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初冬の雑炊はいかが

2019年12月10日 14時20分00秒 | Weblog

初冬の雑炊はいかが


晩秋から初冬へ
季節は巡る

例年のように真夏の暑さは
半端なく酷くて
待ち焦がれた秋の訪れは
儚くあっという間に過ぎて
北国では 雪が積もる所もある

涼しくなり そして
寒くなってくると
思い出したように
食欲も顔を出し
かつ 増してくる

最近食べ過ぎるなぁ
と思っていたら
今日のお昼には
カミさんが
雑炊をこさえてくれた

僕の好きなカボチャも入れて
卵やキノコ、菜っ葉など
冷え込みだした初冬に
アツアツの美味しそうな雑炊

いただきま〜す!

ps2019.12.10
寒くなると
雑炊はいいですね
胃にもいいし
あったまるし
残った食材も活用できて
栄養のバランスも取れて
雑炊は素敵な和の献立です
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福寿金柑(長寿金柑)

2019年12月10日 13時57分00秒 | Weblog

福寿金柑(長寿金柑)


庭の南端に植えていた
金柑の実が成った

震災前に住んでいた家に
植木市で買った苗を
植えていたが
なかなか実が成らず
被災して家を解体し
庭も更地にした時に
今の家の庭に移植した

熊本地震から三年半
その金柑の実が
引越し先の家で
十数個ようやく成った

初冬の今
餌を探す鳥たちが
その金柑の木にやって来ては
金柑の実を食べに来る

夏や秋には
アゲハの幼虫が
十数匹も発生して
柔らかい葉っぱを
食い尽くさんばかりだったが
辛うじて残った葉っぱは
画像の通りだ‥

解体前に
いつも頼んでいる庭師さんが
移植する庭木を選ぶ時に
このミカン(金柑)は
他のとちょっと違う種類だから
処分しないで 次の家にと
移植を勧め 自ら移してくれた

今週 カミさんが
知人に見せると
それは「福寿金柑」と
教えてくれたそうだ

後でスマホでググると
「長寿金柑」とも言い
「大実金柑」の種類だそうだ

珍しくて縁起の良い金柑だね
と私らは話した

今年は味見程度の収穫だが
来年は もう少し
福寿金柑を 楽しめるかな?

ps2019.12.10 草稿
来年は
この木も
もう少し葉が茂り
樹高も伸び
ちょうどいい具合いに
こんもりとなり
実も 沢山成ったらいいね
と話したことだ
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ノーボーナス 稼ぎなし 社会保障

2019年12月08日 21時31分00秒 | Weblog

ノーボーナス 稼ぎなし 社会保障


また今年も
そろそろボーナスの話題が
ニュースで取り上げられたり
紙面に載ったりするだろう

定年退職後
ボーナスの受給からは
7、8 年も遠ざかってしまった

完全なる年金暮らしになった今
私は(年金以外は)
全くの無収入となった

ボーナスの話題があると
誰のことかと思ってしまう

私は 定年退職後
途切れ途切れではあったが
およそ65歳まで
約3.5 年間勤めたので
トータル 約39.5 年間勤めた

その中で
確かボーナス(夏、冬)は
35年間貰えたと思う

それで今日
年金も積み立てたものを
ミニ(プチ)ボーナスとして
支給したらどうかと考えた

ps2019.12.8
ただでさえ 少ない年金で
毎日の生活に追われ
どうにか凌いでいるのに
と 多くの人から
非難されそうだが‥

確かに年間の総額でも
ギリギリの生活保障額だとは思うが
年末に 1、2 万円ほど頂けたら
日々の生活に
少しでもハリが出てきはしまいか
と 私は勝手に考えた次第で‥
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クリスマスツリーのような木

2019年12月08日 13時45分00秒 | Weblog

クリスマスツリーのような木



昨日
複合商業施設に出かけたら
ジングルベルの曲が流れていた

チャリンポでは
猫公園に
クリスマスツリーみたいな木が
夕暮れの中に立っている

晩秋の紅葉と
豆電球みたいな蕾が
枝いっぱいに広がっていて
鈴の音まで聞こえてくるようです

12月もやがて半ば
クリスマスももう直ぐだ

私は別に
クリスチャンではないが
曲といい 飾りといい
ケーキといい 楽しそうだし
うまく載せられてはいるけれど
寒いだけの日々が続くから
時期的にまっいいかと思ってしまう

そういえば
三十年位前に
お坊さんに
クリスマスの日は
どう過ごすのですかとお尋ねしたら
子どももいるし
あなた方と同じように
過ごしますよと答えてくださった

お互いに節操がないようだが
そもそも大和国には
八百万(やおろず)の神様が
いらっしゃるので
もしかして
世界の神様も
ウェルカムなのかも?

