日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

「ただいま」より先に…

2016-10-06 23:49:07 | Weblog

玄関を開けると同時に、

「サッカー、どうだった?」

途中まで1-0で勝っていたが、21時以降、NHKニュースにチャンネルを変えたので、分からない、と母。

時刻は、あと10分で22時。ちょうど、ニュースの枠内で「スポーツニュース」をやっていた。

「今のところ、テニスの錦織選手が出て、大リーグの選手が出て…」

私がテレビ画面を見たときは、女子のラグビーだった。

サッカーについては、まだ何も言わないという。

「でも、普通さぁ、もしも勝っていたら、一番にいうよね。それを言わないということは…つまりは…その…」

 

きっと、負けたんだ…。

すでにあと4分で22時だし…。

放送時間も終わる…。

 

もう、負けたんだな…と思った時、

「アディッショナルタイム6分の間に得点して勝った!」というじゃない!

ドーハの悲劇の逆バージョンみたい。

良かった…です

 

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見つけた!

2016-10-05 23:38:33 | 読書

 9月下旬、遂に読み終えた長編全43巻からなる『ローマ人の物語』著:塩野七生さんも著書の中で何度も引用している弁護士であり、政治家でもあり、多くの書簡、著書もあるキケロ。彼は同じく魅力的な文章を残しているカエサルと同時代に生きた人‼ 塩野さんの歴史書を読みながら、最も面白かったのは、カエサルとキケロのやり取り。キケロの目を通してカエサルを描いたら、どうなるだろう。そんな映画、ハリウッドが製作してくれないかなぁ…映画のシーンのようにキケロとカエサルの姿が浮かぶ時が何度かありました。

 そんなキケロの著書、できれば書簡が読めたらいいなぁ…と思っていたら、あったんです!図書館に! 早速、借りてきたのは、『友情について』という著書。スキピオ・アフリカヌスの死の直後、まだ悲しみも癒えぬ友が心境を語る、、、、という形式でキケロは友情について書いているようです。まだ、ほんの数ページしか読んでいないのですが… スキピオ、この名も懐かしい響き! この秋の楽しみに、ゆっくり読みたいと思います。なにせ今日は土曜日にある研修の課題準備、そして父の内職の手伝いをしておりましたので…(ポスティングの折り込み…配る作業より、こっちの方が時間がかかる!)

 ここからお題について、答えますが、「実写化してよかった作品は?」ズバリ!「風と共に去りぬ」です。小説は高校を卒業した直後の春休みに読みました。映画を観たのは、(レンタルビデオでしたが)大学に入学してすぐ。原作にとても近くて、感動的でした。原作の方がずっと良かったと思うことが、それまで多かったので、特に印象に残っているのかもしれません。

 もう一つ、この映画の魅力は、小錦そっくりなメイドさんが登場すること! ここは大笑いしました。あまりに似ていて! ウケること間違いなし…って、そんな理由だけで選んだ訳じゃないですけどね(^_-)-☆

 

 台風も温帯低気圧に…大きな被害は出ていないようで、(きたきゅうでは、トタン屋根が飛んで、屋根の瓦が…という被害をローカルニュースで見ましたが…)取りあえず、ほっとしたところです。10月に入って台風というのは、自分の記憶にはないです。それに今日は全国で北九州が最も気温が高かったようで、10月5日に30度を超える暑さも初! 週末に再びお天気が崩れるようでして…

 

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臨時休業

2016-10-04 22:47:23 | Weblog

 台風で明日は臨時休業となりました。(今、メールを確認)明日は降ってわいたようなオフなので、今週末に予定されているECCジュニア研修の準備をしようと思います。研修自体は、”台風が去った後” になりそうなので、私は影響を受けずに済みそうです(お電話ありがとうございました!!)「10周年、おめでとうございます!」と仰っていただき、恐縮です。なんだかピンとこないのですが、(気付いたら10年が経過していた…に近い)10年目を迎えられたのは、これまで続けてくれた生徒さんや、ご指導頂いたスタッフ/講師の皆様のお陰です。私からも感謝状を~

 

 そして我が家は塗装工事中… 本日、3日目。熊本地震後、母と二人、自宅を見て回ったら、

「ちょっと!縦に新しい亀裂が入っとるやん!2つはあるよ!

