1975~1978年頃の新宿西口方面
1960年頃になると新宿西口方面にあった淀橋浄水場を取り壊し、新宿副都心計画が始まった。
跡地に最初に建設されたのが1971年京王プラザホテルだ。
続いて1974年3月、新宿住友ビル、1974年9月新宿三井ビル、1978年5月新宿野村ビルが完成した。
1974年にはまだ、京王、住友、三井、のビル3本のみだった。
京王プラザホテル前には、外国の旗がずらりと掲げられていた。
京王プラザホテル前の道路標識。
当時の都内の車の最高時速は40キロだった。
それ以前は32キロで、当時はようやく国産車が出来て普及し始めた頃で、車の性能も良くなかった。
32キロが妥当な所だったのかも知れない。
老骨が車に乗り始めた頃は外車だった。
社用車はルノーの小型車とジープの改良型の車だった。
道路は舗装された所が少なく、タイヤはのべつのパンク。修理に追われる日々だった。
制限速度32キロでも早く感じたものだ。
三つのビル以外の空き地はバラ線で囲われている所が多かった。
京王プラザホテルの駐車場の出口だろうか。
京王プラザホテルの南館はまだ出来ていない。
手前の広場は都庁が立つ前の空き地だ。
右奥のビルは野村ビルだろうか、建築中のようだ。
NSビル?京王プラザの南館?の建築風景。
記憶が定かではないのではっきりとは分からない。
新しいビルの建築現場を見る人々。
まだ都庁は無い。
京王プラザ、住友、三井、京王の後ろに野村ビル、三井の後ろにはアイランドドタワー?の遠望。
新宿西口公園の裸婦彫像から新宿駅方面を見る。
現在の風景とは全く違う。