若者の「高級腕時計離れ」が進んでいるそうな。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1861259.html
まあ、いい傾向だと思う。
と言うか、それが普通の流れじゃないの?
私としても、どうして時計なんかに何十万も何百万も払うのか理解できなかった。
記事には『今後、高級腕時計は、酒やタバコのように「嗜好品」の一つになるでしょう』とあるけど、もともと実用品としてではなく、単なる「嗜好品」として流行っていたものの一つが高級腕時計じゃないかと思う。
だって、「時間」を知るのに、宝石だのデザインだのって必要ないもの。
『高級車は、乗ってみたらその良さが分かります。高級腕時計も、つけてみて「いいな」と思う人が増えれば、再び注目を集めることもあるかもしれませんね』などと言うが、ここでいう「良さ」って何?
高級車の良さと言えば、「走りやすさ」とか「乗り心地」とか「安全性」とか、大衆車とは違う機能を持っている、という意味で理解できるけど、高級腕時計の良さって何なの?
「値段がムチャクチャ高い!」ということ以外で。
高級腕時計の方が「安い時計よりも時を正確に刻む」とか言うのならともかく、そんなことはないだろうし、今や安い時計でも自動調整機能とかいろんなものがついていて、あまりにもいろんな機能がついているのでビックリすることがある。
だから高級腕時計だけが持つ機能・良さって、いったい何だ?
車の場合は、デザインや色だけでなく、機能を含めた総合的に見ての「高級」車なわけだ。
ただ、車も高級腕時計も、ステータスとして持っていた人が多いわけだけど、車の場合は持つこと自体がステータスであって、そこには「高級」も「低級」もない。
中古だろうが、軽だろうが、持つこと自体に意義があったわけだ(たぶん)
でも、腕時計の場合は「高級」であることが重要であって、単なる腕時計ではステータスにはなりえない。
そこを意図的に混同しているのかどうかはわからないけど、高級車と高級腕時計とは同列ではないと思うぞ。
つまり、「高級腕時計」は「宝石」と同じであって、別にあってもなくても変わらないもの。
必要なら、ただの時計でも十分。
一方の「高級車」は、それ自体の実用性がある。
高級車と違って、「自慢にならない」どころか「悪目立ち」してしまうのは、「だから何なの?」としか思われないから。
そういう意味では、最後の一文である『誰もが持つものから、好きな人だけが持つものに。多くの人にとって高級腕時計を持つ意味は薄れてしまったのかもしれない』というのは、認識としては正しいと思うのだけど、その後に続く『多様化社会の進む今だからこそ、高級腕時計は個性を示すアイテムの一つとして、ある意味ランクアップしたのかもしれない』
というのは、よくわからない。
ステータスの一つだったのが、そうでなくなったのだから、どう考えても「ランクダウン」だと思うのだけど、違うの?
持っていても自慢にならないものって、単に「オタクの趣味」の一つになってしまうんじゃなかろうか。
・・・って、自分でも何言ってんのかよくわからなくなってきた!?
とにかく、私は「いつかは高級車」と思うことはあっても、「いつかは高級腕時計」などと思うことはないと思う。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1861259.html
まあ、いい傾向だと思う。
と言うか、それが普通の流れじゃないの?
私としても、どうして時計なんかに何十万も何百万も払うのか理解できなかった。
記事には『今後、高級腕時計は、酒やタバコのように「嗜好品」の一つになるでしょう』とあるけど、もともと実用品としてではなく、単なる「嗜好品」として流行っていたものの一つが高級腕時計じゃないかと思う。
だって、「時間」を知るのに、宝石だのデザインだのって必要ないもの。
『高級車は、乗ってみたらその良さが分かります。高級腕時計も、つけてみて「いいな」と思う人が増えれば、再び注目を集めることもあるかもしれませんね』などと言うが、ここでいう「良さ」って何?
高級車の良さと言えば、「走りやすさ」とか「乗り心地」とか「安全性」とか、大衆車とは違う機能を持っている、という意味で理解できるけど、高級腕時計の良さって何なの?
「値段がムチャクチャ高い!」ということ以外で。
高級腕時計の方が「安い時計よりも時を正確に刻む」とか言うのならともかく、そんなことはないだろうし、今や安い時計でも自動調整機能とかいろんなものがついていて、あまりにもいろんな機能がついているのでビックリすることがある。
だから高級腕時計だけが持つ機能・良さって、いったい何だ?
車の場合は、デザインや色だけでなく、機能を含めた総合的に見ての「高級」車なわけだ。
ただ、車も高級腕時計も、ステータスとして持っていた人が多いわけだけど、車の場合は持つこと自体がステータスであって、そこには「高級」も「低級」もない。
中古だろうが、軽だろうが、持つこと自体に意義があったわけだ(たぶん)
でも、腕時計の場合は「高級」であることが重要であって、単なる腕時計ではステータスにはなりえない。
そこを意図的に混同しているのかどうかはわからないけど、高級車と高級腕時計とは同列ではないと思うぞ。
つまり、「高級腕時計」は「宝石」と同じであって、別にあってもなくても変わらないもの。
必要なら、ただの時計でも十分。
一方の「高級車」は、それ自体の実用性がある。
高級車と違って、「自慢にならない」どころか「悪目立ち」してしまうのは、「だから何なの?」としか思われないから。
そういう意味では、最後の一文である『誰もが持つものから、好きな人だけが持つものに。多くの人にとって高級腕時計を持つ意味は薄れてしまったのかもしれない』というのは、認識としては正しいと思うのだけど、その後に続く『多様化社会の進む今だからこそ、高級腕時計は個性を示すアイテムの一つとして、ある意味ランクアップしたのかもしれない』
というのは、よくわからない。
ステータスの一つだったのが、そうでなくなったのだから、どう考えても「ランクダウン」だと思うのだけど、違うの?
持っていても自慢にならないものって、単に「オタクの趣味」の一つになってしまうんじゃなかろうか。
・・・って、自分でも何言ってんのかよくわからなくなってきた!?
とにかく、私は「いつかは高級車」と思うことはあっても、「いつかは高級腕時計」などと思うことはないと思う。
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