踊る
自然光のみで撮影する関係で、出来るだけ明るい所に踊り手が来るところを選んで撮影する。
色々撮るがやはり鳥追い傘を被った女性がメインになってしまう。
特に「さくら連」の踊りが素晴らしかった。
表情が豊かで如何にも踊りを楽しんでいると云う気持ちが伝わってくる。
他の連では初めての参加で緊張していたのかも知れないが、表情が硬く面白味が無い連が結構あった。
踊る
自然光のみで撮影する関係で、出来るだけ明るい所に踊り手が来るところを選んで撮影する。
色々撮るがやはり鳥追い傘を被った女性がメインになってしまう。
特に「さくら連」の踊りが素晴らしかった。
表情が豊かで如何にも踊りを楽しんでいると云う気持ちが伝わってくる。
他の連では初めての参加で緊張していたのかも知れないが、表情が硬く面白味が無い連が結構あった。
男踊り
男踊りには決まった型は無いようで、人それぞれの踊り方をしている。
女踊りと違って動きは大きく激しいものが多い。
全身を使って踊る迫力は素晴らしいものがあり、優雅な女踊りとは違った美しさがある。
ISO感度を上げても、周囲の暗さにシャッタースピードが追い付かず、ぶれてしまう。
しかし部分的なブレは却って踊りの激しさを表現すると云う利点もある。
意識的にシャッタースピードを落としてブレを活かす撮影方法もある。
子供の参加
色々な連には必ずと云って良いほど子供が参加している。
揃いの衣装で踊る子供たち、なかなか上手なものだ。
お囃子にも子供が参加している。
重い太鼓に疲れ気味の子供。
女性も大太鼓を巧みに操るが、何処か重そうだ。
老若男女が参加して楽しむ阿波踊り、色々な表情が見られることも楽しみの一つだ。
恒例小金井阿波踊り
今年も夏のイベント小金井阿波踊りが行われた。
ここを皮切りに、三鷹、高円寺と続く。
今年も小金井の阿波踊りを見に行く。
昨年は動画のみの撮影だったので、今年はオリンパスペンFの夜景撮影のテストを兼ねて静止画の撮影をする。
夜景と云えば、昔の銀塩カメラ時代には、フイルムの感度が低く、ISO100と400,800の3種類ほどしかなく(その前はISO100しかなかった)夜景の撮影など夢の夢だった。
デジカメの時代になり、感度はISO3200など当たり前の時代になり、アマチュアでも簡単に夜景の撮影が出来る時代になった。
昔を知る私にとって夜景が写せること自体が嬉しく心がときめく。
会場は小金井駅前広場から北へ商店を挟む道路で行われた。
6時30分ころ着いたが早や人で埋め尽くされ、撮影ポジションを見つける事が大変だった。
始めの頃は子供中心の連が続いた。
女踊りは、そのパターンと云うか振付と云うか、リズムに合わせて踊るのだが非常に単調で、両手を上にあげている動作と、足を蹴上げる動作のみとも云える。
撮影としては衣装の美しさと踊り手の表情を中心に撮影する事にした。
感度はISO2000にセット、それでも絞りF3.5解放で、シャッターは1/30~40秒位で、動きの早いものは被写体ブレを起こす。
しかしそれが却って動感を表す事になり、結構楽しい表現になる。
庭のへメロカリス
今年も庭のへメロカリスが咲いた。
ニッコウキスゲに似た花だ。
10年ほど前に友人から貰ったものだ。
増やせばいくらでも増えるのだが、鉢植えで5鉢くらいに増やしている。
雨上がりの花。
水滴が美しい。
ペンFカメラでこんな表現もしてもして見た。
特殊なフィルターをかけるだけの簡単な操作だが、表現の幅が広く面白い。
最近これらのフィルターにはまっている。
丸の内中通り
三菱一号館美術館から丸の内中通りを通り、相田みつを美術館に行く。
この通りには美しい店舗が軒を連ねている。
所々に彫像があったり、休息用のベンチが置かれたり、ショッピングを楽しみながら散歩する散歩道のような感じだ。
周りの風景を楽しみながら、相田みつを美術館に着いた。
館内は撮影禁止で写真を撮ることは出来なかった。
我が家にも名言集があるが、彼の言葉を聞くと自分の至らなさがつくずくと分かる。
