに敏感で、繊細なご夫婦だが、いつも私のことを気にかけてくださる。旬の物を頂く歓びを分けてくれるのです。蕗の薹のほろ苦さが、絶品でした。辛子酢味噌和えが美味しかったです。
 枇杷酒を作りましょう。枇杷の種を30粒。果実瓶2ℓ入り。焼酎35℃を1.8ℓ。きれいに焼酎で洗って、果実瓶の中に漬けます。半年で漬かりますが、できれば1年は置きましょう。
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自分を磨くこと・・・

2010年06月14日 | Weblog
 親からもらった命には、その遺伝子がある故に、見目形がちぐはぐになることもある。世界中の誰しもが、善人であればあったで、争いは起きないだろう。また、美人であると言うことも、その反対も起こり得ない。肌の色も、言葉も、性格も。皆違っていても、人間なんだ。自分と違うことに気づき、そのことを受け入れることで、相手を認めれば、自分も解ってもらえる。この年になってまで、頑張ることはしないが、努力と工夫はしていきたい。

 自分の人生が、この先にはどうなっていくのか、決まってはいるが、認識できなくなったらどうする?拘ってくれる人にもよるが、自分らしくあるためには、一体どうすればいいのだろう。独りでは、何もできなくなっていけば、最早、人間ではないのか?心が悲鳴を上げていても、じっとしていればいいのだろうか。物言わず、動かず、体力が無くなっていくのを待つ。お迎えのことばかりを考え、じっと耐えていればいいのだろうか?

 誰かの心が叫ぶ。誰かの身体が震える。誰かが助けて、とうめく。私は、その人の傍に行こう。そっと手に触れてあげよう。おでことおでこをつき合わせてあげよう。頬を寄せてあげよう。涙も一緒に流そう。あなたの気の落ち着くまで、此処に居させて。やがて目を閉じ眠りにつくあなたに、心を添わせてくださいますか。私は、自分自身に問いかけます。これでいい。という介護はありません。迷い、悩みの日々ですが、いつも感謝の心を、持っていようと思います。

 自分に言い聴かせているのは、命は自分のものではない。何もしないでできない。と言うより、努力を重ねてから考えてみよう。諦めないことも大切だが、潔いことも大事だ。その判断を間違うことなく、実行できるよう日々、精進していきたいものです。何故ならば、今日まで命を与えてもらえたからです。明日のことは、わかりませんが、この一日を感謝します。

 某サイトで、キリ番をゲットした。Aさんから、最高級のメロンを食べさせてもらいました。お水を分けていただきました。庭のカスミソウが咲き始めた。バラの花も。枇杷苗が元気に育っています。桑の実が熟していたので食べました。孫に、学校に持って行く花を、切ってやりました。Bさんの、仕事に対する姿勢に、頭が下がりました。自分を磨くことは、独りでしなくてはなりませんが、一人では不可能です。お蔭さまで、という感謝の気持ちが必要ですね。

 白枇杷の新芽。南側から北東に移動したら、新芽が湧き出した。あれよ、あれよで育っていき、今ではたくさんの葉がついています。一般には、赤枇杷を言いますが、白枇杷は、少しばかり、葉も実も薄い色がつきます。反対に薬効は数十倍あります。
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そして、誰も・・・

2010年06月13日 | Weblog
 アガサ・クリスティの作品です。最近のテレビは、これの二番煎じなら未だしも、半数を超える煎じ方で、うんざりというか、辟易してしまう。民放のテレビはCMが嫌いだし、NHKは上質な番組が消えている。地デジに替えよ。と言うが、なんでなのか本質が見えない。エコだのと言う割には、無駄なことばかりさせる。受信料を払わないなら、見せないのが事実であるらしい。

 テレビは勤務先で止む無く観るが、私にとっては書籍があればいいので、特別になくてもいい。今日、停電だったが、静かでいいなぁ。と思っていたら、職員の配慮に欠ける者が、喋らなくてはいけないように大声で騒ぐ。休んでいる人も居るというのに、が鳴りたてるだみ声に、うっかり横にもなれない有様。せめて声のトーンを落として話すか、其処に居る人らが、参加できる話題にしてもらいたい。挙句に人の身体の欠点を論う。常識のある者が聴けば差別用語に値する。

