老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

類想

2016-03-26 10:40:22 | 俳句


   🌸    接待の熱き桜湯根尾の里

   🌸   薄墨桜竜のやうなる根が走る 

薄墨桜で有名な根尾で作った句。


この十日余り さくら、桜 🌸 花 の毎日が続くであろう。
心が弾んでいる。

我が結社の、もう一人の若き代表者の句集を読んでいて、一句 目にとまった。

   ☆   東京のすこしはづれの花の駅   大谷弘至

彼は俳句界を牽引している、若きエース である。
毎月、彼の選を受けている。息子より若いけれど、尊敬をしている。

    🌻  花の山はづれの宮の桜かな

私の三十年前の、俳句を始めたばかりの時の句である。
地方誌に投句して、二、三回目の句である。
自分が作った句は、すべて 二十年前に一度、俳句から身を引い時に、きれいさっぱり捨て去ったつもりである。
が、この句は花の時季になると思い出す。
眉山の外れにある、椎の宮神社の一本の桜の木。まな裏に浮かぶのである。そんなことはどうだっていい。

  △△、、、はずれ 、、 △△  (花)(桜)
これでもう、類想、類句と云えると思うのだ。
俳句なんて、自分が楽しんでいればよい、選に入ろうが、おとされようが、俳句やっている者は自分の信念を連ぬくとよい。

しかし私は、これからも、今までも、類想、類句にはこだわる。
捨てなくてはならないと思う類想句にぶつかった場合は、いくら愛着があっても捨てようと思った次第。

大谷さんの句は勿論立派な句である。

比べるのが悪い、しかし、類想には違いない。
三十年前の句。よしとしようか。

こんなことは、毎日どこかで起きている。
類想、類句は難しい。

   



コメント
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