最近、お気に入りの新訳シリーズです。
中学生、或は大学入学後に大学の図書館で読んだ旧訳とは違い、かなり読みやすい、いや、親しみやすい日本語です。これなら、このシリーズすべて読破出来そう。
『ジェーン・エア』(又はジェイン・エア)を書いたシャーロット・ブロンテの妹、エミリー・ブロンテによる『嵐が丘』
ジェーン・エアの方は、氷室冴子さんによる『シンデレラ迷宮』にジェーンが登場することから、中学時代に読んでいましたが、『嵐が丘』の方は挫折。 大学生になって、読み返してみようとするも、またもや 「お化けだか何だか知らないけど、そんなものまで登場させて、気持ち悪くなった」
「ヒースクリフの激し過ぎる愛と憎悪のなんと、恐ろしいこと!」
実際、彼が愛したキャサリンを奪った相手、エドガーに対する復讐劇だけにとどまらず、その娘、キャサリン(キャシー)、初代キャサリンの兄、ヒンドリーとその息子、ヘアトン、更には無理やり妻にしたのは恋敵、エドガーの妹、イザベラであり、わが子でもあるリントンまで虐めて... なんて男なんだ!
自分のこれまでの人生で接した、どの主人公にも、こんな奴はいなかった! 実際、ここまで卑劣な男がいただろうか?という男がいわば主人公。
キャサリンにしたって、好感が持てる女性ではなく、高飛車な感じ。
これでもか、これでもか、というほど人間の内面の嫌な部分を読まされて、気分が悪くなって、暴力シーンも暴言も最悪で... 中学生、或は大学生となった自分には刺激が強すぎました。 今でもそうです。
『秘密の花園』には我儘な主人公メアリが登場しますが、そんな非ではない。
『嵐が丘』では、これらの主人公たちが、ほんの少しですら改善していく 兆しさえ見えないまま、物語はどんどん進んでいきます。
悪い方へ ... 悪い方へと...
アガサ・クリスティーだったか、誰かが昔、
「愛の裏返しは憎しみではない。無関心だ」
と言ったというのを聞いて、その通りだ! と数えきれないほど人生において(笑)実感し、思ったものですが、本であれば、『嵐が丘』が代表格ですね。
ヒースクリフの愛した人がこの世を去った後ですら、その娘や、彼女に関連するすべてを憎み、復讐し尽くすのですから。
この異常なまでの執着心は何処からくるのか、どうしてなのか。
物語もいよいよ最後の方へ差し掛かってきた時、分かってきます。
ここは『グレート・ギャッツビー』と同じですね。 前半は特に 「気持ち悪くても」我慢して読めば、小説として面白くなってきます。ヒースクリフの心の内側、いや、根底にあるものは何なのかを知りたいと次第に思うからでしょうか。
主人公の一人、キャサリンの台詞に、「私はヒースクリフなのよ」というシーンがあります。一方で、キャサリンが亡くなった時、ヒースクリフは自分の半分は死んだ、といい...
「私は、私。あなたは、あなた。一対になんて、絶対になれやしない。適度な距離感は、親しい間柄にこそ大事なこと」
そう思っている自分には、到底理解できそうにない、と。
...だから...でしょうか。
この男、ヒースクリフの結末に唖然としてしまったのは。
私が唯一、登場人物の中で最初から最後まで好感を持てた女中のネリーと同じく‼!
ちなみに、この物語はネリーが第三者に語るという形で進みます。 「ネリーは見た!」です。私はここに、怖いもの見たさで耳を傾ける人となったわけですが...
解説者は、ネリーという語り口により、そこにワンクッションあって、客観性が生まれた、とみています。
激しい愛が生んだ憎悪と一心同体な二人の魂の物語...
扉を開くなら... 「今」かも?
映画も30年前で忘れてるし😅
外国の本は,翻訳者によって随分印象が
変わるもんなんでしょうね~
「愛の裏返しは憎しみではない。無関心だ」
なのかそれともやっぱり、愛してたぶん,それが憎しみに変わるのか、
現実ではどちらのパターンが多いのでしょう?
どちらも怖~い。
自分の場合好きなものはずーっと好きなパターンしかないですね~
いやむしろ益々愛が深まっていく?
おはようございます。
数えきれないほど恋をしてこられたすずさんの実感ですか?
愛の裏返しは無関心。
そうだったとしたら、ドラマの脚本家は困るでしょうね。
愛憎劇のどろどろしただラマはつくれない?(笑)
素晴らしい読後感が、読んだ気分にしてくれます! 感謝!!
