真美さんお早うございます。最初に、貴方宛の伝言記事となった事後のご報告をお赦し下さい。2009=平成21年の盆休みも早最終日となりました。昨日の終戦の日の正午、私は当地三河のJR飯田線のある駅にて、黙祷を捧げました。
当地愛知のこの期間は、真夏に相応しい炎暑と、曇りがちで時折時雨れたりの不安定な天候がほぼ半々でした。今朝も雲が多く、割合凌ぎ易いのは助かりますね。
貴方とは鉄道交通に関する趣味で共通する所もあり、汽車電車の類にしても、一度路線や車両の型式など踏み込んだ話などを、夜通しできればな、などとアホな願望を抱いたりしています。身近な所では、半世紀もの歴史と栄光を誇った当地東海の名物車、名古屋鉄道パノラマカーが、遂に今月末を以てその活動に終止符を打ちます。時あたかも衆議院総選挙の日。我国のこれからにとり、岐路となり得る特別な日、8/30が勇退の日に選ばれたのも、何か因縁の様なものを感じている所です。
どんなに功労のある者も、又、どんなに栄光の軌跡を描いた者にも、その終わりは平等に訪れるものですね。そう言えば、貴方は鉄道車両や艦船の模型も手掛けていらす様ですね。拙方にも画像を下さり、有難うございます。艦船と来れば旧日本海軍の事。私も名司令官山本五十六さんや異色の将官井上成美さん等の伝記を拝読して戦中の苦境に少しは接した事がありますし、海軍在籍のご経験を持つ作家、阿川弘之さんがとても良い資料を残して下さっており、残る大物、米内光政さんの事と共に、これから読むべき事共も多く、まだまだ勉強って感じです。苦笑
さて、戦艦大和の最期に象徴される様に、我国は先の大東亜戦争こと太平洋戦争において、欧米連合国に大敗北を喫した訳ですが、戦没並びに戦災犠牲の各位に対する弔意のあり方について、未だに見方が分かれているのは遺憾です。
戦中出陣した方々は「死んだら、靖国で会おう」と声をかけ合い、戦地へお越しになったやに聞いています。ご存じの様に、戦没各位の亡き魂は、東京九段の靖国神社に合祀されています。その事自体に私は異論はありません。
左翼的思潮が幅を利かせていた拙10代の頃、上京していた私に、両親も靖国参拝を勧めてくれたのですが思考面で逡巡があり、この時は同社を訪れていません。ようやく今世紀に入って思考面の整理もつき、参拝に至った次第であります。この辺りの事は2005=平成17年10月の拙日記「靖国へ・・」に記しましたので、良ければご参照下さる様。
靖国のあり方に、議論がある事自体は異論はないが、我国の戦没者表敬のあり方は、靖国を抜きにしては語れないのも事実だと思います。
勿論、合祀された中には現在の中華民国、大韓民国出身の方々もいらっしゃる。この方々の遺族各位より合祀見直しを求める声もあるやに聞かれ、所謂A級戦争犯罪人と言われた方々の処遇と共に、靖国神社の対応が注目される所です。
願わくば、長い時間をかけて少しでもこうした遺族各位の希望が少しでも叶えば良いが、神社側もその可否につき、もう少し誠意のある説明があっても良いのではと思います。
昔と異なり、少しでも相手の立場も理解しなければと言う時代。又、双方がそう言う努力をする事が「平和を築く」と言う事やないかと思う訳であります。
この事につき、貴方には独自のご見解がある事と思います。ここはご自身の信念によってこの記事を読んで下さればと思います。それにしても、この問題は息長く取り組む必要がありそう。性急に結論を出すべきではない様に思います。
話をパノラマカーに戻します。今回の添付画像、こだわりのある貴方向けに、昨年引退した正当の6両隊、所謂P-6編成の模様を載せます。先頭車も他の編成との増結装備のない原形。非常用連結器があるだけです。
昨夏は、この第4編成、車番7007F(東京方先頭車)を追って、活発に動き回る愛好者達の姿が目立ちました。
その様な中、丁度昨盆の夕暮れ、東海市の太田川駅の構内に、一人の愛好者もなく一般の乗客各位、親子連れや退勤の会社員らしいネクタイ着用の男性達、それに夏の装いの若い女性達に囲まれて、束の間幸せそうに見えた同編成の心和む姿は、今も忘れられない光景です。
