「あそこが事故現場ですね」「そうです。右側の仮設の建物のある辺りですね」。
これは昨日、山形県下のJR羽越線を走る列車内にて交わされた、乗客の若者と俺との会話である。
昨年末、同線にて5名もの犠牲者を出す特急列車の脱線転覆事故の発生はご記憶の各位もあるだろう。
一昨日より今日まで、俺がこの地を目指した理由の一つは、その事故現場を一目見ておきたかったからだ。
ここは山形県の主要都市、鶴岡市と酒田市のほぼ中間で、東北の有力河川、最上川の下流に開けた庄内平野のほぼ中央に当る。
秋田方面より新潟方面へ向う列車は最上川を鉄橋にて渡るとすぐ緩い下り坂にさしかかる。同川は、200kmを超える全長の割りに、川幅はそんなに広くない。酒田市内に入っても約600m程で、ほぼ同じ全長の新潟の阿賀野川の3分の2程度に過ぎないと見た。その分流れは速い様で「日本三大急流」に数えられている程だと言う。事実俺が見た時も、雪融け水で相当に増水していた。
所で当時、事故に関わった上り特急が最初に脱線したのがこの川の直上だったらしい。
やはり強い川風と横風の影響は無関係とは言えないのではないか。風速計は速度規制値以下だったものの、こうした地形が場所によっては風速や風力を増大させていたと言えなくはないのではないか。
又当時、大幅な速度規制は実施されず、列車が高速のまま進入した事が不運だったのは想像に難くない。要するに、結果的に無理をしてしまったと言う事だろう。
その後、こうした場合の速度規制は強化された様で、現場付近では各列車共意図的に徐行している様だ。又速度規制がない場合でも、運転士が危険と判断した場合には機動的な減速措置も取られている模様。やはり事故から学習し、再発を防ぐ心がけが、犠牲各位に対する最大の供養と言う事だろう。列車が突入した資材倉庫は立替えの為解体された様だが、その跡には今も、犠牲者を悼む献花台が設けられていた。