Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

認知症事故 賠償免責はあくまでも「状況如何」だ

2016-03-06 11:02:13 | 社会・経済
先日、2007=平成19年暮れに当地南郊にて生じた、認知症高齢者が絡んだ鉄道事故の家族賠償問責訴訟につき、最高裁判所が「事故当時、当事者の家族は監督責任を問える状態ではなかったとして、全額を免責とする判決を下した。下級審にては、当該路線を運行するJR東海社に対し少なくとも数百万円の賠償責任があったとされ、それを覆す此度の判決は、在宅介護に当たる認知症患者家族への福音となり得る画期的かつ温情的な面の一方で、賠償問責が不可能となる恐れがあり、万一にも列車など公共交通機関側に人的被害が生じた時の被害回復が極めて困難となる問題も孕んでいる。

つまり、心神耗弱者が起こした凶悪犯罪の罪責を問う場合の厄介さと似た所があるのだ。俺も鉄道愛好者の端くれ。この問題を簡単に見過ごせない所を感じるので、これも先日の全国紙 Y新聞の記事を引用しながら考えてみたく思う。

まずは民法の専門家 窪田充見(くぼた・あつみ)神戸大教授のご見解より。

「賠償責任の所在 規定を」 「今回の最高裁判決は、認知症高齢者の家族の負担に配慮したという点で、積極的な評価もあると思うが、同時に、現在の民法が抱える問題を明らかにしたのではないか。
民法は、精神障碍者などの責任能力のない社会的弱者の賠償責任を免除する一方、法で定めた『監督義務者』に賠償責任を負わせることで、被害者の保護を図っている。

そこで問題となるのは、誰が監督義務者にあたるかだ。今回の訴訟で、一審(名古屋地裁)は『介護方針を決める立場にあった』として別居する長男を監督義務者とした。しかし二審(名古屋高裁)は、民法上の配偶者という立場を重視して同居の妻があたるとしており、司法判断は揺れていた。
そして最高裁は、妻と長男は監督義務者ではないとした。2人の裁判官は長男を監督義務者としたものの、過失を否定して『免責すべきだ』との意見を付している。一、二審には多くの批判があり、最高裁の判断を世論は歓迎するかもしれない。

『ただ、それは加害者とされる高齢男性が事故で亡くなる一方、鉄道企業JR社側は営業損害にとどまるという、介護をする家族に同情が集まりやすいケースだったからだ。』

『仮に認知症高齢者が(今年初の宮崎市の交通事故の様に)第三者を死亡させた場合、同じ反応になるだろうか?本人に責任能力がなく、監督義務者もいないとなれば、誰も賠償責任を負わず、被害者は放置されてしまう。』

英米の法律では、そもそも責任能力がないことを理由とした免責を認めていない。欧州各国では、責任能力がない場合に免責を認める一方、代わりに賠償責任を負う監督義務者について、成年後見人や配偶者などと民法の中で明確に規定している。また、監督義務者がいない場合などについては、例外的に本人の責任を認めている。

日本では、責任能力がなければ免責され、今回のケースでは監督義務者もいないことになる。誰にも賠償請求できない状況は、特殊と言わざるを得ない。
認知症高齢者が起こす事故のリスクは『社会で負担すべきだ』という意見は、そのための具体的な制度のない現状では、耳当たりの良い抽象論に過ぎない。

監督義務者を法律で明確に規定し、例外的に本人の責任も問える制度を導入して、本人や監督義務者となった家族らが、損害保険に入るのが現実的だろう。

賠償責任を負うのか負わないのかはっきりしない状況では、保険に入る動機づけが乏しい。監督義務者が明確になれば、本人や家族らの保険加入を促すことにもなる。今回の判決は、賠償責任のあり方を、制度上明確にする作業が喫緊に必要なことを示したといえる。」

窪田教授のご見解に関し、同新聞の関連記事も見て参る事にしたい。

「賠償 保険で備え」 「今回の判決に基づけば、認知症高齢者と同居していて、問題行動に日々直面している家族は、監督責任を負う可能性がある。『賠償リスク』にどう備えればいいのか。