P.S 勇退する名古屋鉄道パノラマカーの回顧記事を、拙ブログにて連載しております。*(日本)*
当地愛知のこの期間は、真夏に相応しい炎暑と、曇りがちで時折時雨れたりの不安定な天候がほぼ半々でした。今朝も雲が多く、割合凌ぎ易いのは助かりますね。
貴方とは鉄道交通に関する趣味で共通する所もあり、汽車電車の類にしても、一度路線や車両の型式など踏み込んだ話などを、夜通しできればな、などとアホな願望を抱いたりしています。身近な所では、半世紀もの歴史と栄光を誇った当地東海の名物車、名古屋鉄道パノラマカーが、遂に今月末を以てその活動に終止符を打ちます。時あたかも衆議院総選挙の日。我国のこれからにとり、岐路となり得る特別な日、8/30が勇退の日に選ばれたのも、何か因縁の様なものを感じている所です。
どんなに功労のある者も、又、どんなに栄光の軌跡を描いた者にも、その終わりは平等に訪れるものですね。そう言えば、貴方は鉄道車両や艦船の模型も手掛けていらす様ですね。拙方にも画像を下さり、有難うございます。艦船と来れば旧日本海軍の事。私も名司令官山本五十六さんや異色の将官井上成美さん等の伝記を拝読して戦中の苦境に少しは接した事がありますし、海軍在籍のご経験を持つ作家、阿川弘之さんがとても良い資料を残して下さっており、残る大物、米内光政さんの事と共に、これから読むべき事共も多く、まだまだ勉強って感じです。苦笑
さて、戦艦大和の最期に象徴される様に、我国は先の大東亜戦争こと太平洋戦争において、欧米連合国に大敗北を喫した訳ですが、戦没並びに戦災犠牲の各位に対する弔意のあり方について、未だに見方が分かれているのは遺憾です。
戦中出陣した方々は「死んだら、靖国で会おう」と声をかけ合い、戦地へお越しになったやに聞いています。ご存じの様に、戦没各位の亡き魂は、東京九段の靖国神社に合祀されています。その事自体に私は異論はありません。
左翼的思潮が幅を利かせていた拙10代の頃、上京していた私に、両親も靖国参拝を勧めてくれたのですが思考面で逡巡があり、この時は同社を訪れていません。ようやく今世紀に入って思考面の整理もつき、参拝に至った次第であります。この辺りの事は2005=平成17年10月の拙日記「靖国へ・・」に記しましたので、良ければご参照下さる様。
靖国のあり方に、議論がある事自体は異論はないが、我国の戦没者表敬のあり方は、靖国を抜きにしては語れないのも事実だと思います。
勿論、合祀された中には現在の中華民国、大韓民国出身の方々もいらっしゃる。この方々の遺族各位より合祀見直しを求める声もあるやに聞かれ、所謂A級戦争犯罪人と言われた方々の処遇と共に、靖国神社の対応が注目される所です。
願わくば、長い時間をかけて少しでもこうした遺族各位の希望が少しでも叶えば良いが、神社側もその可否につき、もう少し誠意のある説明があっても良いのではと思います。
昔と異なり、少しでも相手の立場も理解しなければと言う時代。又、双方がそう言う努力をする事が「平和を築く」と言う事やないかと思う訳であります。
この事につき、貴方には独自のご見解がある事と思います。ここはご自身の信念によってこの記事を読んで下さればと思います。それにしても、この問題は息長く取り組む必要がありそう。性急に結論を出すべきではない様に思います。
話をパノラマカーに戻します。今回の添付画像、こだわりのある貴方向けに、昨年引退した正当の6両隊、所謂P-6編成の模様を載せます。先頭車も他の編成との増結装備のない原形。非常用連結器があるだけです。
昨夏は、この第4編成、車番7007F(東京方先頭車)を追って、活発に動き回る愛好者達の姿が目立ちました。
その様な中、丁度昨盆の夕暮れ、東海市の太田川駅の構内に、一人の愛好者もなく一般の乗客各位、親子連れや退勤の会社員らしいネクタイ着用の男性達、それに夏の装いの若い女性達に囲まれて、束の間幸せそうに見えた同編成の心和む姿は、今も忘れられない光景です。
P.S 勇退する名古屋鉄道パノラマカーの回顧記事を、拙ブログにて連載しております。*(日本)*