Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

名鉄パノラマカー回顧Ⅱ

2009-08-09 09:00:19 | 旅行記

各位お早うございます。南方の台風第8号に加え、我国近海に台風予備軍、熱帯低気圧の発生が予想され、今朝の当地名古屋は曇り空。今夜より明日にかけては、強い雨の予報も出た所。最終ステージに入った名古屋鉄道パノラマカーの惜別行事は今日も予定され、昨日に引き続き同鉄道西尾・蒲郡の両線への乗り入れが設定されている。同車と海とのコラボを記録に残せるのは今日が最後。撮影の為、多くの人出が予想されるが、各位安全と地元への迷惑に留意の上、良い記録を残して頂きたい。

さて当初、名古屋本線の豊橋~岐阜間の特別急行専用車として衝撃デビューを飾ったパノラマカーだが、本来の車型7000型に加え、1963=昭和38年に高速性能に留意して開発された兄弟車、7500型が出現すると、いよいよ本線以外の主要路線、犬山線や常滑・河和線、津島線などへの進出が開始される。行先表示のなかった正面にも逆台形、所謂逆さ富士の行先盤が備えられ、乗客各位の誤乗防止が図られた。従って床面が多少低い他は展望前面を含めてまんま同じ外観の兄弟分、7500型は当初より行先盤を掲げてのデビューだったと言う事だ。

1954=昭和29年に開通した名古屋鉄道の地方線、豊川線の沿線で幼少を過ごした俺が、同線にて初めてパノラマカーを目撃したのは結構早い時期で、確か1965=昭和40頃ではなかったかと思う。あるいはご存じの様に、毎正月の豊川稲荷の初詣輸送に対応して、同車の豊川線乗り入れは既にデビュー2年目位からあったとの情報もあり、同鉄道は意外に豊川線の存在を重く見ているのかも知れない。勿論、公共性を帯びるとは言えそこは営利企業、不利益な事はしないに決まっているのだが。

それにしても、東京五輪開催や、当時日本国有鉄道だった新幹線が初開通したこの時期。名古屋鉄道にはパノラマカーの2代前の戦前特急車、3400型流線車を初め、旧国鉄飯田線と並び、旧世代の電車も数多く残り、現役を守っていた。「青電」と呼ばれた落ちついた濃緑の外装が渋かったこれら旧世代車と真紅のパノラマカーとの出会い。想えば鮮やかな記憶ではある。

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