今日より恐れながら3連休、お陰で秋晴れに恵まれた。
昨日より開幕の、三重鈴鹿最後のF-1日本GP、昨日の初日は観衆へのお披露目も兼ねた習熟走行、中日の今日は午前が昨日の引き続き習熟と競技車の仕上がり点検の為のフリー走行、午後はいよいよ明日の決勝出走順位を決めるべく、本予選が行なわれているはずだ。今の予選は以前とは大きく異なり3ラウンドに分れ、R1にて下位6位、R2にて中位6位、そしてR3にて上位の10傑が決まる規程となっている様だ。
見所はやはり、上位の常連フェラーリとルノーのどちらが所謂ポール・ポジションと呼ばれる予選首位を奪うか、もう1つは開幕よりこれまで、奮闘及ばず首位戦線に食い込めないでいるチーム・トヨタと予選下位に甘んじて来た我らがアグリ・ホンダが中位へと上昇のきっかけを摑めるかだろう。この如何により、両団の来季のあり様がある程度は見えて来ると思うがどうだろう。
思えば俺も、前世紀末は時々鈴鹿へと通ったものだ。F-1日本GPへは1990=平成2年と1994=同6年より1997=同9年にかけ観戦へと参っている。又、1998=平成10年秋には、本レースは見なかったものの、閉幕後のタイヤを中心としたテスト走行を見学している。
最初に参った1990=平成2年のレースは、今も印象に焼きついている。何しろ前年来続く、A・プロストとA・セナ・ダシルバ(これが同選手の本名の由)の順位を巡る確執が延々と続いていて、それがレースにどう影響するかをレース愛好者のみならず、一般人をも巻き込んで、注目の的となっていたのだから。
さて当時の決勝、出走直後にフェラーリへと引っ越したプロストとマクラーレンに残ったセナが因縁の接触事故を起こして共に棄権(リタイアメント)。代わって首位を奪ったのがプロストの僚友N・マンセルであった。1987=昭和62年の優勝候補だった同選手は鈴鹿でのF-1日本GP初年に予選事故を起こして重傷を負い、この事が元で同年の優勝タイトルを逃している。首位を行く同選手のフェラーリは最高の美しさを誇っていた。
イタリーの、そしてヨーロッパの誇りたる真紅のフォルム。甲高く、スピード感に溢れたV型12気筒エンジンの気高い走行音は、マンセル選手の意地と闘志と相まって「こいつこそは真の勝者」と誰もが想像した事だろう。が、しかし・・・。
レース中盤、ピット作業を済ませ、本コースに合流しようとしたマンセルは突如不運に見舞われる。ピット・ロード出口付近にて(多分)競技車の駆動系が急に不具合に。そして停止してしまい、現在のルノー、当時のベネトンに乗るN・ピケに首位を攫われる事に。思えば同選手は鈴鹿初年に事故に遭ったマンセルとシリーズ首位を争い、結局逆転にて栄光に輝いた因縁の相手である。又この時点で、ラルース・チームより出場の我らが鈴木亜久里が第3位に浮上している。
レース後半は安定した流れ、結局はピケがそのまま優勝、ピケと同郷にて当時の同僚R・モレノが準優勝、そして我らが亜久里さんが史上初めて日本人として3位初表彰台に駆け登った。又先輩格の中嶋 悟さんもティレルより出場して6位入賞。日本人ドライバー達は、トップ・プロに相応しい、素晴らしい働きをしてくれた良きGPレースであったのを覚えている(以下次回)。