謹賀新年
今年も宜しくお願い致します
大晦日
今年は色々な事があった。
2月にはロシアがウクライナに軍事侵攻開始。
4月には北海道知床沖での観光船の沈没。
7月には元総理大臣安部晋三氏の狙撃死亡事件。
その他、北朝鮮の度重なる弾道ミサイル発射。
新型コロナの感染も七波~八波と一向に収束する気配なし。
その他、内外共に大きな話題が多かった。
老骨夫婦は幸いにも健康に恵まれ、大過なくこの一年を過ごす事とが出来た。
感謝々々。
ブログもコロナの影響を受け、外出を控え巣ごもり状態が続き、新鮮味の無いものが続いた。
3年前までは毎日更新していたが現在は隔日アップとなってしまった。
こんなブログにご訪問下さった方々には感謝々々。
来年も宜しくお願い致します。
江戸東京たてもの園5
旅館・萬徳
間口の広い建物は、旅館萬徳。
ここでも椅子の張替えの実演をしていた。
椅子の張替えは見ているとなかなか手間のいる仕事だが、手際よく張り替えてゆく。
旅館の帳場だろうか、事務机に電話が乗っている。
風呂は五右衛門風呂。
この様に置いてあったかどうかは不明。
老骨が戦時中疎開した農家の風呂は五右衛門風呂だった。
風呂のふたを開けると、中に丸い板が浮かんでいる。
その板を踏み沈めながら入る。
初めは板の踏み方が悪く板がひっくり返る事があり、入るのが難しかった。
丸い板には4~5本の1センチほどの隙間があり、板が沈みやすくなっていた。
入浴中に追い炊きをするとその隙間から熱湯が噴き出し、やけどをしそうになる事がある。
外には釣瓶井戸があった。
疎開先の農家も釣瓶井戸だった。
学校から帰ると先ず水を汲み、大きな水がめに水を張ること、風呂に水を張ることが仕事だった。
釣瓶井戸からバケツに水を入れ替え、風呂場まで運ぶのは大仕事だった。
こんな思い出にしたりながら旅館を後にし、帰途に就いた。
江戸東京たてもの園4
色々な店
子宝湯の通りの両側には色々な店が並んでいる。
店名は不明だが日常雑貨を売る店。
こまごまとした日用品が置かれている。
昔懐かしい品物ばかりだ。
鰹節専門店、太和屋本店。
店先には海産物の干物等が色々と並んでいる。
店先のたばこショーウインドウにはゴールデンバット、朝日、白梅等の懐かしいタバコが並ぶ。
老骨はたばこは嗜まないがゴールデンバットの名は少年の頃から知っていた。
太平洋戦争時代に父に頼まれて朝早くたばこ店に並んで、ゴールデンバットを一人2箱限定を買い求めた事を思い出す。
伝統工芸・組紐の立て看板が有ったので入って見た。
店内には色々な工芸品が展示してあった。
店先で年配の女性が組紐の実演をしていた。
撮影のOKを貰って撮影した。
手捌きも鮮やかに組紐の制作。
手捌きの多様さに暫し見惚れる。
小寺醤油店。
店先には瓶詰めの醤油が並べてある。
醤油だけだ無く酒類も置いてあるようだった。
奥の帳場。
昔のレジスターや古びた金庫が印象的だった。
昭和の初めの店舗には何処か暖かみを感じる。
近代的な明るい店舗もいいが木造で暖かみのある造りと店員さん達と会話を楽しみながらの買い物は、人間同士のつながりと言ったようなものがあり、日常的に挨拶を交わすと言った暖かみがあった。
昔は良かったなあ・・・と思う。続く
東京江戸たてもの園3
銭湯 子宝湯
園内には、昭和初期の時代の店舗が並ぶ一角がある。
そこに銭湯「子宝湯」がある。
老骨の子供の頃には一般的な家庭に内湯があるのは殆ど無く、金持ちの家にしかなかった。
我が家は借家でもちろん内湯などない。
我が家から歩いて7~8分の所にある銭湯に行っていた。
