コナサン、ミンバンワ!もう毎年の事かもだが、今年も冬の訪れが早そうだ。既に、北海道各地で初雪の便りを聞き、気温の方も、初冬モードのレベルの様だ。東北辺りの平地の初雪も、時間の問題だろう。何か、年を追う毎に、春と秋の様な、穏やかな気候が減っている様に感じるのは拙者だけか?事実とすれば、大変遺憾。これ以上の温暖化を抑える為にも、国際的取組のパリ協定批准が急がれる所だが、与党の本気度は如何に?
さてこの所、小学生前後の子供達を巻き込む、遺憾な交通事故が多発している。首都圏で登校中に遭遇が二件、当地愛知でも下校中の死亡事故があった。後者は横断歩道での発生、しかも事故当該の運転者は、走行中にスマート・ホンゲームに興じていて前方監視が全くなっていなかったとか。本当に、我国の大人の野郎共は、次代、そして未来の担い手たる、そして次の納税者たる子供達を、本気で守ろうとする意思に全く欠けている様だ。登下校時の通学路は、完全に歩道が確保されでもしなければ自動車通行禁止にするのが当たり前だし、ただの禁止規定だけでなく、コーンやフェンスを置き、ボランティアでも良いから監視員を置いて、物理的に進入を許さない施策が求められるべきだ。抜け道でさえあれば、どんな狭い危険路を、大して徐行もせず、ハイペースのままで抜けようとする横着者は少なくない。だから、時に取り返しのつかぬ大惨事を起こすのだ。
自治体などの行政も、決して芳しい姿勢ばかりではない。五年前の先の震災の折、学校避難誘導の不適切から、70名を超える小学生に犠牲を生じた、宮城県石巻市に対し、仙台地裁より十数億円の損害賠償判決が下り、同市は控訴する方向だと言う。確かに復興に掛る予算確保は大変だし、訴訟に加わらなかった犠牲者遺族との格差問題も分らぬではないが、最低でも一定和解の姿勢位は示さないと、復興しても、石巻市は「子供達に冷たい街」のイメージが付き纏う様になり、新たに住もうとする意欲を持たれなくなってしまう恐れがあろう。
子供達が寄り付かなくなると言う事は、未来の地域の担い手、そして納税者候補がいなくなる事を意味し、仮に訴訟には勝っても、結局は自治体の首を自ら締め上げる事となりかねないだろう。これは前述の交通事故問題でも同じ事。未来の担い手、納税者候補を危険に晒し続けておれば、それは「因果は巡り」結局は、加害者共と、その家族親族の命も締め上げる事となるだろう。それは結局、当該自治体、ひいては祖国日本の衰退を早める事ともなり得るのである。
戦後のあり様と教育の不良から、我国民、特に野郎共は「国家からの視点」を自ら捨てた。今、そのツケ払いを迫られていると愚考するのは拙者だけか。先般の、昨2015=平成27年の国勢調査確定値では、我国の総人口が、1920=大正9年の調査開始以来初の減少となった由。この傾向はこれからも続き、2025=平成37年頃を境に、減少幅は戦慄すべき値になると言うではないか。A・スミスの始めた自由主義も、老子の築いた性善説も、いずれも道徳の確たる裏付けあっての観念のはすだが、戦後の我国に導入されたそれは、いずれも道徳観念が骨抜きにされた粗悪なものだった。大人の野郎共は、それに毒されてラリラリ、ヘロヘロになっているのが現状だろう。
こんな思潮を蔓延させたのは、無責任な粗悪リベラルお花畑勢力と日教組だ。もうこんな連中の思考に嵌っていてはいけない。まず男達が「国家からの視点」を取戻し、未来の担い手と納税者候補たる子供達を、どう健全に守るかを考えられる様鍛え直すべきだ。それに成功した時、初めて凄惨な交通事故や大災害から、まだ経験値の少ない彼らを守る事ができるのだろう。今回画像は、過日の秋口の捉えた、岐阜・長野県境近くの、木曾の渓流の様子。穏やかな天候の日は、ご覧の様に「水鏡」が出現する事もありまして。