雲の色々・夏雲
夏と云うか梅雨時には空の風景は急速に変化する。
特に積乱雲の変化が激しい。
定点観測ではないが、我が家近くで空を広く見渡せる所は限られているので、出掛ける途中で見る風景は殆ど同じだ。
ふわふわと軽そうな雲、大きく固まり重量感のある雲、様々だ。
べったりと広がる雲、今にも雲に押しつぶされそうな感じだ。
細かくちぎれて浮かぶ雲の周囲から放射線状の薄い雲が走っている。
下層の雲と上層の雲が重なったのかも知れない。
雲の色々・夏雲
夏と云うか梅雨時には空の風景は急速に変化する。
特に積乱雲の変化が激しい。
定点観測ではないが、我が家近くで空を広く見渡せる所は限られているので、出掛ける途中で見る風景は殆ど同じだ。
ふわふわと軽そうな雲、大きく固まり重量感のある雲、様々だ。
べったりと広がる雲、今にも雲に押しつぶされそうな感じだ。
細かくちぎれて浮かぶ雲の周囲から放射線状の薄い雲が走っている。
下層の雲と上層の雲が重なったのかも知れない。
雲の色々
散歩に出た時、時々空を見上げる事が有る。
季節に応じた様々な雲を見る事が出来るし、時には具象的雲、例えば動物の姿のような雲に出会う事もあり意外と面白い。
多くは季節に応じた名称が付く雲が多いようだ。
雲の名称には暗いが様々な形の雲が面白い。
梅雨時の不安定な空、積乱雲が発生すればその下では雷鳴と共に雨が降り出す。
無名の雲を写しても意味は無いかとも思うがその形の面白さについシャッターを切ってしまう。
写真はオリンパスPEN-Fカメラの「ドラマティックトーン」と云う設定で撮影したもので、コントラストが非常に強くなる設定だ。
サマーランドあじさい園
6月21日、あるグループにの仲間たちとサマーランドのあじさい園に行った。
この日は曇天、時々薄日が差すと云った天気だった。
このアジサイ園に行くのは車があれば楽に行けるのだが、電車で行くとなると交通の便が悪く、事前に乗り物等を良く調べておく必要がある。
チームリーダーの調査が行き届き、スムーズに現地に着く事が出来た。
アジサイ園は小高い山になっていると云う事で、老骨には無理で途中リタイアすることもありうると云った心積りであったが、何とか頂上まで登る事が出来た。
この日のお供のカメラは、軽く高性能なキャノンG7XMarkⅡデジカメと、ソニーRX0Ⅱ小型デジカメの2台を持参。
主にRX0Ⅱによる動画撮影を優先する事にした。
そのため静止画の撮影が少なかった。
あじさい園入り口を入ると目の前に秋川湖と云う湖にしては小さい池のようなものが有り、湖畔にフラワーポットに植えられた紫陽花が並んでいた。
湖を抜けると広々としたお花畑があり美しい風景を見せていた。
花畑を抜けるといよいよ山道に入る。
鬱蒼と茂る木立の前にお目当ての紫陽花が見えてくる。
赤白グリーンの彩りが美しい。
ウッドチップが敷かれた山道に入ると道の左右に見渡す限り紫陽花が連なる。
右側が白い花、左側がピンクの花が連なる。
なかなか見ごたえのある風景だ。
ピンクの花には、「ピンクアナベル」と書いた立札が立っていた。
この日は「アナベル」と云う名の紫陽花が咲く山を見るのが目的の一つだ。
此処からいよいよ山道に入る。
30年ぶりに見た飯田橋駅前
年明け早々飯田橋に3日ばかり通った。
飯田橋には現役中に通った会社があり、40年近く通った。
その後会社は亀戸の新社屋に移った。
退職後、飯田橋に通わなくなって30年、飯田橋駅に下車する事は無かった。
30年ぶりの飯田橋駅とその周辺の景色が全く変わってしまっていたことに驚いた。
神楽坂口改札はこの石垣の左手にあったが今は無い。
向かい側の石垣は残っていた。
改札口を出た左側に交番があったがその交番は今もあった。
現在の改札口はこの交番に後ろ方向10m位の所にあった。
交番から改札口方向を見ると眼前に巨大なビルがあり、日本歯科大学病院の看板が出ていた。
この病院は神楽坂通りを靖国神社方向に歩き、九段高校の手前にあった。
そこから駅前に移転したのか、新しく病院だけ独立して出来たのか不明だが、とにかくビルの大きさに驚く。
