北海道手形と男鹿の逸品
北海道の手形。
一般的なタイプのものだ。
釧路、札幌とその地の特色のある物を描いている。
これは、集めた手形の中の逸品だ。
男鹿の「なまはげ」だ。
大小あるが何れも「なまはげ」の面の彫刻が取り付けられている。
かかれた文字にも多少の違いが有る。
色々な地方の手形を集めたが、このような豪華な手形は見当たらない。
この手形だけは大事に保管している。
北海道手形と男鹿の逸品
北海道の手形。
一般的なタイプのものだ。
釧路、札幌とその地の特色のある物を描いている。
これは、集めた手形の中の逸品だ。
男鹿の「なまはげ」だ。
大小あるが何れも「なまはげ」の面の彫刻が取り付けられている。
かかれた文字にも多少の違いが有る。
色々な地方の手形を集めたが、このような豪華な手形は見当たらない。
この手形だけは大事に保管している。
手形の裏面
一寸豪華な感じの手形。
この二枚は箱根の通行手形だが、左は金色の金具で縁取りした物で、表面。
表面は通行手形の文字が真中にあり、左右にその地独特の言葉が書いてある。
右の手形は同じ箱根の手形だが縁取りはない。
これは裏面だが、箱根の風景と大名行列に葵の紋が描かれている。
同じ箱根の手形でも大きさが違ったりして、表面の文字も違う。
左は、飛脚鑑札の文字が書かれている。
同じ箱根の手形でも裏面の絵が違ってくる。
同じ箱根の通行手形でも作りが違い、大きさが違い、文字、絵が違うところが面白い。
同じ所に何度か行くことがあるが、その時には出来るだけ作りの違う手形を探して購入するので、同じ観光地の手形が結構有る。
手形の色々
手形には色々な大きさがある。
一般的な大きさは10×15㎝くらいで、使用している木材は雑木だが、中には欅を使ったものがある。
欅は木目が美しく、重量感があるので出来るだけ欅を使った手形を見つけるようにしていた。
中には塗料で塗つぶしたものもある。
写真の大きな手形は、箱根の関所近くのお土産店のショーウインドウに店の看板として飾ってあったものだ。
大きさは25×30㎝位で、厚みが5㎝位、欅材が使われている。
何としてもこの手形が欲しく、店主に掛け合ったが、非売品で売ることは出来ないと云うのを、拝み倒して購入したものだ。
一般的な手形は30年ほど前は300円位だったが、この手形は1万円で購入した。
最近はどこの観光地に行っても、このような通行手形を置いてない。
土産店をはじから見るのだが何処にも見当たらないのが残念だ。
一般的な形の通行手形。
裏にはその地の名所の絵が描いてあるのが楽しい。
通行手形のコレクション
通行手形は観光地のお土産売り場に置かれている定番のお土産だ。
私は旅行するたびにこの通行手形を買い求めてきた。
観光地によって形、色、絵、文言、大きさが違って面白く、旅行の記念として集めてきた。
交通手形は、江戸時代に旅行をする人たちが藩の手形を発行する係から申請して交付されるものだったらしい。
手形は写真のような木製のものではなく文書になっていたようだ。
手形は、現在のパスポートのような物で、特に女性の旅行は厳しく、必ず通行手形を必要とした。
男性は特に手形は必要ではなかったようだが、関所であらぬ疑いをかけられないように手形を持参する者もいたそうだ。
箱根の関所では、入り鉄砲に出女と云って厳しく身元を調べられた。
特に女性は、出女と云って江戸幕府の情報が他藩に持ち出されることを警戒し、箱根の関所では、女性は全裸にされて調べられたと云われている。
入り鉄砲は、江戸に鉄砲などの武器が持ち込まれないように警戒したようだ。
日本の宇宙開発の歴史が分かる
「日本の宇宙開発発祥の地」国分寺にロケットマンホール誕生
国分寺駅北口本町二丁目から早稲田実業学校の「日本の宇宙開発祥の地」顕彰碑までの歩道のマンホールに、宇宙開発の歴史が分かる蓋が9月に設置された。
設置された蓋は全部で12枚、その一部を紹介する。
マンホールの設置されている所が日向だったり日陰だったりで、揃った濃度の写真が撮りずらい。
マンホールの反射で、肝心の絵柄が光って見えなくなることもあり、撮影は結構難しい。
一度実物を見て見るのも良い勉強になるかも知れない。
武州高尾山
武州高尾山 表面
武州高尾山 裏面
近くでは高尾山がある。東京から1時間あまりで行ける。四季を通じて山歩きを楽しめる手軽なハイキングコースとして人気がある。
高尾山と言えば天狗。山伏達の修行の場であったことから、天狗のイメージが出来たのだろう。
ケーブル乗り場前の土産物店で見つけた物。最近は見たことが無い。
箱根関所手形
表面
通行手形には木地のままの物と金色の縁飾りをした物、彫刻した物を取り付けた手形などがある。
この手形は金色の縁飾りを施した物。価格もこちらの方が高価。
裏面
裏面にはこのようにその土地の旧所、名跡等が描かれている。手形は同じ土地でも作りが違う物を売っている場合が多い。特に何年か後にリピートした折に新しい衣装の手形を見つけることが多い。
表面
裏面
同じ箱根関所手形でも裏面に描かれている風景が違うところが面白い。
箱根関所手形
手形の表は概ねどこそこの通行手形と書かれており、裏面にはその土地の名所旧跡等の絵が描かれているのが一般的。
箱根関所手形の色々 表面
裏面
箱根の関所は元和4年(1618年)徳川幕府によって開設。明治2年(1869年)に廃止された。
「入り鉄砲と出女」など厳重な通行取締りを行なった。
関所を通過するものは誰でも関所手形を持たなければ通ることが出来ず、武士は国許の留守居役、町人百姓は、名主や庄屋の発行する手形が必要で、関所ではこの手形の印と予め届け出の印鑑とを照合し、相違ないことを確認して通行を許可した。
手形の大きさは、大名は奉書四つ切、武士町人は、ハジキラズ全紙と決められていた。但し公用又は飛脚用には木製の鑑札も使用された。