診察室へ呼ばれるまでが長いため、お天気は良いし、外へ出て、かかと落としをしたり、周辺を歩いたり、ちょっと疲れたら日向ぼっこ。15分に一度くらい、待合室を覘いてみて、呼ばれていないか確認。その間、レントゲン検査の先生やリハビリの先生など、行ったり来たり。(別棟にもあるので)そのたびに、「こんにちは~」 再び戻ってこられた際は、「お疲れ様です~」の繰り返し。私より後に受付した方も、座る場所がない!と分かると外へ出て、その内、お一人はかる~く身体を動かしていらっしゃった。(お!仲間じゃん!)「あ~寒い。中、入ろう!」といい、10分後には室内へ~ 私には丁度良い気温。(日中15度くらい?)ぽかぽか日が照っていたので、体感温度は高く感じました。動いていたからかな。
1時間もすると、流石に疲れたというよりは、飽きたので、室内へ~ その後、しばらくの間、待合室に設置されたテレビを ぼ~っと眺め、たいくつな時間が流れていく感覚。ワイドショーの「桜を観る会」シュレッダー処分がどうの、こうの、と言っていたが…?
突然、速報が流れたのは、そんな時! 中曾根康弘氏、死去。101歳。
待合室にいた人の内、複数の方から何らかの声が漏れ、「101歳かぁ… 結構なご高齢だったんじゃな」「101歳なら…ねぇ…」「中曽根さんが…」
たまたま待合室で居合わせた方々の声を耳にし、改めて、あのロンヤスの中曽根さんの存在の大きさを知ったというか、何というか。私が中学、高校の頃の総理大臣で、いよいよ昭和も終わったのか、と今頃、実感するという…
「おじさん、誰だか知ってる?」
と、中曽根氏に尋ねられた小学生の男の子は、元気よく、
「なーかーそーね~!」
と答えたな、とか。
あの子の親は自宅で総理を呼び捨てにしているんだな、と思ったんだっけ、とか。
ちなみに いつもローカルニュースで当時の北九州市 市長、末吉さんをテレビ画面を通じて観ていた甥っ子ゆうちゃん。
7月の暑い盛り、お祭りの式典で挨拶をしようと檀上に上がった末吉市長、ご本人を見上げて、大声で嬉しそうに叫んだんだった。
なんたって、なま、末吉さんなんだから、甥っ子の興奮といったら!
「あ~っ! 末吉さんだぁ~!
」
当時、3歳。 むんむんとした熱気の中、法被姿の男たちが、一斉に甥っ子の方へ(≧◇≦)顔を向けた!
末吉市長、ご本人にも聞こえたのでは…? 私はいつも「末吉さん」と呼んでいたからね。大人の姿勢は幼児にも伝わるもの。
あんなこんなを思い出しながら、
勿論、中曽根氏とおない歳だった祖父のことも思い出し、
生きていたら、祖父も101歳だったのか…と感慨深く…。
レーガン、サッチャー、ゴルバチョフさん…と世界のリーダーも存在感があった、昭和の あの時代。
ご冥福をお祈り申し上げます。
同感です!
日本に限らず世界のリーダーが、それぞれに存在感があった気がします。
勿論、自分が子供だったから、余計にそう感じたのかもしれませんが、トランプみたいなのが大統領になる国になるなんて…
予想外でした。
今はアメリカでさえも、大統領候補がトランプとヒラリーしか居ないの?って思ったっけ。