交番前の十字路はスクランブル交差点になっていた。
30年前は狭い道の普通の交差点だった。
写真のこの交差点右上の所に教会があった。
その教会は以前の場所より奥に立て直され元の所は広場になっていた。
教会はガラス張りの近代的は建物に変わっていた。
教会の横には巨大なビルが建ち、以前の面影は全くない。
教会前から逓信病院方向に歩くが、以前は細い歩道だったが広々とした歩道の変わっていた。
日本歯科大学病院のビルがひときわ目立つ。
30年の歳月は地域の様子をすっかり変えてしまった。
今年初めて飯田橋駅に下車。
その変貌ぶりは正に浦島太郎の心境だった。
多分想像を絶する変貌ぶりだろうが、時間が許せば元の会社付近を見てみたいと思う。
新年初散歩
今年は年明け早々から所用で都内に出かける事が多かった。
近間の散歩に出るのは初めてだ。
例の通りの散歩道を歩く。
途中、「つわぶき」の花が咲いていた。
真冬に黄色い花を付け確りと咲いているのを見ると寒さもしばし忘れる。
姿見の池に出る。
池には水鳥たちが元気に泳ぎ回り、水浴びをしている鳥もいる。
この池に「オシドリ」が来ることはめったにないがこの日は来ていた。
何処から飛来するのだろうか。
姿見の池を後に国分寺公園に出る。
広場の桜の木に凧が4個程引っかかっていた。
広場で凧揚げを楽しんだ子供たちが大勢いたのだろう。
木の枝に凧を引っかけて取れなくなくなった子供たちの気持ちはどんなだったろうか。
地上には藤棚の影が長く横たわっていた。
何の木だろうか、青空の中に枯れ枝を広げ、その先に実?花?蕾?・・・何か分からないがびっしりと付いている。
残念ながら望遠レンズが無くアップで見る事が出来なかったのが残念。
この日は国分寺公園で折り返し帰途に就いた。
老骨としては、今年も公園の四季を眺める事が出来れば有難いと思っている。
立川駅北口
妹の脳のMRI撮影に立川の病院に連れて来た帰り道にスナップ。
駅北口を出た左側に「ようこそ立川へ」「くるりん」と書いたウサギのモニュメントがあった。
固いビルの線の中に柔らかいウサギのモニュメントは何かほっとするような温かみを感じる。
その向かい側、伊勢丹をバックにこれまた不思議なモニュメントがある。
半球体の上の部分に置かれた?人型のような物の形が千差万別。
何を意味するモニュメントだろうか。
上の写真のモニュメントの左にはクラシックな飛行機を飛ばすかのような形のモニュメントがある。
プロペラが風に吹かれ勢いよく回っていた。
駅を出たすぐ左に托鉢僧の笠が置かれていた。
何時もこの場所で托鉢をしている僧を見かける。
まさかと思うが、忘れて帰ってしまった?
撮影はソニーRX0
姿見の池
この所暑い日が続いている。
今年は夏が来るのが早いかも知れない。
暑さのせいか体調がやや悪く家でテレビ三昧。
たまには歩かないと体調保持が難しくなると云うような強迫観念に駆られて、少しでも歩こうと暑い中散歩に出る。
行き先は近間の姿見の池。
姿見の池は周りを新緑で囲まれ涼しげに見える。
しかし、橋の上は日当たり満点?日をよける物もない。
橋を渡った先には早くも花菖蒲が満開。
池の東側には湿地帯が作られ、そこに花菖蒲が植えられている。
毎年植え替えられるらしく、年によって品種が違うようだ。
木陰にはアジサイがこれまた満開状態。
池にはカルガモの子が14羽。
親の姿が見えないがどうしたのだろうか。
毎年カルガモの子が誕生するが、一人前に成長するのは3~4羽だ。
この子たちも烏などに狙われない様に無事育って欲しい。
姿見の池から折り返し帰途に就く。
歩いた歩数5120歩。
旧宮崎家
宮崎家前にはしだれ梅が咲いていた。
旧日本家屋に梅の花はよく似合う。
家屋に寄ってみると居間には雛飾りが昔ながらの段飾りで飾ってあった。
宮崎家の所有しているものだろう。
雛人形は比較的新しい時代のもののようだった。
玄関?から室内に入ると、そこは土間になっていて昔の農家の造りそのままになっている。
囲炉裏には火が入っていて自在鉤には鉄瓶が掛かっていた。
