先日の夜のTV番組にて、先の大戦、大東亜戦争こと太平洋戦争における空の花形であった、ゼロ戦こと零式艦上戦闘機の軌跡を取上げていました。
零式の由来は、同機の完成年とされる1940=昭和15年が丁度皇紀2600年に当る事により命名されたと言われている様です。
昔から石油資源に恵まれなかった我国の実情に合わせた面もあるのかも知れません。
ある程度のエンジン出力でも最大限の運動性能を備える様様々な努力と工夫が見られ、特に機体の軽量化には特段の苦心が払われた様です。
デビュー年に当る前述の年、同機は中国大陸での作戦において期待通りの戦果を挙げ、以後数次にわたる仕様変更を経て量産されます。翌年暮れの大東亜戦争こと太平洋戦争の戦端を開いたのも同機の部隊でした。
ゼロ戦は高い運動性能を誇った反面、急降下を可能にする機体の剛性や防弾などの乗員保護対策は極めて不十分だった様です。パイロット達より強い要望はあったのですが、精神主義に固まり、敵国合衆国の実態把握を顧みなかった所属部隊の海軍中枢部よりは理解されず、却下されて実現は叶いませんでした。そしてその事が同機の運命を暗転させてしまいます。
1942=昭和17年の南太平洋、ガダルカナル島での戦役に際しては、比較的後期のゼロ戦が参戦する手はずでしたが、初期型よりも燃料漕を縮小された後期型は基地より戦地への往復ができず、戦列に加われませんでした。やむなく初期型での不利な戦いを余儀なくされ、多くの熟練パイロットが失われる結果となりました。又、ガダルカナル島に展開していた日本軍への補給が絶たれて孤立状態に陥った末に壊滅的打撃を被る結果となり、所謂「餓島」と呼ばれたのも当時有名な話だった様です。
我国の航空兵力はこの後も経験の浅い若手乗員が多かった事もあってその劣勢を挽回できないまま1944=昭和19年夏の北太平洋、マリアナ沖海戦にてほぼその勢いを絶たれる事となります。そしてゼロ戦の末路・・・それは今も伝説として続く、あの神風特別攻撃隊としての、生還を期さない片道体当たり作戦と言う凄惨なものでありました。
もし、海軍中枢部が対戦国の実情を冷厳に分析把握しておれば、こうした悲劇は回避できたかも知れません。
我々日本人にともすればありがちな、相手を良く理解把握せずに行動を起こしてしまう体質は、今も完全に克服されたとは言えないと、先日記した著述家、故・山本七平さんは著書の文中にてご指摘になっています。
我々はこの史実を、重大な教訓として真剣に受け止める必要があるのではないかと思います。*(日本)*
零式の由来は、同機の完成年とされる1940=昭和15年が丁度皇紀2600年に当る事により命名されたと言われている様です。
昔から石油資源に恵まれなかった我国の実情に合わせた面もあるのかも知れません。
ある程度のエンジン出力でも最大限の運動性能を備える様様々な努力と工夫が見られ、特に機体の軽量化には特段の苦心が払われた様です。
デビュー年に当る前述の年、同機は中国大陸での作戦において期待通りの戦果を挙げ、以後数次にわたる仕様変更を経て量産されます。翌年暮れの大東亜戦争こと太平洋戦争の戦端を開いたのも同機の部隊でした。
ゼロ戦は高い運動性能を誇った反面、急降下を可能にする機体の剛性や防弾などの乗員保護対策は極めて不十分だった様です。パイロット達より強い要望はあったのですが、精神主義に固まり、敵国合衆国の実態把握を顧みなかった所属部隊の海軍中枢部よりは理解されず、却下されて実現は叶いませんでした。そしてその事が同機の運命を暗転させてしまいます。
1942=昭和17年の南太平洋、ガダルカナル島での戦役に際しては、比較的後期のゼロ戦が参戦する手はずでしたが、初期型よりも燃料漕を縮小された後期型は基地より戦地への往復ができず、戦列に加われませんでした。やむなく初期型での不利な戦いを余儀なくされ、多くの熟練パイロットが失われる結果となりました。又、ガダルカナル島に展開していた日本軍への補給が絶たれて孤立状態に陥った末に壊滅的打撃を被る結果となり、所謂「餓島」と呼ばれたのも当時有名な話だった様です。
我国の航空兵力はこの後も経験の浅い若手乗員が多かった事もあってその劣勢を挽回できないまま1944=昭和19年夏の北太平洋、マリアナ沖海戦にてほぼその勢いを絶たれる事となります。そしてゼロ戦の末路・・・それは今も伝説として続く、あの神風特別攻撃隊としての、生還を期さない片道体当たり作戦と言う凄惨なものでありました。
もし、海軍中枢部が対戦国の実情を冷厳に分析把握しておれば、こうした悲劇は回避できたかも知れません。
我々日本人にともすればありがちな、相手を良く理解把握せずに行動を起こしてしまう体質は、今も完全に克服されたとは言えないと、先日記した著述家、故・山本七平さんは著書の文中にてご指摘になっています。
我々はこの史実を、重大な教訓として真剣に受け止める必要があるのではないかと思います。*(日本)*