私は
「あわてんぼうのサンタクロース」や
エンヤさんの「聖しこの夜」
そして
山下達郎さんの「クリスマスイブ」
それから
マライヤ・キャリーさんの
「恋人たちのクリスマス」
ヘイリーさんの
「The Christmas Songs 」
「Christmas Mornig 」
などが好きで 今の時期は
時々聴きます

今さっき
アイパッドで
「クリスマスイブ」や
「恋人たちのクリスマス」
「聖しこの夜」
「The Christmas Songs 」
「Christmas Mornig 」
を 台所で聴きました

ps2019.12.8
最近のざわついた社会のことを
しばし忘れて聞き入り
心がちょっと癒されて
ちょっぴり澄んできました

神戸のイルミネーションや
こちらの街中のイルミネーションも
点灯を始めたようなので
LED の省エネタイプで
楽しみましょう
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喫茶店でジャズを聞く

2019年12月06日 15時22分00秒 | Weblog

喫茶店でジャズを聴く

(画像は西原村萌の里の弁当)
僕は
子どもの頃は
歌謡曲や童謡を聞いていた

学生の頃には
国内外のポップスを主に聞いていた

そして その後 職につき
いろんな音楽と出会い
クラシックにも
耳を傾けるようになった

ただ ジャズだけは
なかなか馴染めないでいた

ところが
街中のイベントで
生のジャズを見かけ
雑踏の中で しばらく
耳を傾けたが
それが そのトリオの皆さんが
実に楽しそうで
しかも阿吽の呼吸で
次々に曲想?を変えているようで
その変化が面白くて飽きない

私たちは
市の中心部のアーケード通りで
よく立ち寄る喫茶店がある
ミドルエイジの夫婦が
十数年位前に始めたと思うが
スタートの頃から私らは知っている
当時は初々しくて
しかし何かしら危なっかしくて
メニューは少なく
価格と食べ物の量 そして
こだわりのコーヒーで
お客さんを呼びこみ
固定客を増やそうとしていた

また 店内では
いつもジャスが流れている
きっとマスターが好きなんだろう

私は それを聞きながら
ランチを食べ 
タップリのコーヒーを飲みながら
カミさんとのお喋りを楽しんでいる

最初は 女将さん(ママさん)が
ビルの二階の厨房である程度作って
それから一階からの通りに出て
カードを待ってお客さんを呼び込んでいた

たまたま店を探していた私らは
価格は高く無いし
馴染みの店も次々に閉店になるし
じゃあ入ってみるかと決めて
二階に上がりテーブルに着いた

二人は慣れない手つきで
毎回なんとかランチを提供していた
あまり代わり映えしないメニューで
しばらくは間を開けて店を訪れていた

ところが何年か経るうちに
だんだん板についてきて
マスター(一応?)の手つきや
身のこなしもそれらしくなってきて
ママの料理の腕も上がり
メニューも徐々に増えて
料理の内容も充実してきた

マスターこだわりのコーヒーは
いつも美味しいし量もたっぷりだ

何年か前からは
小さな紙片のメニューも
壁の袋?に入れてある
メニューは二週間分だ

私らはそれを見て
来たい曜日を決めたりする

今度は いつ
ジャズを聞きながら
ランチが食べられるだろう

ps2019.11.27 草稿 12.5-6 追記
私が先に入ると 
マスターが
「二人ですか?」と
尋ねることもある

また 
「ランチを二つ、ホットで」
ともさり気なく尋ねられるのが
常連さんと認められてるとわかり
とても心地良い
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落ち葉のコンチェルト

2019年12月05日 00時22分00秒 | Weblog
落ち葉のコンチェルト


ここ九州で
枯れ葉が落ちる頃
散歩しながらラジオを聴いていると
懐かしい歌が流れてきた
(11.26 火曜 )

「落ち葉のコンチェルト」
歌は アルバート・ハモンド
メロディーの方は
残念ながらよく覚えていなかった

私は 楽器の演奏は
からっきしダメだが
聞く方はとても好きで
毎年 3、4 回はコンサートに行くし
書斎の部屋のコンポステレオや
携帯ラジオ、タブレットでは
クラシックやポップス、
イージーリスニング曲などを
よく聴いて楽しんでいる