囲炉裏のある部屋は広く、板の間になっていて、家族は普段はこのいろりを囲む生活をしていたのだろう。
奥には居間があり、床の間が見える。
その前に雛飾りが飾ってある。
居間の後にも部屋がある。
囲炉裏の右奥には違い棚があり、調度品のようなものが置かれていた。
天井は竹を組み合わせて作られており、その外側を萱または藁で葺き上げて屋根としている。
組まれた竹は囲炉裏からの煙で燻製のようになり黒光りしている。
煙で燻されることによって耐久力が増し数百年の寿命を保つことが出来る。
土間には農作業に使われた色々な器具が置かれ、自分も使ったことがある器具ばかりで懐かしく、子供のころを思い出した。
自分の家は農家ではないが、戦時中に疎開した先の農家でこれらの器具を使って農作業の手伝いをしたものだ。
その頃が懐かしく思い出され見飽きることが無かった。
あゆみ橋と旧宮崎家
あゆみ橋を渡ってみた。
近代的でしかも簡素な造りのつり橋だ。
橋の上から川面を見る。
川幅の半分くらいは砂利の洲のようになっていた。
上から見た川の流れは橋の名の通り美しく澄んだ清流を見ることが出来、橋の名に恥じない風景だった。
橋の近くに重要文化財・旧宮崎家という藁葺屋根の家が建っていた。
破風造りの重量感あふれる堂々たる家だ。
庭先には梅の木、その根元には苔むした巨岩が置かれ、庭の造りと藁葺家屋のたたずまいがしっくりとマッチしていた。
このような風景に接すると何となくほっとする。
都会の無機質なビル群に比べれば実に情緒あふれる風景だ。
ダイヤモンド富士撮影失敗談
昨年暮れに、ある国分寺在住の人のブログで、ダイヤモンド富士を撮りそこなったと云う記事を見て、国分寺でもダイヤモンド富士が見られることを知った。
正月3日の日に友人から偶然にも光町の「もみじ公園」からダイヤモンド富士が見えると云う電話を貰った。
夕方4時20分ころに見られると云う事で、4日の夕方出掛けた。
カメラはオリンパスペンFに28~300ミリズーム付きを持参。
夕方のダイヤモンド富士の撮影は初めてで、どう撮ったら良いのか手探り状態だった。
富士山を出来るだけ大きく撮りたいと300ミリ望遠にセット。
富士がシルエットにならないようにと絞りはF5.6フォーカスはオートにセットした。
これが失敗の元だった。
まともに太陽を正面から見るためにまぶしくて正確に太陽の位置を知ることが出来ない上に、ピント合わせが不安定でピントが合わない。
あわててマニュアルフォーカスに切り替えたが太陽の光が強く富士山が霞んではっきり見えない。
あせってあたふたしているうちに日が沈んでしまった。
何とか写っていた写真は、日が殆ど沈みかかっている状態だった。
この写真には、このレンズのコーティングの関係か、レンズ構成の関係か円形のフレアーが出ている。
レンズの性能にも問題があるのかも知れない。
この公園から見る富士は電線が邪魔になり面白くない。
正月6日
「モミジ公園」でダイヤモンド富士が見られるならば我が家近くでも見られるのではないかと、知人のマンションの4階からの撮影許可を貰って夕方行って見た。
確りとダイヤモンド富士を見る事が出来た。
翌6日撮影に行く。
今回はフォーカスをマニュアルにし、絞りはF11とF22の2通りを使う事にした。
太陽が富士山頂近くに達する頃はまぶしくて肉眼でフジの位置を確かめる事が出来ない事には困った。
山頂に懸かった太陽。
あまりの明るさに富士山は薄ぼんやりとして山容が良く分からない。
オリンパスの24~300みりズームレンズはフレアーが出る。
山頂のやや下に半円形のフレアーが出ている。
この写真も山容がはっきりしない。
焦点距離を150ミリ位にして、絞りをF22にして撮ったのがこの写真。
小絞り独特の光芒が出ている。
太陽が隠れる寸前にはこのような光芒が現れるようだ。
完全に日は隠れてしまった。
シルエットながら富士山ははっきりと写っている。
この場所も高圧線の電線が邪魔をして絵作りとしては面白くない。
かくして初めてのダイヤモンド富士の撮影は失敗のうちに終わった。
次回はこの経験を生かして、確りとしたダイヤモンド富士を写したいものだ。