老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

2016-03-10 10:32:59 | 俳句
2009年の 殿 元気だった頃
少しよごれて、毛が伸びている。
     

今朝、夫が新聞を取りにでると、犬の鳴き声がしたという。
午前六時。
昨夜、野良犬にやった、餌の器を引き上げにゆくと、離れた場所から野良が、じっと見つめている。
家に戻って、パンを持って行き、置いてくる。
カラスに横取りされないよう、注意を払いながら、、、、今朝の夫の一部始終である。

散歩の途中、夫や私の影に気がつくと、遠くにいても、鳴く。
野良のテリトリーがあり、かなり広範囲である。
鳴き声で何となく解るのである。
牧場へ馬を見に行った時も途中にある、森の中から声がした。
寒い時、雨が降った時はどこかで雨露をしのんでいるのであろうが、お腹はいつも空かしているに違いない。可哀そうに。
しかし、生き延びているには、どこかで餌にありついているのだろう。

亡くなった 殿 に注いだ愛情の万分の一を、せめてお腹の足しになればと、餌をやっている。
森林公園は 殿 のお気にいりの場所。元気な時の貴重な一枚。



 ☆ どこかでみた句を句にしてはいけません。自分が何を感じているのか、気づくことが出発点。


      🐢   炭焼小屋しばし足止め遍路ゆく

      🐢   銀杏落葉遍路幾万踏み行きし

遍路道での吟行句。
今月通った二句。

昨日は一日、投句に悩む。締めきりギリギリで投句をしたが、
自分が何か感じた句となると、上調子の見たままの、今までにある、類想句になる。
精進が足りない~。
コメント
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