ピアノやバイオリンの独奏も好きだが
やはり コンチェルト(協奏曲)は
聴いてて耳に心地良いし 疲れない

ただ この落ち葉のコンチェルトは
宗次郎演奏のオカリナの音が
晩秋の落ち葉のイメージが湧いて
スマホからの音色が 心に響いた

英語の原詩は
彼女との割り切った付き合いを
後でかなり悔いているという歌で
一部平和がどうのと大袈裟な?
フレーズもある
題名も日本向けに変えられたようだ

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
先程(12/2 月曜 ) のラジオで
これも懐かしい歌が聞こえて来た

紙風船の「冬が来る前に」

サビの
「冬が来る前に
もう一度 あの人とめぐり逢いたい
冬が来る前に
もう一度 あの人とめぐり逢いたい」
のフレーズが 胸に響く

ps2019.12.2
NHKラジオ pm. 3:30頃
「冬がくる前に」(紙風船)の曲紹介
ps2019.11.26
NHKラジオ pm 3:45頃
武内陶子アナのごごラジ!
「落ち葉のコンチェルト」の曲紹介
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
(ネットによる情報)
「落葉のコンチェルト」
(おちばのコンチェルト、
原題 For The Peace of All Mankind)は、
アルバート・ハモンドが
1973年に発表した楽曲。
アルバム『The Free Electric Band』に
収録。
日本でのみシングル発売され
ロングヒットを記録、
『カリフォルニアの青い空』と並ぶ
代表曲となった。
############################
「コンチェルト」について 
① あるサイトから(12/3) 失念・すみません
コンチェルト(協奏曲)とは、一般的にピアノやヴァイオリン、チェロ、フルートなど、ソロで演奏できる独奏楽器と、オーケストラとが一緒になって演奏されるクラシック音楽のことを言います。「○○コンチェルト」といった具合に、頭にその独奏楽器の種類を付けて呼ばれます。
#############################
② All About のサイトから引用(12/4)
・ピアノコンチェルト(ピアノ協奏曲):ピアノを用いた楽曲
・ヴァイオリンコンチェルト(バイオリン協奏曲):バイオリンを用いた楽曲
などが多く存在しています。ちなみにこの「コンチェルト」という言葉はイタリア語。クラシック音楽はイタリアを中心に発展してきた歴史があり、多くの用語がイタリア語を起源とし、コンチェルトも例外では無いようです。
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畳とかかあは?

2019年12月04日 00時53分00秒 | Weblog

畳と嬶(かかあ)は‥


畳と嬶(かかあ)は
新しいほど良い‥
なんて かつて
とんでもないことを
臆面もなく吹聴する人がいた
(今ごろそんなことを言えば
亭主の方こそ追い出されるだろう)

ついこの前
うちの黒猫が
猫草のせいで
ウンチをお尻に
くっ付けたままで
居間を歩いたため
朝 直ぐに拭いたけれど
畳の汚れが残ってしまった 

それで
義母が畳替えをして
十数年も経ったし
畳表が陽焼けもしたし
話し合って思い切って
畳表を替えることにした

さっそく電話帳で知人を調べて
連絡をして来訪して貰った
それで
畳表だけの張り替えをお願いした
畳のヘリの柄も決めた

朝一番に来て貰って
夕方には張り替えた畳が
二部屋に敷き詰められた

部屋一面に同じ色の畳
ヘリの柄も綺麗
そして
い草の香りが
部屋一面に漂う

ps2019.12.2
今日(12.3)ファミサポで
二年生の子(女児)が来訪した
彼女の話では
家(マンション)には
畳が無いと言う
そうかあ、
今時のマンションには
畳が無いんだね と
老夫婦で顔を見合わせ
時代の移り変わりを実感した
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カブの柚子煮はいかが

2019年12月04日 00時39分00秒 | Weblog

カブの柚子煮(ゆずに)はいかが?


小学校の教科書に
「おおきな かぶ」というお話がある

ロシアの民話で
おじいさん、おばあさん、まごむすめ
そして 犬やネコ
最後には ネズミまで登場する

畑のカブが大きく育ち
老夫婦が収穫するため
抜こうとするが
大き過ぎてなかなか抜けない!