前回の塗装から14年が経過しているので、そろそろ…とは言っていたんです。お向かいの〇〇さん宅が綺麗になっていく様子を眺めていた私たち…。その間、ずーーーっと 知りたいことが1つ、ありました。それは…

14年前、甥っ子が まだ1歳の誕生日を迎えたばかりの頃、我が家を塗装して下さったスペイン語のお兄さんが今もメンバーの中にいるのか、否かってこと。スペイン語のお兄さんは、「うわあ~っ!毛虫に刺された~っ!」と大騒ぎしていた毛虫のお兄さん…でもありました。5月で毛虫が異常発生する時期でしたから 母は、「ゆうきが生後7か月の時だった」と言いますが、5月生まれのあの子が生後7か月の時って、真冬の12月ですよーっ! 恐らく12月の寒い時期、(年度は違いますが…3~4年前)畳と襖の入れ替えをしたので、母はあの時と勘違いしているんだろうなぁ。和室の畳を剥いだあとを覗いてみると、重い家具があった故、動かさずにいた場所には なんと青カビ黒カビ!!! 咳こみながら涙目になって掃除機をかけたので よく覚えてる…。畳の奥は要注意 「予約したクリスマスケーキを貰ってくるよ~」と両親は私を一人残し、すなわち青カビ掃除を私に託し、ケーキ屋さんへ行ってしまったんだった…

 

話がズレました…。

 

今朝、玄関先に親方が来られました。 朝のご挨拶もそこそこ、お顔を拝見するや否や、チャンス到来とばかりに、

「14年前の方ですか?」と聞こうとしたら、逆に質問されました。

「〇〇は?」

私の耳には IDOと聴こえました。

「井戸?」

度重なる震災に備えて、この際、井戸も掘っておくかって、そんな訳ないし…。

もう一度、聞き返すと、「IRO」でした。それでもピンとこない私…。

親方曰く、

"Color"

"Oh, (you mean) Color!!!"

実は、塗装する外壁の色は何にするか、決めて下さいと、母が言われていたそうで、私も色の一覧表を見せてもらっていたのでした…。カラー、すなわち色ねぇ…いろ。

 

その後、

会話に加わった母が中心となり無事に何色にするか、決定致しました。

・・・・

 

夕食時、母曰く、

 

「日本人同士で日本語が通じない… 英語で通じ合うって一体…

 

 

徐々に風が強くなってきたみたいです。大漁旗のような音が聴こえる… 明日はの中で一日過ごしますっ 勿論、我が家の塗装もお休みです… 本日は暑い中、皆様お疲れ様でした‼

 

 

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10月

2016-10-03 07:09:23 | Weblog

 すでに10月です。しかも昨日は2日。

季節感が分からなくなるような、日中31度という気温。しかも蒸し暑くて。勿論、朝夕は涼しいですが…。

自分の記憶にある10月で最も暑いんじゃないかな。一日の中に四季があるといわれるオーストラリアみたい…。

勿論、あちらは耐え難い夏でも冬でもないですが…。

昨日は空気も悪くてPMも最悪(ほぼ80)だったそうで、ローカルニュースを見て納得! 

段々、住みにくい地球環境になっていきます。これも自分たちが原因を作ってはいるんですが…地球温暖化。

 

 暑くてお風呂を沸かさずシャワーが多かったからか、今年の夏は昨年度の同じ時期と比べ、ガス代が1000円近く安かったです!

