夏の夜の思い出
小平市では毎年夏「あかり祭り」が開催されるが、昨年はコロナの為中止となった。
一昨年の「あかり祭り」の写真(カラー)をモノクロに変換して見た。
闇に浮かぶ行灯が印象的になった。
カラーはカラーの良さがあるが、モノクロはモノクロなりの面白さがある。
行灯は市内の小学校、中学、高校、事業所等の人たちが拵えたもので、個性的な作りが楽しい。
暗闇の中に浮かび上がる行灯は夏の夜を美しく彩り、夢幻の世界にいざなってくれる。
夏の夜の思い出
小平市では毎年夏「あかり祭り」が開催されるが、昨年はコロナの為中止となった。
一昨年の「あかり祭り」の写真(カラー)をモノクロに変換して見た。
闇に浮かぶ行灯が印象的になった。
カラーはカラーの良さがあるが、モノクロはモノクロなりの面白さがある。
行灯は市内の小学校、中学、高校、事業所等の人たちが拵えたもので、個性的な作りが楽しい。
暗闇の中に浮かび上がる行灯は夏の夜を美しく彩り、夢幻の世界にいざなってくれる。
カラーをモノクロに変換して
最近撮った写真をモノクロに変換してみた。
そこには昔懐かしい写真の雰囲気と、カラーには無い表現力の力強さがあった。
夕焼け空。
カラーの世界ではあかね色に染まった空が美しい写真だったが、モノクロの世界では太陽と雲に当たる夕日のみが強調されて、辺りは暗く、間近に闇に閉ざされる事を暗示するような風景になっている。
伐採された木々たち。
今や生気も無く、色あせた木片に様変わりした姿が哀れな感じ。
カラフルな人形の焼き物と、窓から顔を出す人形とメルヘンチックな風景。
カラーの場合は周りの色彩に隠れ、主役の存在感が曖昧だったがモノクロになって主役の存在感が強調されている。
このあたりがモノクロの良いところだろう。
いつも楽しみにしているご近所さんのメルヘンティックな庭つくり。
これも同じくキャラクターの存在感が明白になり、メルヘンティックな雰囲気がしっかりと出ている。
冬日の風景。
壁に映る木陰が冬の感じを醸し出している。
このような風景はカラーでも問題なく表現される風景だが、モノクロのほうが初冬の感じをより感じさせる。
一人読書を楽しむ人。
モノクロの為に色彩が無く、色によるざわめきが無く、静かな雰囲気が伝わって来る。
静かな場所で一人読書を楽しむといった雰囲気のある写真になっている。
モノクロ写真の良いところは随所にあり、捨てがたく、今でもモノクロ愛好者が多いのも分かるような気がする。
モノクロの世界
写真がデジタル化される前は、カラーフイルムによる写真が主流だった。
1960年代まではモノクロ写真が主流で、老骨が写真にはまり込んだ頃はモノクロ写真の全盛時代だった。
モノクロ写真の良い所は、被写体の色彩にまどわかされること無く被写体の本質に迫る事が出来たと云う事だ。
とは言え何をどのように表現したらよいのか手探りの状況であった。
老骨が写真に興味を持ったころのカメラのレンズの明るさは解放でF6.3とかF8 。
シャッタースピードは1秒から1/100秒止まり。
距離合わせは目測でセット。
勿論、露出計など無かった。
フイルムの感度はISO25と現在では考えられないようなカメラとフイルムだった。
フイルムのサイズはまだ35ミリフイルムなど無く、ブローニー版と云うフイルムで、同じフイルムを、6x9センチで8枚・6x7センチで10枚.6x6センチで12枚・6x4,5センチで16枚とカメラによって撮影枚数が決まっていた。
そのほかにベスト版と云う一回り小さいサイズのフイルムを使うカメラもあった。
露出計などは全くなかったため、撮影に行く時はメモ帳を用意し、撮影する度に天候、時間、絞り、シャッタースピード、をメモして置く。
カメラ店に現像に出して仕上がった写真と撮影データを引き合わせ、適正露出だったかどうか確認する。
例えば16枚撮りフイルムで適正露出で撮影されたものは½以下だった。
あとは露出不足で写真にならなかった。
それと、フイルムは自動送りではなく、シャッターを切る度に手動で巻き上げる仕組みだったため、巻き上げを忘れ、二重撮影になっているのも多々あった。
このようにして経験を積み始めて適正露出80%位になったものだ。
現在ではスマホでも失敗無く美しい写真が誰でも撮れる時代になった。
写真の発達史と共に生きて来た老骨にとっては夢のような世界だ。
畑のビニールに当たる光が強調されて美しい。
人生長生きの秘訣?
オミクロン感染拡大が急速に増えて来た。
3回目のワクチン接種を終えたが外出はしないことに決める。
暫く巣ごもり生活が続く事になる。
不要な書類等整理をしていたところ、以前何処かのお寺でもらった人生長生きのコツのような文を書いた紙片が出て来た。
どちらにしても思わず笑ってしまうような言葉、誰が考えたのだろうか。
つもり違い十か条は云い得て妙と云うか自戒の書?すべて反対語のようだ。
思い当たるふしがいくつかある。
これがすべて整った人間はいるのかな?