そこで 
おじいさんは おばあさんを呼んで
うんとこしょ どっこいしょと
抜こうとするが それでも抜けず
それで 孫娘も呼ぶが
やはりダメで とうとう
犬や猫の手?まで借りるが
それでもダメで 遂には
ネズミまで助っ人に呼んで
ようやくカブは抜けたのでした

めでたし めでたし

ところで 
このお話のキモは
☆カブ(食べもの)の大切さ
☆一人ではできないが
みんなで力を合わせれば
大変な仕事も達成できる
誰か一人でも欠けたら
カブは取れない 
特に 最後のネズミの役割は大切
☆抜く→ダメ→助っ人を呼ぶ→やはりダメ
→また助っ人を呼ぶ→ダメ‥
《繰り返しの面白さ(子どもは好き)》
☆孫娘の親はどこに居る?
☆獲れたカブの料理は?
などだろう

もうずいぶん昔に
「おおきなかぶ」の資料で
当時のロシアにおいては
「かぶ」はとても大事な食物で
何でも主食扱いだったと知って
私は そのとき
「えぇっ、ホントに?」と驚き
それも否定はできないなと思った

今夜(12.2)
「カブの柚子煮」をいただきながら
「おおきなかぶ」のことを
懐かしく思い出していた

今夜のカブは
トロトロで 柚子の香りやエビ
そしてカブの葉っぱも混じって
なかなかに美味であった

ツルツルと
どんどん口に入る感じがした

2019.12.2 草稿 12.3 改稿&追記
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外交は勝ち負けか?

2019年12月02日 12時08分00秒 | Weblog

外交は 勝ち負けか?
(期間限定版の予定です、悪しからず)


熊本にも縁がある漱石先生は
名作「草枕」において
隣近所の付き合いの難しさを
切々と述べておられる

しかし
この作品の冒頭文を
あらためて読み直すと
家だけではなく
国と国とのつきあいも
似たような悩みを生じる

私が物心ついてからも
私の住む国・日本は
近隣の国との関係で
いろいろと苦労している

特に 中国や韓国・北朝鮮
そしてロシアとの外交で
各方面からの課題を
いろいろ抱え込んでいる

どの国も
外交上は手強い国ばかりだが
とりわけ近年は
隣国の韓国と
経済的に急成長中の中国との外交が
喫緊の課題を抱えている

太平洋戦争から幾世代も経た今も
まだ戦後処理や歴史問題を
粘っこく引きずっている韓国

かの国は
メディアも国民も
スポーツも政治も
何かあれば 我が国に
勝った、負けたと
一喜一憂しているように見える

経済的な面で急成長中の中国も
まだ歴史的な課題をしつこく掲げ
近隣の国々を仮想敵と見做し
近隣の領土や民族を侵害し
自国の積年の不満を逸らし
民族の自尊心を必要以上に煽る

この他国を貶め、攻撃する姿勢は
韓国や中国に共通する政策だ

他所や他国を仮想敵にしておけば
少なくとも 自分たちには
不満や敵意などが向かないから
お互いに安泰な時期が続くという
安易で狡猾な政治手段だと思う

また 外交に民意を持ち込むと
さながら人気投票の様相となり
外交上の事実や真実が
ひどくボヤけてしまいがちだし
追及すべき現在と将来の国益は
蔑ろにされてしまう

えてして民意は
短期の損得感情を主にし
自分や周囲のことを中心に考え
物事を広くかつ深く重層的に
捉えることは苦手とする
当面損をして 後で得をするなんて
悠長なことも思いつかないような‥

今の先進国も
かつては民意を大事にするあまり
外交上の軋轢を生んで
お互いに
かなりの国益を損ない
かつ数多くの人命を失ってきた
そんな負の歴史を持つ

民意の扱いは
かように難しい面を持っている

そもそも外交は
上っ面の損得や勝ち負けだけで
行うものではないだろうと思う

2019年11月27日
トランプ大統領が
「香港人権・民主主義法案」に
ようやく署名をして
法案がいよいよ成立した

勝ち負けに固執すると
国同士の難題を解きほぐす術を
見失うこともあるだろう

そもそも政治に勝ち負けは
余り相応しくないのでは と考える

2019.11.25/11.27 草稿 
11.29 /12.2 追記
☆「草枕」の本文とその解釈
(「カキコミタウン ブログより引用)
山道(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角が立つ。情に棹(さお)差せば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。
 