でも、愛している人に裏切られると、愛の深さに比例して恨みが募るのが一般的な気がしますが・・・。
「嵐が丘」は実に多くの方たちが翻訳しているのですね。
ネットで見たのですが、小野寺健さんのこの新訳は評判(?)が良さそうです。
子供の頃、たくさんの本を読み、深く考えることもなくこの嵐が丘についても登場人物も多く、恋物語なのか怪奇小説なのか残虐物語なのか分からないままだったと思いますが・・・
優しく思いやりのある父親が亡くなるとヒースクリアに対するヒンドリーの態度・・その中で愛を育むようなヒースクリアとキャサリン・・・
単なる恋愛小説でも復讐劇でも悲劇でもなくそこに語られるものは何なのか・・にはいろんな解釈ができると思いますがヒースクリアとキャサリンが考える愛の形と実際の行動・・・
軽薄とも思える勝手な行動(?)をしながらも最後まで愛を貫き通そうとする姿をどう見るか・・・あらためて読んでみると自分なりにその場面場面を少し理解できるかもしれません。
広大な土地を訪れたロックウッドが最初に見た嵐が丘と後に訪れたときの嵐が丘・・・
家政婦ネリーの話や説明にはネリー自身が登場人物たちにどのよう感情を持っていたのか・・・それによって評価され、語られたという点があるのか無いのか・・など・・
これは私自身がその判断をすべきなのかも?・・・
というわけで興味関心は膨らみます。
エミリー・ブロンテが生きた時代にこのような小説が認められ、許されたのか・・・おそらく大きな批判はあったと思いますが、現在まで高く評価され続けた理由やその意味などももう少し知りたいと思うのですが・・・
私も主人公の名前とか、詳細は忘れていました。
お化けが出てきて、怖いし、登場人物は誰も好きになれないし...
そんな印象だけ残っていました💦
映画にもなっているんですね!
怖いだろうな、映像も!
おお~
ますます好きになる!💕
奥様、お幸せですね!
御馳走様でした~
憎しみは愛すればこそ、生まれる感情!
おっと、男女間の場合は、ですけど。
何とも思っていない人には、そもそも関心がないですからねぇ。
片思いの人は、もっとつらいかも?
数えきれぬほど???
いえいえ、片手の3本の指で数えられますね。
私の実感は、恋愛のみならず、人間関係において~といった方がよいです。
例えば、執拗に私の悪口をネットに書くリアル知人がいたら、(実際、いたんですけど、今は知りません、みてないので)
「こっちは全く彼女に関心なかったのに、一緒に仕事をしていて、こんなに書いていたとは! 私が職場を去った後も! よほど私のことが好きなのねぇ」
そういった実感ですねぇ。
なんか、勝手にライバル心を燃やされることが多いです。なぜだろう…? 私なんかより、もっと上を目標にすれば伸びるだろうに...と可哀想になってしまいます。 それ以上は無関心。
男女間は。。。
憎しみを抱く、ということは、それだけ愛していたのでしょうね。
自分の想い通りにならず、憎くなる...
そもそも愛してどころか、なんとも思っていなければ、無関心でしかなくて。だから愛の反対は無関心。
柏原芳恵さんの「春なのに」
まさしく、あれですね。
「ところで、君の話って何だったの?」
好きな人とは、用事や話がなくても、一緒にいたいものです。
それだけで満足。
男だって、話があるの? なに?
なんて好きな相手には言わないでしょう。
勿論、女子も。
なので、あの卒業式の場面で、あのセリフはΣ(゚д゚lll)ガーン
思いっきり傷付くというか、諦めるでしょうね。
告白せずとも失恋だ...と悟るでしょうし。
fukurouさんやみみさんのブログと出合うまで、昆虫や花に殆ど無関心でした。
最近、野花にも、ふと目が留まるようになり、自然に対する「愛」が芽生えつつあるのかも?
どちらも、良い印象はないです。また読みたいという気にはなりません。
>よほど私のことが好きなのねぇ
チョット笑ってしまいました。 良い考え方だと思います。
>勝手にライバル心を燃やされることが多いです。
すずさんに嫉妬してるんでしょう。かわいそうな方・・・心で、そういうことは生じても、
ネットで発信はいけませんね・・・ブーメランのように自分にかえって来るでしょうに・・・
愛から憎しみに変わるのは、相手を心から愛しているのではなく、自分可愛さかな(*^^*)
>自然に対する「愛」
本物の愛ですね。憎しみには変わらない♡
どういたしまして~(≧▽≦)
代わりに(?)読ませて頂きました!
今週からECCレッスン開始で、先ほどはコメントのお返事の途中で、リモートレッスンに切り替えまして...
そのあと、NHKで橋田寿賀子さん特集があり、観ていました。
コロナ禍のドラマの企画中だったそうで、残念でなりません。
観たかった~~~~!
highdyさんは、小説は読まないそうですけど、ドラマは観たりするのでしょうか?