日々のあれこれ

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宇佐空軍基地から飛び立った特攻隊員

2019-12-15 08:21:17 | Weblog

 昭和20年8月15日、終戦日。宇佐空軍基地から宇垣大佐率いる特攻隊が沖縄を目指して飛び立った、らしい。

「夕方4時頃、実際に見たとですよ。何故、飛んで行くとだろうか…? 戦争は終わったのに」

不思議に思ったと、語る人。深夜に放送されたEテレの番組を観ながら、私も驚いた。初めて聞く話なので、思わずメモ用紙を取りに行き、テレビの前に座った。

 この番組は、終戦当時、まだ3歳で、特攻で亡くなった兄のことを一切知らずに育った妹が、兄のことを知りたいと強く願い… その願いに何とか答えたいと、当時のこと調べ訪ね歩く彼女の孫… つまりは戦後75年も封印されたままだった渡邊氏の足跡と知られざる想いに、3世代を超えて、ようやく辿り着く物語だった。

 

 福岡県北九州市出身の渡邊よしのりさん。17歳で予科練に入隊し、厳しい訓練に耐え抜いた末に卒業。

「おっとりした性格で、機敏さに欠けたから、(しごきのような訓練は特に彼にとって)相当辛かっただろうが、良く頑張ったと思いますよ。笑顔で周囲をなごませる人だった」

と、予科練で渡邊氏と同期で寝食を共にしたという男性が語っていた。渡邊氏はその後、宇佐空軍基地へ配属。

彼が一次的に福岡へ帰省した際、近所の人達も渡邊家、本家へ詰め掛けたそうだ。子供達にとっても憧れの的。近所に住んでいたという、当時を知る人が、渡邊氏の母親も誇らし気で嬉しそうだったと話していた。母も「戦地へ積極的に送り出した」として表彰されている。(戦後は一転、ひっそりとし、寂しそうだったと…。)

 そんな渡邊氏のその後の運命を決定づける作戦が発表される。いわゆる特攻;菊水作戦だ。これを指揮したのが、宇垣大佐。この作戦により約2千人が戦死。最終的には約4千5百名の特攻隊員が亡くなっている。

 渡邊氏の母は、夫を戦争で早くに亡くし、10人の子供達を女手独りで育てた。戦後になって息子の渡邊よしのりは、4月6日に特攻で亡くなったという知らせが届いたが、どういう訳か、他の子供達には、

8月15日の特攻で戦死した」

と事実とは異なる話をしていたらしい。この新事実については、孫が訪ね歩く内に分かったのだが、そのことをまだ家族の誰も知らずにいる時点でのことだ。当時3歳だった祖母と祖父が孫の前で、意見を交わすシーンが印象的だった。

「8月15日って…戦争は終わっていたのに、無駄死に…だ」と祖母。

これを受けて祖父は諭すように言った。

「無駄死に などと、一番言って欲しくない言葉だと思うよ。当時の時代を今の(平和な)時代の価値観だけで物事を見ちゃいかん」

 

 もう一つの印象的なシーンは、不時着により生き残った元特攻隊員の話。

特攻前日に撮影された写真を見ながら~

「当時は、辛いとか、哀しいとか、泣き言は一切言えない時代だった。自分は日本男子として、どのように死ぬかを考え、生きることを考えられなかった、あの状況下で、二十歳にも満たない自分の人生、これでいいのかと。

この方(渡辺氏の写真を前に)も、色々と想うことはあったと思うよ。

だからこそ、語ることが出来なかった本心を写真から くみ取ってやらんといけない」

 

  一つ、一つ、或は一人、一人を訪ね、当時の話を聞き、事実が分かっていく度に祖母に伝える孫。資料館を訪ね、4月6日に戦死したことを知った後、本家から孫に連絡が入る。仏壇の奥に「4月6日戦死」を知らせる紙が母の元に届いていたのだ。何故、母は事実を変えて子供達に伝えていたのか? 8月15日の終戦日に搭乗員となり出撃した十数名がいたことも事実だが…。 (ここから先は自分が感じたことです;母は戦前の自分自身を責めていたから? 我が子を喜んで戦地へ送り出す訳はないものの、あの時代がそうさせたのであって、「兄は終戦後に亡くなった」と伝えることで、(実際、無駄死にじゃないか、という言葉が妹/祖母から飛び出したように)反戦への想いを生き残った子供達により深く伝えたかったから? 何よりも悔しいから 哀しいから 最後まで子供達に兄のことを伝えなかったということは、母の戦争は死を迎える直前になっても、生涯終わることは無かったから…)

 

 

 宇佐基地の滑走路を車で走り、最後に戦没者慰霊碑に献花。慰霊碑に刻まれた兄の名前を撫でながら、「やっと来たよ。遅くなって御免なさい。」と泣き崩れる祖母。三世代を超えてやっと家族に届いた兄の想い。これは4千5百名いたとされる特攻隊員の内、たった一人の物語に過ぎない。埋もれたままの声…  声なき声… 

 

 2歳まで私も宇佐で過ごしたこと。宇佐基地があったことは知っており、資料館も行っていますが、慰霊碑があることは知りませんでした。偶然にも渡邊氏のご実家は、今、自分が住んでいる北九州市であることも、何か感じるところがあり、ここに記しておくことにしました。

 

 

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2 Comments

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脱国民洗脳はベンジャミン・フルフォード (脱国民洗脳はベンジャミン・フルフォード)
2020-08-07 09:25:08

国民電波洗脳による、テレビ、新聞、週刊誌、ラジオ等の、嘘八百の洗脳情報と、嘘と騙しの仕掛けと、策略に満ち溢れた世の中で、思考停止状態にある日本人は、自分自身の脳、すなわち思考そのものを点検せよ! 騙しと、策略の煽動に乗せられるな! 我々はハッ、と気付いて、いや、待てよ! と立ち止まり、常に注意深く、用心深く、警戒し、疑いながら生きれば、騙されることはない。 全ての常識や事柄を疑うべきだ!

https://benjaminfulford.net/
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Hi, Benjamin! (すず)
2020-08-08 00:00:33
I opened the link and read your blog about Covid-19.
I guess you are a native speaker of English, so I am writing back to you in English.

Do you know anything about the 特攻隊? Why do you think most Japanese journalism are wrong? Sorry, but I am just curious about that.
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