理知だけで割り切っていると他人と衝突するし、個人的な感情を優先させれば、足元をすくわれてしまう。
意地を通そうとするとがんじがらめになってしまう。
何にせよ世間は生きづらい。
 
というような意味です。
 
「情に棹差す」の「情」はある人や物に対する特別な感情のこと。
「棹」は、船を進めるためのオールのことです。
川底に棹を差してブレーキをかけるイメージを持つかもしれませんが、
そうではありません。川底に突き立てて、力を入れて進めることを
「棹差す」と表現します。
住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生れて、絵ができる。
人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三件両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、寛容て(くつろげて)、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。
あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
画家である主人公の、芸術に対する信頼が伺えます。
人の世って生きにくいよね、ってところで多くの人の共感を得て、この冒頭文は有名になっているのだと思うけど、「生きにくいよね」から「人の心を豊かにする芸術は尊い」という結論に向かう精神がかっこいい。

夏目漱石『草枕』冒頭の勝手な解釈(現代語?訳)①
僕らの住む人の世は窮屈で住みにくい。
よく頭を使ってうまく立ち回ろうとすれば「せこい」とか「ずるい」とか「要領が良いだけ」とか「八方美人」とか「信用できない」とか「自分のことしか考えてない」とか「卑怯」とか言われてしまうし
感情に流されてしまうと反対に騙されたり、人目を気にしすぎてビクビクしてしまったり、自分が良い目にあうことに罪悪感を抱いてしまったり、関わるべきでないことに関わってしまったりして損をしてしまう
じゃあもう良いや自分は自分らしく生きよう、自分はこう思うからこうするんだと言い張って、自分を尊重しようと思ったらヒンシュクを買うばかりでかえって窮屈極まりない。
もぅどないせっちゅうねん…人の世はルールブックの用意されていないゲームで、都度ルールが変わるゲームで、みんな勝ちたくて勝ちたくて仕方ないのに誰も勝っちゃいけないゲームみたいだ。
じゃあそんな煩わしいルールのないところへ行こう。そこにはルールがないから…ああそうか、みんなやりたい放題でやったもん勝ちの弱肉強食の世界だ。
そんな殺伐とした世界よりは、人の世の方がいくらか住みやすいに違いない。
( Kikuko I.info より)
夏目漱石『草枕』の勝手な解釈(現代語?訳)②
人の世が住みにくいと思うなら、人の世が少しでも生きやすいところとなるように工夫しなきゃならないだろう。
僕らはとにかく疲れている。
人同士であることに。
人と人は同じ心を持っていながら分かり合えないという事実に。
人はみんな自分のことしか考えていないという疑心に。
その心を少しでも寛がせるためにも、限られた命を素晴らしい経験にするためにも、芸術というものは必要である。
なぜなら、心がなければ芸術を解することはできず、心があるからこそ生まれ出るものが芸術だから。
我々の心が住みにくさを作っているのであれば、我々の心を肯定する人間が必要で、それが芸術家だろう。
すべての芸術家は、人の心を長閑にして、人の心を豊かにするから尊い。
(カキコミタウン ブログより引用 11.28 )
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地球明かりで本を読む

2019年12月02日 00時09分00秒 | Weblog

地球明かりで 本を読む


月明かりならぬ地球明かりで
一人静かに本を読む

今朝の新聞(11/18)で
俳句欄を見ていたら
「地球明かり」という言葉が
目に入ってきた

えっ、「地球明かり」って?

あっ、そうかあ
「月明かり」のように
月面に立つと「地球明かり」に
なるそうだが その場では
どんな感じになるのだろうか

新聞の記事(俳句撰者)に拠れば
「満月」ならぬ「満地球」のとき
その明るさは
約七十倍にもなるそうだ

その時は
かなり眩しくて
きっと本の活字なんかも
ちゃんと読めるのではなかろうか

晩秋から冬の夜空は
冴え渡っていて
キンキンしてて
寒さは別にして
好きな景色の一つだ

子どもの頃
隣家にテレビを観に行って
その帰りに見た冬の夜空は
キリリとしていて印象的である

ps2019.11.18
近頃 月が
また脚光を浴びている
月の裏側を探査したり
最近は 月での基地づくり
そして 
月の「土地」所有を模索したり
資源さえ探査しようと試みている

月は宇宙全体のものだ

所有したり削り取ろうとしたり
実に情けないことだ
嘆かわしいことだ
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