紫華鬘。
道野辺に咲いている。
見つけたけれど、名前は知らずにいた。
何かのきっかけで、名前を知ることに。なんと字に表せば風雅の名前を持っていることか。
(むらさきけまん)
>ケシ科の多年草。花の形が仏具飾りの華鬘に似ているからこの名前がついた。
☆ 幼いに花むしらるるけまんかな 一鷺
全く驚いた。
テレビの怖さ。
以前「プレバト」のそのまんま東の句の事をブログに書いた。
なつきさんが、鎌で切る鶏の首@@@@@@@の句のこと。
今回もいつきさんはべた誉だ。
その句が今年の年間優秀賞に選ばれていた。
つい先日のプレバトの番組で放送をされたのだ。
その夜から昨日にかけて、私のブログに、100を超える検索がされている。
まあ、思った事を書いた。
年間賞に選ばれたからって私の持論は変わらない。
私は「季語」を第一に考えている俳句。
575の中に季語を折り込んだとて、良い句とは限らない。
お笑い番組を否定はしない。私だって観ているのだから。
あくまで、お笑いが70%で俳句は後の30%として楽しんでいる。
しかし世間の人は俳句は、いつきさんオンリーと思っているに違いない。
あの句が素晴らしい名句と信じているであろう。それで良い。俳句に感心を持つ人がどんどん増えればよい。
我が師がどんなに良い俳人だとて、いつきさんの人気と知名度にはとてもかなわない。
俳句の良し悪しの発言力は、いつきさんのインパクトには及ばない。
俳句は発表をすれば、作者の手を離れて、読む人に解釈はゆだねられて独立した句として一人歩きを始める。
言葉が面白く、新鮮であれば、お笑い番組の趣旨にかなっているからそれでよいけれど、
それが視聴者の全てを誘うとすれば、どうかと思う。あくまで「お笑い番組」
「盆用意」の季語感の受け取り方が違うだけであるから、私は今でもあの句は良い句とは思っていない。
十人が鑑賞をすれば、十人の鑑賞があって全て同じではない。
それが言いたかっただけ。
なぜ?ブログに書くの?それをくどくどと。
怖かったから。今も恐ろしい。
一晩に私の「プレバトのブログ」が100件以上件も検索されていると思ったら薄気味が悪い。テレビの影響力ってすごい。今朝もまだ、、、、。
せいぜい、一日に閲覧者が1000人、訪問者が300人前後のブログを細々と楽しんでいるだけだのに、これって怖いことだ。
🐇 実篤のかぼちゃうまさう万愚節
30年前にこの句はある先生から3重丸を、、、
四月馬鹿であってほしい。