柔道家でバルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦氏が亡くなったそうだ。
がんだったそうだが、まだ53歳、私よりも一回り若い。
実は、彼には一度会社の成人式で講演をしていただいたことがある。
バルセロナ五輪が1992年だから、確かその翌年の1993年だったと記憶している。
当時の私の上司が日体大出身(野球部)ということで、どういう経路で頼んだのかはわからないが、同じ日体大出身である古賀氏に来ていただいたわけだ。
覚えているのは、講演の内容などではなく、その時に金メダルも持ってきてくれていたのだけど、この偉大なる金メダリストに向かって、私の上司が「悪いけど、それ持ってちょっと回ってくれる?」とお願いしたことだ。
200名ほど収容できるコンベンションホールに、確か100名前後参加者がいたと思うのだが、その参加者の間をメダルを見せながら回ってくれた古賀氏には、ただただ恐縮するばかりだった。
さすがは体育会系、相手が偉大な選手であろうが、先輩後輩の関係は絶対!
先輩から「メダル持って回ってくれるか」と言われれば、イヤな顔もせず(内心はどう思っていたのかはわからないが・・・)回ってくれた古賀氏にはホントに感謝です。
ご冥福をお祈りいたします。
さて、当時はまだ会社で成人式などいろんな行事を行っていた頃であり、その当時会社で人事・教育を担当していた私としても、毎年誰に講演をお願いするか苦労していた。
社内には、スポーツ経験者(野球部の監督とか)が結構いたので、最初のうちは彼らにお願いしていたのだが、そのうち2巡目3巡目くらいの人も出てきて、その人たちからも「もう、いいかげん勘弁してくれよ」と言われたこともあり、外部にお願いするようになっていた。
そのうちの一人に、サッカーの金田喜稔氏もいる。
彼の場合は、同じ職場にいた一つ上の先輩の大学時代の同級生(やはりサッカー経験者)ということで、その先輩にお願いして来ていただいたわけだ。
他にもいろいろな講演会を担当させていただいた。
その中には、あの野村克也氏もいる。
南海ホークスのプレーイングマネジャー時代か、または引退した後だったか。
話の内容はほとんど覚えてはいないが、長嶋茂雄氏に対して「たいした成績も残していないくせに・・・」とか何とかぼやき口調で話していたことは何となく覚えている。
スボーツ選手以外で言えば、印象的だったのは、アナウンサーの小林完吾氏。
「あ、さて~」で始まるニュースを覚えている方もいると思うが、彼の話は笑わせるし泣かせるし、とてもうまかったことを覚えている。
あと、これは私の担当ではなかったのだけど、同じくアナウンサーだった草野仁氏にも来てもらったことがある。
ただ、彼の場合、しゃべりは流暢でとてもうまかったが、話しはあまり面白くなかった。
唯一覚えているのは、別に質問が出たわけでもないのに、今も続いているクイズ番組「世界ふしぎ発見!」において、当時回答率が異常に高かった黒柳徹子に対して「やらせじゃないの?」という疑惑があったことに触れ、「事前に回答を教えているということはありません。ただ、テーマは事前に伝えてあります」と答えたことだ。
当時からヒネくれていた私は「ふ~ん、それって試験前に、『今度のテストはこの範囲から問題が出るぞ』ってほぼ答えを教えているのと同じじゃん」と思った記憶がある。
つまり、問題そのものを教えているわけではないが、この中から問題が出る、というかなり狭い範囲を指定しているので、その範囲内で勉強すれば、だいたいの問題は回答できる、というわけだ。
前にも書いたことがあるが、それを受け継いでいるのが最近の「東大王」だと思っているわけである。
もちろん、東大生に対してではなく、普通に戦えばまったく歯が立たない芸能人チームに対して。
特に急に漢字に詳しくなった山下真司とかアンミカとか・・・
まあ、いずれにしても、いい経験をさせてもらいました。
がんだったそうだが、まだ53歳、私よりも一回り若い。
実は、彼には一度会社の成人式で講演をしていただいたことがある。
バルセロナ五輪が1992年だから、確かその翌年の1993年だったと記憶している。
当時の私の上司が日体大出身(野球部)ということで、どういう経路で頼んだのかはわからないが、同じ日体大出身である古賀氏に来ていただいたわけだ。
覚えているのは、講演の内容などではなく、その時に金メダルも持ってきてくれていたのだけど、この偉大なる金メダリストに向かって、私の上司が「悪いけど、それ持ってちょっと回ってくれる?」とお願いしたことだ。
200名ほど収容できるコンベンションホールに、確か100名前後参加者がいたと思うのだが、その参加者の間をメダルを見せながら回ってくれた古賀氏には、ただただ恐縮するばかりだった。
さすがは体育会系、相手が偉大な選手であろうが、先輩後輩の関係は絶対!
先輩から「メダル持って回ってくれるか」と言われれば、イヤな顔もせず(内心はどう思っていたのかはわからないが・・・)回ってくれた古賀氏にはホントに感謝です。
ご冥福をお祈りいたします。
さて、当時はまだ会社で成人式などいろんな行事を行っていた頃であり、その当時会社で人事・教育を担当していた私としても、毎年誰に講演をお願いするか苦労していた。
社内には、スポーツ経験者(野球部の監督とか)が結構いたので、最初のうちは彼らにお願いしていたのだが、そのうち2巡目3巡目くらいの人も出てきて、その人たちからも「もう、いいかげん勘弁してくれよ」と言われたこともあり、外部にお願いするようになっていた。
そのうちの一人に、サッカーの金田喜稔氏もいる。
彼の場合は、同じ職場にいた一つ上の先輩の大学時代の同級生(やはりサッカー経験者)ということで、その先輩にお願いして来ていただいたわけだ。
他にもいろいろな講演会を担当させていただいた。
その中には、あの野村克也氏もいる。
南海ホークスのプレーイングマネジャー時代か、または引退した後だったか。
話の内容はほとんど覚えてはいないが、長嶋茂雄氏に対して「たいした成績も残していないくせに・・・」とか何とかぼやき口調で話していたことは何となく覚えている。
スボーツ選手以外で言えば、印象的だったのは、アナウンサーの小林完吾氏。
「あ、さて~」で始まるニュースを覚えている方もいると思うが、彼の話は笑わせるし泣かせるし、とてもうまかったことを覚えている。
あと、これは私の担当ではなかったのだけど、同じくアナウンサーだった草野仁氏にも来てもらったことがある。
ただ、彼の場合、しゃべりは流暢でとてもうまかったが、話しはあまり面白くなかった。
唯一覚えているのは、別に質問が出たわけでもないのに、今も続いているクイズ番組「世界ふしぎ発見!」において、当時回答率が異常に高かった黒柳徹子に対して「やらせじゃないの?」という疑惑があったことに触れ、「事前に回答を教えているということはありません。ただ、テーマは事前に伝えてあります」と答えたことだ。
当時からヒネくれていた私は「ふ~ん、それって試験前に、『今度のテストはこの範囲から問題が出るぞ』ってほぼ答えを教えているのと同じじゃん」と思った記憶がある。
つまり、問題そのものを教えているわけではないが、この中から問題が出る、というかなり狭い範囲を指定しているので、その範囲内で勉強すれば、だいたいの問題は回答できる、というわけだ。
前にも書いたことがあるが、それを受け継いでいるのが最近の「東大王」だと思っているわけである。
もちろん、東大生に対してではなく、普通に戦えばまったく歯が立たない芸能人チームに対して。
特に急に漢字に詳しくなった山下真司とかアンミカとか・・・
まあ、いずれにしても、いい経験をさせてもらいました。
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