損害保険各社が扱う自動車保険や火災保険、傷害保険の特約で加入できるのが『個人賠償責任保険』だ。日常生活で相手にけがを負わせるなどした場合に賠償金や弁護士費用が支払われる。加入者本人に限らず、配偶者や同居の親族も対象になる。
年1000~2000円の保険料で1億円程度の補償が受けられ、無制限の場合もある。三井住友海上火災保険などは昨年、認知症の人が保険に加入していれば『監督義務者にあたるかもしれない後見人や別居の家族なども支払対象に加えた。

危険な行為で直接けがを負わせたケース以外にも、列車を急停車させて乗客にけがを負わせたり、車体を破損させたりして賠償義務を負った場合も支払いの対象になる。列車が遅れて営業上の損害が出ただけでは対象にならないという。

一方、被害を受けても相手に監督義務者がいない場合の備えになるのが、自動車保険に付く『人身傷害補償保険』だ。加入者やその家族が歩行中、認知症の人の運転する自動車や自転車の事故で死傷した時などに保険金が出る。

山下典孝 大阪大教授(保険法)は『認知症の事故に備える保険需要・ニーズは今後拡大するだろう。保険で、家族の誰がカバーされるのかなどを日頃から確認しておく必要がある。』と指摘している。」

これらの記事を、皆様はどうお感じになりますか?俺は、窪田教授の「認知症高齢者の起こす事故リスクは社会で負担すべき、との見方は耳当たりの良い抽象論に過ぎない」とのお言葉に特に感銘を受けるものだ。

確かに、認知症対策を含めた高齢者福祉の大切さは分るが、我々日本人にとって最も大切な事は「平和を守る事」ではないのか。
その平和の為に守るべき法秩序は、いかなる福祉よりも優先されるべきはずだ。今回の最高裁判決は、「当該事案にのみ有効」の判断、そして決定であって、いかなる場合も有効な判例にはなり得ないはずだ。つまり、認知症患者の起こした事件事故でも賠償責任を問える様法整備を急ぎ行い、より甚大な被害が出た場合に備えなければならないと言う事だ。

蛇足かもだが、我国に、事ある毎に多くの福祉関係者が主張する様な北欧型高福祉社会は向かない。どうしてもと言うのなら、より高率な消費税上方改定、標準で30%以上もの税率とする事や、欧米の一部では実施済の独身者重税化などへの国民的合意 コンセンサスが得られなければならない。そんな事は現実には不可能なのは誰の目にも明らかだ。だから短期的には、認知症が原因の事件事故を補償する損害保険の拡充が急がれなければならない。その上で、できる範囲の支援を社会レベルで行う事が望ましい方向だろう。

凶悪事件への対処でもそうだが「責任能力がないからと言って、本人も保護責任者も免責」と言う事態はあってはならない事。「特殊」と言うより「異常」の一言だ。今回の最高裁判決は、あくまで今回に限っての決定であり、以後はケース・バイ・ケースでの厳正な判断が厳しく求められなければならない。これで今後の認知症事件事故の言質を、自勢力の功利や売名の為に取ろうとする左派野党やエセ人権勢力、それに一部の不良な福祉勢力や反日メディアなどの利権に資する事など、我々は決して許してはならないだろう。

今回画像は、これも先日、当地名古屋市内にて見かけた、JR在来線の試験列車「ドクター東海」の検査走行の様子。有名な東海道・山陽新幹線試験列車「ドクター・イエロー」と双璧をなす列車で、安全を守る心意気は決して負けないものがある。スピードと安全の陰には、線路のメンテナンスを担う保線と共に、こうした地味ながら高度な役務もある事を是非知って頂きたいものだ。
時折不祥事も明るみに出る鉄道の世界ではあるが、この様な命を賭した取り組みには心より脱帽だし、又敬愛の念と声援を送り続けたいものであります。





コメント (2)
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