日曜日に大河ドラマを久しぶりに見た。
と言っても、最後の30分くらいだけど・・・
「麒麟がくる」の最終回だったからだが、もちろん、本能寺の変そのものが変わるわけもなく、明智光秀が織田信長を倒したという事実はそのままだ。
ただし、その背景なりその後の状況なりについて、どういう解釈が行われているかが気になったわけだ。
結論から言うと・・・
①光秀はクーデターを起こす直前に、徳川家康に対して、後を託す旨の手紙を出していた。
②一方、光秀の親友であった細川藤孝が、何と羽柴秀吉に対して「光秀が不穏な動きをしている」旨の手紙を出す。
③この手紙を見た秀吉は、「これは面白くなるぞ。毛利になんか構ってはいられない」とばかりに、黒田官兵衛に命じて、急いで京都に戻る支度を始める。
④そして予定通りクーデターが行われ、急いで帰ってきた秀吉との戦いで敗れた光秀は、逃げる途中に農民によって殺された・・・わけではなく、密かに生きていた。
まず、④について言うと、確かに「実は生きていて、後に家康に仕えるようになった南光坊天海がその人である」という説はあるが、普通に考えると可能性は低いだろうと思う。
しかも、「実は生きていた」というのが、家康のそばにいるのを見た、というのではなく、街中を歩いているのを見た、という描写になっていたのは、ちょっと違和感があった。
①は、その前提となっている「実は家康と通じていた」という解釈の一つだろうが、もしかしたら家康が裏切ってしまう(信長に密告する等)かも知れないのに、わざわざ手紙に残す、というのはちょっと考えにくい。
しかも、山崎の合戦で、家康には何の動きもなかった、というのはおかしくはないだろうか。
その後、秀吉が天下を取り、家康としてもいろいろと苦労はしているのだから、少なくともこの時点で家康に後を託す、というのは、「最終的に家康が天下を取る」という結果から見た、単なる後付けの解釈としか思えない。
②も考えられない。
細川藤孝としても、秀吉と内通することは、場合によっては信長に密告されるだけでなく、光秀とともに処分される目に遭うかも知れないだろう。
そこまで秀吉が信用できる人間か、ということを考えたら、わざわざ秀吉に密告する理由がわからない。
これも、後の山崎の合戦で、光秀ではなく秀吉方についた結果から考えた後付けの解釈だと思う。
あの時光秀からの誘いを断ったのは、まさか信長を討つとは思っていなかったからだろう。
もしも不穏な動きを察していたのなら、秀吉なんかにではなく、光秀本人に対して忠告していたのではないだろうか。
③は、②が前提だから、②が成り立たなければ当然成り立たないことであるが、少なくとも備中高松城での戦いで、有利に進めていたとは言え、毛利本隊がいつ来るかも知れない状態では、とてもそんなことを考える余裕はなかった、と思うのだが。
まだ事が起きていない状況で撤退準備をするのは、実際に何も起こらないことも想定しなければならないはずだし、相当大きな危険を伴うはずだ。
急遽撤退を決めたからこそ、あの「中国大返し」ができたのだと思うわけだ。
いずれにしても、NHKとしては、光秀が主人公なのだから、余韻を残して終わりたかったのかも知れないが、何かヒネりすぎのような気がする。
と言っても、最後の30分くらいだけど・・・
「麒麟がくる」の最終回だったからだが、もちろん、本能寺の変そのものが変わるわけもなく、明智光秀が織田信長を倒したという事実はそのままだ。
ただし、その背景なりその後の状況なりについて、どういう解釈が行われているかが気になったわけだ。
結論から言うと・・・
①光秀はクーデターを起こす直前に、徳川家康に対して、後を託す旨の手紙を出していた。
②一方、光秀の親友であった細川藤孝が、何と羽柴秀吉に対して「光秀が不穏な動きをしている」旨の手紙を出す。
③この手紙を見た秀吉は、「これは面白くなるぞ。毛利になんか構ってはいられない」とばかりに、黒田官兵衛に命じて、急いで京都に戻る支度を始める。
④そして予定通りクーデターが行われ、急いで帰ってきた秀吉との戦いで敗れた光秀は、逃げる途中に農民によって殺された・・・わけではなく、密かに生きていた。
まず、④について言うと、確かに「実は生きていて、後に家康に仕えるようになった南光坊天海がその人である」という説はあるが、普通に考えると可能性は低いだろうと思う。
しかも、「実は生きていた」というのが、家康のそばにいるのを見た、というのではなく、街中を歩いているのを見た、という描写になっていたのは、ちょっと違和感があった。
①は、その前提となっている「実は家康と通じていた」という解釈の一つだろうが、もしかしたら家康が裏切ってしまう(信長に密告する等)かも知れないのに、わざわざ手紙に残す、というのはちょっと考えにくい。
しかも、山崎の合戦で、家康には何の動きもなかった、というのはおかしくはないだろうか。
その後、秀吉が天下を取り、家康としてもいろいろと苦労はしているのだから、少なくともこの時点で家康に後を託す、というのは、「最終的に家康が天下を取る」という結果から見た、単なる後付けの解釈としか思えない。
②も考えられない。
細川藤孝としても、秀吉と内通することは、場合によっては信長に密告されるだけでなく、光秀とともに処分される目に遭うかも知れないだろう。
そこまで秀吉が信用できる人間か、ということを考えたら、わざわざ秀吉に密告する理由がわからない。
これも、後の山崎の合戦で、光秀ではなく秀吉方についた結果から考えた後付けの解釈だと思う。
あの時光秀からの誘いを断ったのは、まさか信長を討つとは思っていなかったからだろう。
もしも不穏な動きを察していたのなら、秀吉なんかにではなく、光秀本人に対して忠告していたのではないだろうか。
③は、②が前提だから、②が成り立たなければ当然成り立たないことであるが、少なくとも備中高松城での戦いで、有利に進めていたとは言え、毛利本隊がいつ来るかも知れない状態では、とてもそんなことを考える余裕はなかった、と思うのだが。
まだ事が起きていない状況で撤退準備をするのは、実際に何も起こらないことも想定しなければならないはずだし、相当大きな危険を伴うはずだ。
急遽撤退を決めたからこそ、あの「中国大返し」ができたのだと思うわけだ。
いずれにしても、NHKとしては、光秀が主人公なのだから、余韻を残して終わりたかったのかも知れないが、何かヒネりすぎのような気がする。
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