破風作りの入り口、入って左側が男湯、右が女湯になっている。
子供の頃に行っていた銭湯はこの逆で右が男湯だった。
入口には「子宝湯」の暖簾がかかっている。
入るとすぐ右側に番台があり、銭湯の家族の誰かがそこに座り料金を徴収したり、盗難の監視などをしていた。
毎日のように行くので番台の人とは皆顔なじみになっている。
中に入った所から浴場の方を見る。
衣装を脱ぐ広間があり、真ん中に脱いだ衣装を入れる衣装籠と格納棚がある。
格納棚は無い銭湯が多く、床に置いたまま入浴するようになっていた。
右側には大きな鏡が据え付けられている。
男女湯の境の上には大きな柱時計が取り付けられている。
浴場に入ると正面には富士山の絵が描かれている。
これはどこの銭湯に行っても殆ど同じだった。
湯と水が出る蛇口が両サイドと真ん中に並んでいる。
湯桶も片隅に積み上げてあるのだが、ここには無かった。
男女湯の境の仕切り壁には鏡と、その上に大体どこの銭湯にも昔話の絵が描いてあったが、ここにも源平の戦い、壇ノ浦の戦いでの扇の的の絵と、京都五条の橋で牛若丸と弁慶との戦いの絵が描かれている。
一方女湯の正面は、富士の裾野の風景が男湯に続いて描かれていた。
見学に来た子供たちが湯船の疑似体験?をしていた。
こちらの男女仕切り壁にはおとぎ話の絵が描かれていた。
舌切り雀の話と、かちかち山の話が描かれている。
浴槽の方から入口方向を見る。
男湯とは一寸違う造りになっていた。
昔懐かしい銭湯に子供の頃の事が思い浮んだ。
冬の思い出として、銭湯の帰り道、濡れた手ぬぐいの端を持ち、ぐるぐると4~5回まわすと手ぬぐいが凍って棒のようになり、チャンバラごっこをして遊んだことなどが懐かしく思い浮かんだ。
江戸東京たてもの園2
高橋是清邸
2,2,6事件で暗殺された高橋是清邸が残されている。
邸内に入って見る。
この部屋が凶行現場。
二階の明るい部屋だ。
この部屋で凶行が行われたとは‥‥さぞかし無念だったろう。
心の中で黙祷を捧げる。
部屋の窓から見た庭。
見事なモミジの紅葉。
紅葉越しに見る高橋邸。
庭先から見た高橋邸内。
高橋邸遠望。
見事な庭を見ながら高橋邸を後にした。
続く
江戸東京たてもの園1
先日、立川の夜景を見に行ったその数日後、再び娘に気晴らしに行こうと誘われ、小金井公園内の江戸東京たてもの園に行って来た。
たてもの園には3年ほど前にライトアップされた時に行って以来行った事は無かった。
何処か変わった所が有るかも知れないと言う期待もあり、連れて行ってもらった。
正面が江戸東京たてもの園入口。
この日は晴天で暖かい日だった。
園内に入るといきなりこんなモニュメントに出会った。
松の木の上に巨大な蜘蛛の巣。
その下には巨大な蜘蛛。
蜘蛛の巣を見ながら園内の西ゾーンに向かって歩く。
道の左手に昔懐かしいボンネットバスが置かれていた。
今では殆ど見る事が出来ない。
バスの横手に「常盤台写真場」がある。
四畳半の部屋にはこれまた懐かしいジューキミシンが置いてあった。
写場風景。
部屋の左側に窓があり、サイド光を取り入れるようになっている。
右にはアンソニーカメラが置いてある。
小学生の頃、家族でこのような写場で写真を撮った記憶がよみがえる。
次に見たのが三井八郎右衛門邸で、屋敷を庭先から見る。
広々とした日本庭園。
屋根の下には濡れ縁が部屋の周りを囲むように作られている。
次に見たのは農家の綱島家。
昔の農家をそのまま再現している。
土間には色々な生活用品が残されている。
子供の頃は炊飯はお釜だった。