その一方で電気代は上がりました。冷房使用時間が昨年より増えたからでしょう…。

セーブしようとすれば、熱中症の危険。空気も悪い。難しいところです…。

 

 では良い一日を~

 

 

 

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タム、引退…長い間、お疲れ様でした!そして「夢をいっぱいありがとう!!!」

2016-10-01 17:51:51 | ホークス

中日多村が涙の引退「いいプロ野球人生を送れた」

今、視界に飛び込んできた衝撃ニュース!

ずっと、多村選手…今まで通り、タムと呼ばせていただきます… ホークスからトレードで横浜へ、そして特に昨年からドラゴンズへ移籍になって以降、とにかく”情報が入ってこなくて” やきもきしていました。まだ、横浜の時は球団の公式フェイスブック等で状況も知ることができたんですけど…。怪我なく元気で頑張っていると信じるしかありませんでした。ドラゴンズファンの数名にも聞いてはみたんですけど…分からないみたいで…。

 

タムといえば、もう~語りつくせないほどの思い出が…王監督とタム。WBCでの活躍、王さんが声をかけてくれて、ホークス入団という夢のような展開!

そして、生涯、忘れませんよー

秋山監督にかわったあとも、タムが4番で大活躍して念願のリーグ優勝を果たしたのは…そう、私が高齢者のグループホームで働いていて、夜勤もあり心身ともにしんどくて多忙だった時期。あの年、惜しくも日本一は逃しましたが、タムと日本一になる!という夢ができた!と言い聞かせたっけ。

 

WBC同様、ホークスでも魅せてくれた身体を張った守備!華麗なプレー!ヒットを打った時、塁上で見せる笑顔。川崎宗りん選手会長も言っていましたね。「多村選手の魅力は?」ときかれ、「笑顔の眩しさ」

いっぱいの笑顔、怪我で苦しんだ時、ベンチでも必死に応援していた時のタム、そんな中、久々のヒーローインタビューでの涙。(あの時は生ではラジオで聞いていて、翌日、ホークスのサイトで映像でも見れたのでした)

すべてが まるで 昨日のことに思い出されるんですけど…。

いつもファンを大事にしてくれたタムに 心からありがとうございました!と言いたいです。

しばらくはご家族とゆっくり過ごして頂いて…

是非ぜひ、また、ご家族揃って福岡の地へおいでくださいませ!

ホークスの指導者として。バッティングコーチでも、守備でもなんでも、精神面でもタムは素晴らしい指導者に絶対なれる!

福岡の、ホークスのユニフォームを着たタム、また見たい!

首を長くして待っています!!!

 

そして長い間、ほんとうにお疲れ様でした。

 

 福岡のファンより

 

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ローマ人の物語 ローマ世界の終焉

2016-10-01 00:32:11 | 読書

 ローマ人の物語もいよいよ最期の時を迎える… 読書はすでに完了!!!しているのだが、なかなか日記に記す機会が… 本を返さなきゃいけないし、いい加減、書いておかないと。…ということで、秋の夜長は 読書体験(感想等を記すことも含めて…です)

 前回、「キリストの勝利(上・中・下)3冊の感想を書いた時、「寛容の精神を基盤としたローマ世界に戻そうとした最後のローマ人らしいローマ皇帝」について書いた。今回は、とうとうキリスト教に飲み込まれ、ローマ帝国の国教となってしまったキリスト教世界の中、ローマ人の精神で『お飾りのような皇帝』を支え続けたが故に、哀しい最期を迎えることとなってしまった、将軍スティリコについて、少しだけでも書いておきたい。彼はローマ化したバルバルス、つまり部族出身の父とローマ人の母を持つ混血のローマ人だった。カエサル以降、ローマが最も繁栄していた時代には、混血であることで差別されるようなローマ社会ではなかったらしいが、ローマが衰退していたこの時期、4~5世紀のローマはスティリコには生きずらい時代だったのかもしれない。(semi-barbarusなので) しかし、彼こそ近代の歴史家から、「最後のローマ人」と呼ばれているらしい。異民族であろうが積極的に登用したカエサルや元老院時代に生きたローマ人と同じ考えをもった人、それがスティリコであったのだった。

