三連式の水車を見に行った。
「寂しき春 室生犀星」
したたり止まぬ日のひかり
うつうつまはる水ぐるま
あをぞらに
越後の山も見ゆるぞ
さびしいぞ
一日もの言はず
野にいでてあゆめば
菜種のはなは波をつくりて
いまははや
しんにさびしいぞ
大きな水車と遅咲きの牡丹桜を見て、この詩が浮かんできた。
長い間、一度も思い出したことのない詩が突然、胸の中にあふれだした。
夫が云う。
藁葺の屋根と、水車、どこかで見た郷愁の景だねと。
三連の水車とは名ばかり。
一と所から、三連の水車は見えない。
名物に美味いもの無し、看板に偽りのある水車の風景であった。
が、さておいて、心が童心の頃の自分に甦ってゆく。
コトコト、コットンではなく、ザーザーと水車が飛ばす大きな水音と機会で回す水車の音は風情には程遠い。
しかし、それに余る、まな裏に浮かぶ、田舎の原風景だ。
町興しの為に住民が設えるたとか。
水車の前に立っている人と比べると、水車の大きさもわかる。
機械で持ち上げられた水が水車を回す。
その水が風に煽られて吹かれて、立っていると水飛沫となり、身体にかかる。
寒い、寒戻りの日だったから、なんと冷たかったことか。
犀星の詩のなんと素晴らしいことぞ。
詩の心が胸に沁みこんでくる。
老化一方の頭が久ぶりに瑞々しくなった。
詩と風景のマッチされたひと時を過ごすことが出来た。
🍒 水車まはる音のひねもす紙漉場
🍒 遅咲きの花の盛りや水車小屋
🍒 一両電車春夕焼けの畑過る
🍒 青々と水車の飛沫に杉菜闌け
🍒 あっぱっぱの母がゐそうよ水車まふ