かまどに薪を入れる手伝いをしたことがある。
子供の頃の生活がよみがえった。
土間の前には板敷の居間?かな。
囲炉裏が切ってある。
囲炉裏端には家族が集まり団らんの場となる。
軒下には大根が干してある。
切り干し大根を作るのだろう。
隣には同じ農家吉野家がある。
中の作りは綱島家とほぼ同じようだ。
吉野家の玄関は何処か武家屋敷の玄関を思わせるような造りになっている。
農家としては珍しい造りだ。
よほどの豪農だったか地主だったのかも知れない。
囲炉裏端も綱島家の作りとは大分違う。
部屋の作りも豪華。
三部屋続きで広い。
吉野家の前に小さな藁ぶきの建物があるが、近くに寄らなかったため何だか分からなかったが、何処か地方の蔵のような物らしい。
屋根の部分の内側が蔵になっているようだ。
続く
グリーンスプリングス付近の夜景
日の入りのドラマを見た後、地上に降り付近の夜景を見る。
この3年ほど夜景を見る事は全くなかった。
何を見ても物珍しかった。
グリーンスプリングス屋上付近から地上(二階部分)?に向けて幅広い川のように水が流れていた。
その脇の階段を下りる。
その途中にこんなモニュメントがあった。
二階の部分の広場にはこんなモニュメントがあった。
池に映ったモニュメント。(天地を逆にした)
プール状の池に噴水の舞。
池の中のモニュメント。
こんなモニュメントもあった。
地上に降りる。
モノレール下のイルミネーション。
青い光が続く。
珍しい大きな犬をつれた人に出会う。
暫し会話を楽しむ。
モノレール下の商店街には色々な店舗が並んでいた。
どの店も明るく魅力に富んでいた。
久々の夜の街の散歩。
物珍しく興味深々と言ったところだった。
少し寒むかったが夜の散歩を楽しんだ。
夕暮れの富士
先日、娘が立川のグリーンスプリングスに夜景を見に連れて行ってくれた。
コロナ感染拡大以来、余程の用事以外には乗り物による外出は全くなかった。
この日は娘の車で連れて行ってくれた。
久しぶりの他市への外出。
気分爽快この上なしと言った感じだった。
初めにグリーンスプリングスの屋上に行き、夕暮れの富士を見た。
生憎富士近辺は雲がかかり、あまり良い状態ではなかったが富士の横に沈む太陽のドラマティックな風景を撮影する事が出来た。
到着した時の富士近辺の様子。
富士の真上から太陽光線が富士を照らし出していた。
徐々に太陽は右の方に移動して行く。
雲の切れ目から光芒が現れまぶしい。
太陽は富士の右側に落ちてゆく。
太陽は見る見るうちに山の陰に沈んでいった。
太陽は完全に山のかなたに沈み夕闇が迫って来た。
この間20分位だったろうか、山の端に沈む太陽のドラマティックな風景に、暫し寒さを忘れていた。
最後の紅葉2
前回と同じ場所を裏側に回る。
遊歩道沿いにモミジが2~3本紅葉していた。
どうだんつつじの紅葉とモミジの紅葉。
色とりどりの紅葉を並べてみた。
紅葉の撮り方は色々とあり、その表現方法は人によって異なる。
紅葉の時期にもよるし、色付き具合にもよる。
又、フレーミングの仕方によってもその美しさを表現する方法が異なる。
今回は黄色味の多い明るい感じの葉を多く取り入れて写したものを並べてみた。
これで今年の紅葉は見納めになる。
この日で今年の国分寺公園への来園も最後になるだろう。
定点観測的に毎年同じような写真を撮っているが、その時々によって風景が変化して行くのが面白く、止める事が出来ない。
ご訪問くださる方々には、またかと飽き飽きされた事と思うがご容赦いただきたい。
続けてのご訪問宜しくお願い致します。