 彼は帝国末期、皇帝テオドシウスに認められた。遺言として皆の前で発表された内容は、皇帝が亡くなったのちのローマでは、跡継ぎであるまだ幼かった皇帝の息子二人の後見人にスティリコがなる、というものだった。それだけ皇帝の信頼が厚かったということで、更に皇帝は軍で実績を上げてきたスティリコを「軍総司令官」に任命。この地位にいた人は、彼のほかに一人しかいない。著者の塩野さんが仰るには、もし、スティリコにさえ、その気があれば、皇帝亡き後、その息子二人を亡き者とし、(実際、末期のローマでは、そんなことが多かった)自分が皇帝を名乗ることも可能な状態だったが、彼のその後の行動は、そのようなことを考えることすらしなかったことを示している。新皇帝は10歳。軍総司令官であるスティリコは軍を指揮する立場。ことは「簡単」であり、もし、そうしさえすれば、その後、10歳から体だけは大きくなった無知な皇帝、ホノリウスに殺されずに済んだのに…。ホノリウスは気は弱いが決して悪い人ではなかったらしいが、スティリコと敵対していた側近に欺かれ、スティリコを死に追いやるサインに判を押したのだった。死期を悟ったスティリコに向かって軍の兵士たちは、「もしも あなたが剣を取るのであれば、我々はあなたに従う」というものお多かった。しかし、それは、スティリコにとっては亡き皇帝と交わした13年前の誓いに背くことを意味する。ローマ人であることを放棄すること、となるのだ。どうする、スティリコ! 自分の命か、それとも…。スティリコは迷わない。命を捨てても越えられない一線だと覚悟を決めたのだった。 皇帝に呼ばれたスティリコは、剣を自ら渡し、死刑となっている。もし、彼が剣を取る選択をしたならば、もしかしたら、ローマ帝国はスティリコの手によって、立ち直ったのでは…?と考えてしまう。だが、誠実でローマ人である彼は、亡き皇帝を欺くようなことは出来なかった。ただただ、幼き皇帝を 成人したのちも、気が弱いだけの皇帝とローマを支え続けた哀しい生涯だった… その先には、「ローマ劫掠(ごうりゃく)」という不孝があるのみ…だったのだ。

  ローマ人が行くところには、公共事業がある。橋があり、道があり、水道があり、清潔に保つことで疫病から人々を守ったテルマエがあった。何より人々が安心して暮らせる平和があった。5世紀になると、ローマの国境周辺からあらゆる部族が奪略を繰り返しながら侵入してくるようになる。橋や水道、ローマ街道の修復整備も疎かになり、度々ローマ市民の暮らしも脅かされるようになっていた。中でもゴート族とアラリック。スティリコが生きていた頃は、彼らと同盟協定を結ぶことで、(4千リブレを払うと約束し…)平和を維持で来ていた。しかし、この協定を結んだ本人、スティリコは死んでしまった。金を払うという約束は反故になったと皇帝は思ったようだが、それではゴート族率いるアラリックは納得しない。「金を払え!」とローマに迫ることになる。三万の軍に城壁を囲まれた皇帝、市民はゴート族の恐喝に屈する。そして一度、屈せれば、その後も続くことになり、紀元410年8月24日、遂に 「その時」はきた。

 ローマの建国は、紀元前753年。それから数えれば、一千一百六十三年後。800年にわたって不落の都であったローマ(紀元前390年に起こったガリア人襲来以来)「世界の首都」として栄えてきた首都ローマは、わずか5日間で「劫掠」された。

 この世界的なニュースについて、イタリア生まれの聖人、ヒエロ二ムスは友人にあてた手紙で次のように書いた。

「西方から世にも恐ろしい知らせがもたらされた。ローマが包囲され、住民の命と引き換えに黄金を払わされたというのだ。ところが、身ぐるみ剝がされた後も再び攻め込まれ、今度は、持ち物すべてを失っただけでなく命までも失うことになった。…途中、略…

