最近は、どちらかと言うと「週刊文春」よりも面白いと思っている「週刊新潮」
しかし、今週号は気に入らない。
またまただけど、WBCの話。
大見出しは『王ジャパンの冷たい舞台裏』
これだけでも、何だかイヤな感じだが、小さい見出しはどう見ても悪質だ。
『「福留の一発」で消された王監督の「采配ミス連発」』
『「異様な躁」状態でチームから浮いていた「イチロー」』
『「熱くない」と豊田泰光氏に批判された「チンタラ選手」』
『「冷たい視線」を浴びた「松坂と上原」の快投』
『「長嶋ジャパン」なら出場したという「松井秀喜」』
まず、王監督の采配。
確かに采配ミスは随所にあったように思う。
特に、韓国戦(2回目)で9回1点差で負けている時の一死一塁の場面で、代打に広島の新井を使ったこと。
広島ファンの私としても、あそこは「頼むから併殺打だけは打つな」と思っていたほど、全然打てるとは思わなかった。
そこまでチャンスに打てる選手ではないからだ。
また、アメリカ戦で打たれた藤川を韓国戦でも再度使ったのも、明らかなミスだろう。
でも、それらを一気に吹き飛ばしたのが、福留の一発だ。
結果オーライだろうが何だろうが、あそこは打った福留がエライ。
だから、書き方としては普通逆にならなきゃおかしいのに、この記事では悪意すら感じられる。
次にイチローの話。
「チームから浮いていた」とは、いったい誰の証言か?
もしそうだとしたら、最後のあの盛り上がりは、いったい何だったと言うのか。
記事を読むと、イチローの例の一連の発言を批判的に取り上げている。
つまり、レベルが「あの」韓国と同じになってしまっている。
イチローの、いったい何が気に入らなかったのかは知らないが、今回の大会でチームを引っ張っていたのは、間違いなくイチローだろう。
それにケチをつける意図がまったくわからない。
次に「チンタラ選手」
どこにだって、やる気のない選手はいる。
特に「日本代表」とは言え、試合に出られない選手が、チンタラやっていたとしても不思議ではない。
所詮はその程度の選手だった、というだけのことだ。
最初は、そういう雰囲気があったというのも、もしかしてあるかも知れない。
しかし、それが最後に一つになって、結果として見事に優勝したわけだ。
豊田泰光が名指しをしたのは「岩村」らしいが、そんな選手だからこそ本塁直前で憤死して、以後出場していないのだから、別に問題ないではないか。
途中の一つの事象を取り上げて、いかにも全体がそうであったような書き方をするのは、物書きとして最低じゃないのか。
さらに、松坂と上原の好投の話。
この二人の好投があったからこそ優勝できたのは、周知の事実。
なぜ「冷たい視線」を浴びせられる必要があるのか。
筆者は、二人とも「大リーグ希望」だから、と言いたそうだが、だからどうだと言うのか。
普段は、チンタラ投げているくせに、というわけか?
こういう大きな大会になると、いつもよりもいい投球ができる、というピッチャーだっているだろう。
こういうヤツらこそ、大リーグ向きなんじゃないのかね。
普段「冷たい視線」を浴びている(かも知れない?)からと言って、今大会でも同じだとは言えないと思うのだが。
最後に松井の話。
長嶋さんだったら出場した?
だからどうだと言うのか。
本人が本当にそう言ったのであれば、それは松井の考え方であり、別に批判されるべきことでもない。
逆にイチローは、長嶋だったら出場しなかったかも知れないじゃないか。
松井が出場しなかったのは、確かに残念だったが、それを王監督のせいにするのは、あまりにも品がなさすぎはしないか。
以上、今回の記事は余りにも悪意に満ちている感じがするのだが、気のせいだろうか。
別に、「優勝したからいいじゃないか」と言うつもりはない。
どんな場合でも反省することは大切だし、これで「日本が真の世界王者だ」などと誰も思っちゃいない。
しかし、優勝したのは事実。
それは、「いい面」が積み重なったからこそなし得たこと。
「まぐれ」の連続で、優勝なんかできるはずがない。
そこに焦点をあてることもせず、重箱の隅をつつくようなことをして、いったい何がしたいのか。
今回の記事により、「週刊新潮なんか、二度と読むか!」などとは思わないが、ちょっとガッカリした。
週刊新潮は、王さんが嫌いなのか?
