○岐阜県中津川市で、母と子供2人に孫まで惨殺した事件
犯人の原平だが、面白いのは、いまだにニュース等では「容疑者」ではなく「事務長」と呼ばれていること。
どなたかの日記でも触れられていたが、「事務長」とは役職名だから、いわば「敬称」である。
人殺しに対して敬称を使うとは、「メンバー」とか「タレント」などと呼ぶよりも、さらに変だろう。
「自分がやった」と言っている本人がまだ重態であるとは言え、状況からしてもこいつがやったことに間違いはないだろうし、そのために「容疑者」という言い方があるわけだから、いったい何に遠慮しているのかわからない。
報道では、かなりまじめな公務員だったらしいのだが、だからと言って、罪を犯した際に敬称で呼ばれるというのもおかしいだろう。
当たり前のことだが、仕事をまじめにやっていることと、家庭内の問題とはまったく関係がない。
家庭内でゴタゴタしているのを隠すために、わざと会社ではおとなしくまじめに仕事をしているヤツだっているわけである。
「えっ、やっぱりあいつが」であろうが、「まさか、あの人が」であろうが、人殺しには変わりはない。
少なくとも、今回の殺人について、同情的な要素などまったく見受けられないのだが・・・
もしかして、マスコミは犯人が「○チガイ」だった場合を恐れているのか?
○福井県勝山市で、女子中学生2人が3人組の男に一時連れ去られたとされた事件
実際には、2人は自分の意思で車に乗っており、連れ去りの事実はなかったらしい。
しかも、相手は携帯電話のメールで知り合った初対面の男性で、3人組というのもうそだったそうだ。
まったく関係のない人間による無差別殺人や、誘拐事件などについて、世間であれだけ騒がれているのに、こういうバカが出てくるのはなぜか。
所詮ガキはバカなんである。
「自分には関係がない」とか「私は大丈夫」とか思っているのである。
いくら言ったってムダなことだ。
嘉門達夫の歌に「少年はいつの日もバカ!」というのがあるが、まさにその通り。
ガキはいつだってバカなのだ。
だからこそ、まわりの大人が厳しく躾をしていかないとダメなんである。
その大人もバカだった場合は・・・
もうどうしようもありませんね。
犯人の原平だが、面白いのは、いまだにニュース等では「容疑者」ではなく「事務長」と呼ばれていること。
どなたかの日記でも触れられていたが、「事務長」とは役職名だから、いわば「敬称」である。
人殺しに対して敬称を使うとは、「メンバー」とか「タレント」などと呼ぶよりも、さらに変だろう。
「自分がやった」と言っている本人がまだ重態であるとは言え、状況からしてもこいつがやったことに間違いはないだろうし、そのために「容疑者」という言い方があるわけだから、いったい何に遠慮しているのかわからない。
報道では、かなりまじめな公務員だったらしいのだが、だからと言って、罪を犯した際に敬称で呼ばれるというのもおかしいだろう。
当たり前のことだが、仕事をまじめにやっていることと、家庭内の問題とはまったく関係がない。
家庭内でゴタゴタしているのを隠すために、わざと会社ではおとなしくまじめに仕事をしているヤツだっているわけである。
「えっ、やっぱりあいつが」であろうが、「まさか、あの人が」であろうが、人殺しには変わりはない。
少なくとも、今回の殺人について、同情的な要素などまったく見受けられないのだが・・・
もしかして、マスコミは犯人が「○チガイ」だった場合を恐れているのか?
○福井県勝山市で、女子中学生2人が3人組の男に一時連れ去られたとされた事件
実際には、2人は自分の意思で車に乗っており、連れ去りの事実はなかったらしい。
しかも、相手は携帯電話のメールで知り合った初対面の男性で、3人組というのもうそだったそうだ。
まったく関係のない人間による無差別殺人や、誘拐事件などについて、世間であれだけ騒がれているのに、こういうバカが出てくるのはなぜか。
所詮ガキはバカなんである。
「自分には関係がない」とか「私は大丈夫」とか思っているのである。
いくら言ったってムダなことだ。
嘉門達夫の歌に「少年はいつの日もバカ!」というのがあるが、まさにその通り。
ガキはいつだってバカなのだ。
だからこそ、まわりの大人が厳しく躾をしていかないとダメなんである。
その大人もバカだった場合は・・・
もうどうしようもありませんね。
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