 世界中を制覇し支配下においていた都市が、今では族の前にひざを屈している。…略」(250ページ7行~)

 

 生き残った人もローマを捨てる決心をしたようだ。生まれ故郷のガリアに戻る決意をしたナマティアヌスは、「帰郷」と題した長編詩を書いた。属州生まれの公人で、行政の最高責任者まで務めたらしい。とてもとても心に残る長編詩なので、一部をここに抜粋したい。

 「ローマよ、あなたはこれまで数多くの民族や部族に分かれていた人間たちを一つの国家に統合し、その彼らに法による公正を享受することを教えたのだった。 たしかに、初めはわれわれはローマに征服された。だが、ほどなくそのわれわれも、ローマの許(もと)で生きる良さを実感するようになる。なぜならローマは、強大な軍事力を持ちながらも その行使は自制することで、軍事力すらも より効果的に活用することを知っていたからである。その結果、ローマ帝国に住む人々は、ローマの法の許で、自分たち固有の風習は維持しつづけながらも、それを共有しない他の民族と共生することを学んだのだ。ローマ帝国自体が、多民族の集まった連合国でもあったのだから。

 …

 ローマによる平和は、我を忘れた自信の賜物ではなく、ローマの栄光は、自分たちだけではなく、帝国中の才能を結集したところから生まれた。ローマが支配者であったのは、このように彼らには、他を支配する資格があったからである。

 とはいえ、しばらく前からローマは苦悩から起ちあがれないでいる。だが、いつかはローマにも、傷も治り四肢にも再び力が戻ってくる日が来るだろう。

 …

 ローマの敵は、今や凱歌を上げているが、いつの日か彼らにも尾羽打ち枯らすときがくる。あのハンニバルさえも、ついには自らの成功を嘆くしかなかったのだった。

 敵はローマを廃墟にしたつもりでいるだろうが、いつの日かこの廃墟から新しいローマが生まれてくるだろう。かつては豊かだったのが今では荒廃し見捨てられたライン河地方にも、いつの日か再び人が戻ってくるだろうし、ナイル河沿いの土地も再び西方に大量の小麦を運んで来れるようになるだろう。その時は、イタリアだけでなくヨーロッパ中が、質もよく量も多い葡萄酒の産地になっていることだろう。」

 (256ページ10行目~258ページ2行目から抜粋。塩野七生:著『ローマ人の物語(41巻)ローマ世界の終焉』新潮文庫 平成23年9月1日発行)

 

 この詩は船の上で書かれ、彼のその後の消息は分かっていないらしい。彼は当時、40代だったというから、今の私くらいか…。彼の詩ほどローマ帝国が それまで世界にあって、どのような覇者であったのか、統治者として歩んできた長い歴史とその繁栄…滅亡…虚しさ哀しみを語ってくれているものはない。ローマによって征服された属州ガリアに生まれ、ローマ人として公人であった彼が語るからこそ、私のような者の胸を打つものがある。

 

 ローマ人の物語は43巻まで続く。勿論、すべて読んだが、私の要約は、ここまで…で終わりにしたい。無知な私にあらゆることを教えてくれた、著者の塩野七生さん、そして古代ローマ帝国に尊敬と感謝を込めて…。

 

「日本が台湾を放棄しなければ、見捨てなければ…」年末旅した台湾で、ガイドさんが語ってくれた日本に対する想いを思い出した。李登輝さんが著書の中で語る、日本に対する想いと何故だか重なる部分も…。ダム、水道、治安の良さを当時の日本は台湾にもたらしたのだと現地の人が教えてくれた。戦前の日本はすべて悪!と言われがちだが、(日本人でさえも)古代ローマ人のような日本人も史実の中にいたことを先祖に感謝し、良いことは良いこととして知っておきたいと思う。「ローマ」を「広島」に置き換えて、詩の一部を読んでみたりもした。

 

 

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