自分を振り返ってみることの大切さを教えてくれているような気がする。
3回目のコロナワクチン接種
10日ほど前からコロナの新型、オミクロン感染者が急速に増加し、昨日の東京は9699人となった。
来週は15,000人を超えるだろうと云われている。
そんな中、コロナワクチン3回目の接種申込書が19日に届いた。
高齢者は接種間隔を8か月から7か月に前倒しと云う事になっているためだろうか、当市としては比較的早い対応だったと思う。
19日夜、娘がネットで申し込んでくれた。
老骨は2回ともファイザーだったので、3回目もファイザーの接種会場を予約した。
21日午前10時、接種を申し込んでいたかかりつけ医に出向き接種を終えた。
接種後2日目だが接種による副反応は全くない。
1~2回目の時も副反応は殆ど無かった。
とにかく比較的早く3回目の接種が出来た事で一安心。
とは言え外出は出来るだけ控える様にし、殺菌処置は確りと行いたいと思っている。
従ってこのブログも存続は難しい状況になっている。
コロナが収束するまではブログもとぎれとぎれになると思うので、ご訪問下さる方々には悪しからずご了承頂きたいと思っている。
メジロの飛翔2
メジロはミカンを啄む場所を変えるためだろうか、時々一旦ミカンから離れてミカンの周りを飛びながら再びミカンに止まると云った動作をする事が有る。
しかし良く見ると啄む場所が変わったとは思えない。
一旦飛び立つの何かほかの理由があるようだ。
彼らを見ていると彼らなりの何か思いが有るように見え、興味をそそられる。
再び我が家の訪問者 メジロ
シジュウカラと常に同行しているのがメジロ。
シジュウカラある所にメジロ有りと云った関係は互助ようなものなのだろうか。
今回からメジロの飛翔について撮影したものをアップして見る。
ミカンを吊るすとすぐにメジロがやってくる。
不思議な事に必ず2羽で来る。
夫婦なのだろうか、交代でミカンを食べる。
何かに呼ばれた感じで左方向を見る。
振り向いた方向に飛び去って行った。
広げた羽はしなやかで美しい。
一寸古い話で恐縮
昨年12月暮れの事、まだオミクロン株の感染が拡大する前の話。
何時ものように散歩に出る。
お定まりの決まったコースだ。
コロナの関係もあるが、老骨の身、身体のあちこちに不具合な所が生じ長距離の歩行がままならなく無って来た。
コロナ感染に注意しながら人との出会いを避けながらのお定まりのコースを歩くしか能が無いと云った今日この頃だ。
鎮守様に参拝。
家内安全とコロナ収束を願う。
姿見の池の入り口から見た高層マンション。
手前の日影山の紅葉が美しい。
姿見の池遊歩道の紅葉も美しい。
池に着くと鴨たちのお出迎え。
すぐ傍に寄っても逃げる事は無い。
よほど人慣れしているのだろう。
水面には紅葉の樹木が揺らめく。
水面の落葉の巧まぬ自然の芸術も楽しい。
池の端には水仙が咲いていた。
月に数回は訪れる姿見の池だが、来る度に違う顔を見せてくれるのが楽しい。
我が家から池を周り帰宅すると大体4.500歩位になる。
以前は最低でも10000歩は歩いたものだ。
コロナが落ち着いたら乗り物を使っての外出を楽しみたいと思っている。
落花生とシジュウカラ
落花生20個位に糸を通して落花生の両端に穴を開け、木の枝に下げて置くと、シジュウカラがいち早く見つけて殻の中の豆を啄み始める。
その様子が実に可愛らしい。
始めはゆらゆら揺れる落花生が怖いらしく、落花生を見つめながらどのようにして食べようかと思案しているように見える。
木の枝に止まりながら何とかしようと頑張っている。
その内に落花生に飛び移り、巧みに落花生に止まり、中の豆を啄み始める。
その学習の時間は10~15分位の速さだ。
10年ほど前にこのような仕掛けをしたところ、シジュウカラの仕草を見ていた雀が数時間かけて学習し、シジュウカラをまねて落花生に止まろうとするのだが、足の構造が違うのか全く止まる事が出来ない。
落花生の下で羽ばたきしながら豆を啄むのだが、それもなかなか上手く行かない。
その様子を動画で撮影し、「NHKみんなのビデオ」に投稿したところ採用され「雀の奮闘」と云うタイトルで放映され、全国年間投稿ビデオの8000点ほどの中から優秀作品賞を受賞した事が有ると云う思い出がある。
我が家の訪問者
4~5年前までは我が家を訪問してくれるメジロ、シジュウカラ、が10羽位で一日中庭で戯れていたものだが、昨年あたりからすっかり姿を見せなくなってしまった。
2羽ほどのシジュカラが時々訪問してくれるほどに少なくなってしまい淋しくなってしまった。
5~6年前は庭に掛けた巣箱でシジュウカラが子育てをし、子供たちが巣立っていった事が夢のようだ。
近年我が家付近の雑木林の殆どが無くなり、彼らの生活圏が変わってしまったのだろう。
現在は木陰に下げた餌を啄みに時々来る程度になった。
餌を確りと抱えるようにして食べる様子が可愛らしい。
最近全く姿を見せなくなったのがスズメ。
14~5年前には雀が毎朝向かいの家の屋根に20羽位が止まり、賑やかしく囀っていたものだ。
そのスズメの姿は今や全く見る事が出来ない。
土地開発は結構だが自然の生態を破壊してしまうのは残念な事だ。