 言葉の持つ意味や、そこから連想する気持ちの行き方等、取り方によっては、様々なことに広がっていくのですよ。若い者ならいざ知らず、年配者なら、それくらいは考えて言いましょう。可愛いという言葉に匹敵する、虐待にもなるのです。相手の心を慮る気持ちは欠片もありません。同じ仕事をする者として、とても恥ずかしい想いでした。お給料を頂くのですから、常に自分は出さないで、協力してやっていかなければ、何も得るものはないです。

 人間の死ぬために生きるという事は、困難を極めるというが、本当にそうですね。この先地球から、人類が消えてしまう日が来るのか?と信じられない思いですが。人々は欲張りすぎた。誰しもが自分のことしか考えなくなった。お金があればいい。綺麗な物が着れればいい。美味しい物が食べられればいい。贅沢も、横着も、しなくていいことばかりをする。人間は、働いて、働いて、働きづくめて、死ぬ生き物に思うよ。

 死ぬことを畏れないで、命をもらって生きていることで、生かされていることに感謝し、誰かのために何かをし、そのできることを更に感謝して幸せと思う。これらは全て、全知全能の神、即ち宇宙です。命の源は、そこから発して、また其処に還るのです。因果報応とも言いますが、神の決めたことに従っていれば、自ずと自然に還れるのだ思えます。

 郵政省が民営化して、一番に思ったことは、不便さを補う仕事を、これからは何処がするのだろう?と。前々からでもあったが、ポストに郵便物を入れるのに、黙って入れて行く。無人ではなく有人でも然り。ほんの数年前の配達人は、誰であろうときちんと挨拶をしていた。『郵便です』これって常識じゃない?挨拶のお手本は、郵便局の人。という常識が壊れていきますね。

 この春に咲いた、クリスマスローズ。現在は、花が枯れて、葉の勢いだけが元気です。枇杷葉の傍に鉢で置いています。夏は木陰で涼しい場所。とありましたので・・・。
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新月だよ

2010年06月12日 | Weblog
 雲行きが怪しい。湿り気が多い風ですね。明日からは雨かしら?青紫蘇が大きくなってきたので、ハムを巻いて食べました。夏大根は、ちょっぴり辛いので、短冊に切って塩を振った。梅胡麻をかけて頂く。夏になると、食事がいい加減になって、素麺ばかりになる。夏には強いので、冷房は要らない。扇風機もほとんど使わない。庭中に緑があるので、ほんとうに涼しい。朝の水遣りは欠かせない。枇杷苗も育ちつつあるので、熱気が遮断されていい。

 我が家にリエさんが来たらば、きっと目を剥くに違いない。よくもまあ、これだけ枇杷苗がある。と言うくらい鉢で育てている。今年の冬には、大きめの鉢に植え替えるのだが、それにしても30本近くある。それなのに種を3粒植えた。白茂木です。枇杷の品種の元は、12品種くらいあって、この中には種無しもあります。市場に出回っていない物も含めればそれ以上の品種があるのでしょう。これには自生が含まれます。

 自然の中で育まれた枇杷は、鳥が啄ばんで実を食べて、種を落とすか、遠くまで運ぶかの何れであろう。枇杷苗が、川の中州で育っていたり、山の絶壁に生えていたりするのは、人間が植えたものではないでしょう。自然の中で育まれた物は、実も小さく、食べる部分は少ないです。またわざわざ不便な所にまで、取りには行きませんから、熟しては種が落ちていくのでしょう。タヌキが食べるか、猪や鹿も食べているのかもしれません。

 温泉も、人間が発見したのではなく、動物や野鳥などの浸かっている水を、不思議に思って調べてみたら、温泉だった。というのが多いです。我が家に来る自然の物も、自分の病を治したいばかりに、危険を冒して、やって来るのです。そういうのがわかってしまうと、例え虫でも殺せません。他の木にいるのは、花を咲かすために遠慮してもらいますが、それが己の姿のような気がしてしまうのです。

 枇杷葉を漬け込んだ。2ℓ入りの果実瓶に、50枚程度の葉を、上と下の軸とを切って入れ、35℃の焼酎を注ぐ。枇杷の葉は、簡単でいいですが、洗ってくださいね。肌の弱い方にはかぶれが出ます。湿布で使う場合には、ハンドタオルに包んでするか、漬ける前に洗うかをしましょう。葉先と軸は、切ってお茶にして飲みます。この時期の葉は、灰汁が強いかもしれません。枇杷湯にされるか、排水口に入れたり、洗濯機の中に入れてもいいです。