何気ない日常の中で感じた事、気がついたこと等、一つ一つに納得というか、感動を覚える。
三菱一号館美術館 キャメロン展
20日、或るグループの有志の方々と、東京丸の内の三菱一号館美術館に、ジュリア・マーガレット・キャメロン展を観に行く。
この日は夏日から解放されたやや涼しい日だった。
丸の内中通りにはこのようなポスターが掲示されていた。
展示室の一部に撮影自由と云う部屋があり、数枚の写真を撮った。
静かな雰囲気で写真が観賞できる。
キャメロンは1863年に初めてカメラを手にし、48歳の時独学で写真術を身に着けた。
1815~1879年頃までは単なる記録媒体に過ぎなかった写真を芸術の次元まで引き上げた女性写真家だった。
特に注目する所は、巨匠画家に倣った構図を追求し彼女独特の技法を編み出した事だ。
展示作品の殆どが黒を基調とした、泰西名画的雰囲気を持つ重厚な作風はまさに現代写真芸術の創生を感じさせ感動した。
150年以上前の写真撮影技術としては驚異的なものだ。
湿板写真時代の撮影の難しさを想像するにどのようにして撮影されたのか興味は尽きなかった。
迫力のある肖像写真。
その人物の内面的な感情を余すところなく写真の上で表現するその卓越した写真技術が素晴らしかった。
シジュウカラの子供たち
ヒマワリの種を加えるシジュウカラ
数年前から我が家の庭にシジュウカラが訪れるようになった。
その以前には、スズメ、メジロ等のための餌場を作っていた。
所が我が家近くの雑木林が次々と住宅に変身、鳥たちのすみかが無くなり、我が家を訪れる鳥たちが殆どいなくなってしまった。
代わりにシジュウカラが姿を見せるようになった。
餌にヒマワリの種を置くようになってから、急速に訪れる鳥が増え、朝から晩まで庭で遊ぶようになった。
昨年は、庭の物置の庇の下にかけた巣の中に営巣し、5羽の雛が巣立ちしていった。
今年は別の場所で育てた子供たちを連れたシジュウカラが頻繁に訪れれうようになった。
初めは親から口移しに餌を貰っていたが、今は独り立ちして、自分でえさを採るようになった。
子供たちは朝から夕方まで頻繁に訪れ、木陰で食べている。
我が家を訪問された或る人がお宅は庭で鳥を飼っているのですか?と言われた位,庭で遊んでいる時間が長い。
彼らの愛らしい姿を見ていると飽きる事が無い。
のどの下から腹にかけて黒い帯状の羽毛がある。
私はこれをネクタイと呼んでいる。
個体によってこのネクタイの太さや、形状が違う。
何時だったか、テレビで、シジュウカラは言葉を持っている珍しい鳥だと紹介されていた。
どんな言葉を話すのだろうか。
何時までも我が家を訪れて欲しいものだ。
にいにい蝉?
昨日の朝、こんな蝉が簾に止まっていた。
体長3センチ位の小型の蝉だ。
毎年我が家の庭からアブラ蝉 が20匹位誕生するが、この蝉も多分我が家の庭から誕生したと思われる。
しかしこの蝉を見るのは初めてだ。
この蝉はこの辺りでは夏の初めに誕生する蝉で、私は子供の頃から正式な名前は分からないが「にいにい蝉」と教わってきた。
近年あまり見たことが無かったので、感動的な出会いであった。
これから毎日のように我が家の庭から「あぶら蝉」が誕生する事だろう。
楽しみにしている。
帰途
色々と蓮の撮影を楽しんで、帰途に就いた。
池には、カルガモの親子がいた。何時見ても微笑ましい風景だ。
今回オリンパスペンFカメラを使っての撮影だったが、色々な仕掛けがあってそれを試しながらの撮影でもあった。
一つ気になった点は赤の発色が意外と濃く、自然な色からややかけ離れていたと云う点だ。
撮影時に、赤の彩度を少し下げてやる必要があるように感じた。
帰りはバスで、分倍河原駅に出た。
バス停の前に、新田義貞の銅像が立っていた。
分倍河原は確か、新田義貞が鎌倉攻めの時、戦場になった所だと思う。
それを記念した銅像なのだろう。
久し振りに朝早くから花の撮影を楽しも事が出来、充実した時を過ごすことが出来た。