しかし、今週号は気に入らない。
またまただけど、WBCの話。
大見出しは『王ジャパンの冷たい舞台裏』
これだけでも、何だかイヤな感じだが、小さい見出しはどう見ても悪質だ。
『「福留の一発」で消された王監督の「采配ミス連発」』
『「異様な躁」状態でチームから浮いていた「イチロー」』
『「熱くない」と豊田泰光氏に批判された「チンタラ選手」』
『「冷たい視線」を浴びた「松坂と上原」の快投』
『「長嶋ジャパン」なら出場したという「松井秀喜」』
まず、王監督の采配。
確かに采配ミスは随所にあったように思う。
特に、韓国戦(2回目)で9回1点差で負けている時の一死一塁の場面で、代打に広島の新井を使ったこと。
広島ファンの私としても、あそこは「頼むから併殺打だけは打つな」と思っていたほど、全然打てるとは思わなかった。
そこまでチャンスに打てる選手ではないからだ。
また、アメリカ戦で打たれた藤川を韓国戦でも再度使ったのも、明らかなミスだろう。
でも、それらを一気に吹き飛ばしたのが、福留の一発だ。
結果オーライだろうが何だろうが、あそこは打った福留がエライ。
だから、書き方としては普通逆にならなきゃおかしいのに、この記事では悪意すら感じられる。
次にイチローの話。
「チームから浮いていた」とは、いったい誰の証言か?
もしそうだとしたら、最後のあの盛り上がりは、いったい何だったと言うのか。
記事を読むと、イチローの例の一連の発言を批判的に取り上げている。
つまり、レベルが「あの」韓国と同じになってしまっている。
イチローの、いったい何が気に入らなかったのかは知らないが、今回の大会でチームを引っ張っていたのは、間違いなくイチローだろう。
それにケチをつける意図がまったくわからない。
次に「チンタラ選手」
どこにだって、やる気のない選手はいる。
特に「日本代表」とは言え、試合に出られない選手が、チンタラやっていたとしても不思議ではない。
所詮はその程度の選手だった、というだけのことだ。
最初は、そういう雰囲気があったというのも、もしかしてあるかも知れない。
しかし、それが最後に一つになって、結果として見事に優勝したわけだ。
豊田泰光が名指しをしたのは「岩村」らしいが、そんな選手だからこそ本塁直前で憤死して、以後出場していないのだから、別に問題ないではないか。
途中の一つの事象を取り上げて、いかにも全体がそうであったような書き方をするのは、物書きとして最低じゃないのか。
さらに、松坂と上原の好投の話。
この二人の好投があったからこそ優勝できたのは、周知の事実。
なぜ「冷たい視線」を浴びせられる必要があるのか。
筆者は、二人とも「大リーグ希望」だから、と言いたそうだが、だからどうだと言うのか。
普段は、チンタラ投げているくせに、というわけか?
こういう大きな大会になると、いつもよりもいい投球ができる、というピッチャーだっているだろう。
こういうヤツらこそ、大リーグ向きなんじゃないのかね。
普段「冷たい視線」を浴びている(かも知れない?)からと言って、今大会でも同じだとは言えないと思うのだが。
最後に松井の話。
長嶋さんだったら出場した?
だからどうだと言うのか。
本人が本当にそう言ったのであれば、それは松井の考え方であり、別に批判されるべきことでもない。
逆にイチローは、長嶋だったら出場しなかったかも知れないじゃないか。
松井が出場しなかったのは、確かに残念だったが、それを王監督のせいにするのは、あまりにも品がなさすぎはしないか。
以上、今回の記事は余りにも悪意に満ちている感じがするのだが、気のせいだろうか。
別に、「優勝したからいいじゃないか」と言うつもりはない。
どんな場合でも反省することは大切だし、これで「日本が真の世界王者だ」などと誰も思っちゃいない。
しかし、優勝したのは事実。
それは、「いい面」が積み重なったからこそなし得たこと。
「まぐれ」の連続で、優勝なんかできるはずがない。
そこに焦点をあてることもせず、重箱の隅をつつくようなことをして、いったい何がしたいのか。
今回の記事により、「週刊新潮なんか、二度と読むか!」などとは思わないが、ちょっとガッカリした。
週刊新潮は、王さんが嫌いなのか?
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