 枇杷葉は、消臭効果があるので、靴の中に入れたり、玄関や部屋にラッピングして、置いていてもいいですよ。人工の臭い消しより、人体にやさしいし、ゴキブリや虫が来なくなるかもしれません。誤解のないように言いますが、家の造りや、建っている場所、様々な条件が作用しますので、直ぐに効果があるかは疑問です。我が家の場合には、花芽茶を飲むようになってからでした。

 花芽茶は、偶然からの発見です。例年、12月に枇杷葉を分けてもらうのですが、旧暦の活用でなくては、計算が合わない。新暦の12月では、花芽は咲ききっていないのです。九州地方なら、そのような条件が整っていますが、我が家の方では、あれ?っと眉間に皺が寄りました。実家の、樹齢90年経っていた枇杷葉は、寒中の大寒に伐りました。花芽は鈴なりで、実には生りはしないものの、正確さは確かでした。

 Aさんは、この花芽が殊の外好きで、症状の落ち着くまでは、浴びるように飲まれていました。最近は、庭師に植えてもらった枇杷葉を、必要なだけ採っては、煎じておられます。花芽茶は、実家の分がなくなったので、種茶にしています。お茶の色が透き通っていて、香りもいいのだそうです。アミグダリンは、熱処理に弱いので、種にしてもお茶で飲まれるのが安心です。

 花芽茶を保管している冷凍庫の状態。パックに詰めて、ナイロン袋に20パック入れています。冷凍庫が狭いので、専用のが要るかな?タッパーウエアでも、乾燥させて湿気ませんからいいでしょう。兎に角、香りがいいのですよ。
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感応するんだ・・・

2010年06月11日 | Weblog
 これは誰の心だろう。ああ・殺伐とした、陰鬱な心であることか。私の心に感応してくるということは、何れ何かのサインを出すんだ。そう思っていたら、以外にも音波をキャッチした。相手の方は、何故そんなことができるのか、知ってはいないのだが、私にはわかるだけに苦痛になる。人間は不便だ。無理をしてはいけません。体の中に毒素を溜めないで。心が悲鳴を上げているよ。

 自然のままに生きていれば、本音も建前も要らない。心があればそれでいい。確かに、お給料をもらう身ですから、横着をして、その上に多いなら、それに越したことは無いでしょう。でも、心は何処にあるのです?静かにしていてくれればいい。歩き回らないならいい。そこには共有するような心は存在しません。関わっていく、という行為は、お互いを必要とするのでないかしら?

 帰宅して、水遣りを済ませ、ガソリンの補給に出かけ、孫を迎えに行った。学校は、プールが始まっているのだが、最近の手続きは、自分の判断では入れない。必ず親の認証がいるのだ。熱があったりは無論だが、強制的にはできないらしい。いいのか悪いのか、何とも言えません。結局、事故が起きたときの、責任の転嫁になるらしい。でもなあ、これで子どもの自立だの、自分で考えて行動しましょう。って、できるのか疑問だな?

 旧暦を引用すると、月の満ち欠けが影響する種蒔、移植などが書かれてある。苗を植えるのは、満月以降で、種を蒔くのは、新月から満月らしい。まあ、当然といえばそうです。頷けることが多い。人間のバイオリズムも、似たり寄ったりで、そういったことを繰り返していくのだが、自分では気づかないことが多いのだ。他人に指摘されれば、驚いてしまって、平静さを欠く。育った環境の違いかなぁ・・・。

 そういった諸々のことも含めて、教えてあげたかったのですが、どうやら勘違いが生じたらしい。あまりにもわかるだけに誤解される。いいけどさ・・、何だか遣り切れない。愚痴になるようですが、普通がいいなって思うときです。リエさんには、すんなり受け入れてもらえましたが、まあ極普通には無理なんです。こっちにどんなにわかっても、相手には如何なる理由でも理解できない。

 北東にある、最初に植えた枇杷葉です。木香バラが大きく生り過ぎて、さっぱり花芽がつかず、実がなったのは、たった1個です。手前の苗は、白枇杷の木です。2本あります。1本は南側からの引越しです。何れもとんと実付きが悪いです。仕方がないので、もっぱら葉を採っています。
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