老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

辛夷の花

2016-03-13 17:03:38 | 俳句
近所を散歩していて、辛夷の花が咲いているのを見つけた。
天にに向かって、真っ直ぐに、何の心のわだかまりもない咲き方だと、つくづくと思いつつ、仰ぎ見た。

  

最近、世間の俳人の思っていることが、私の感じているのと、全く同じである記事を読んだ。


朝日俳壇では、毎週5000~6000通くらい、俳句の投句がある。
それを4人の選者が、別の部屋でそれぞれ選句をするらしい。
もし、ハガキの山が崩れて、ハガキが机から下に落ちて、選者の目に止まらないのは、不運だったと、見たようなことを云っているのを、聞いたことがある。
同じ句が二人の選者から、選ばれたことを、かって見たことがある。まるで奇跡にちがいない。
それが、金子兜太と、稲畑汀子だったか?記憶はさだかでないが、、、、、、、、、、

結社に所属している人を二か月くらい置いて順繰りに選をする、選者がいる。
たまたま、その結社の本をとっていたから、気が付いた。

我が主宰も選者の一人だけれど、結社で見た名前を、朝日俳壇で読んだことは、今だかって一度も無い。

我が師は、俳句界で仲間と、お付き合いをすると、気兼ねをして、大きな俳句賞の審査をする時に目が曇るので、それなりのお付き合いしかやらないそうである。
ストイックな生き方で、自分にも厳しいけれど、弟子に対する選も厳しい。

結社の弟子を、定期的に選をする、先生。
誌友の人数次第で結社の運営方法も変わってくる。
俳句だけで、生活はなりたたないのが現実。
そんな、「誌友のご機嫌取り」がいると、書いているのを見て、日頃思っていることと、同じことを巷でも噂をしているらしい。

公人の立場を離れて、師弟関係を新聞紙上で結ぶのは、(選者の品格を疑う)。
いつまでたってもこれでは「俳句は第二芸術」以下のものでしかない、と結んでいた。


我が師は全没にするのはあなた方の為です、と云ってはばからない。そんな先生の結社で良かった。

その先生に選をされた句。四年前のこの季節。

     🐢   鈴懸の花図書館をはしごして

     🐢   ポケットにピエロのくれた花の種








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