Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

名鉄パノラマカー回顧

2009-08-03 00:46:39 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!2009=平成21年8月も、拙ブログを宜しくお願い致します。

かねて申し上げていたと思うが、当地の名物電車、名古屋鉄道パノラマカーが遂に今月末を以て完全引退する事となった。最終運転日は8/30(日)午後。栄光と有終の最終走者は7000型第6編成、特急仕様白帯着用車。車番は上り豊橋・東京方より7011(先頭車)~7162(中間車)~7061(中間車)~7012(先頭車)の計4車の面々である。

この編成は、前年の1961=昭和36年のパノラマカー7000型初デビューの翌年、1962=同37年に増備された4隊24車の仲間で、この年同車は汽車、電車など鉄道車両に贈られる最高の栄誉、ブルー・リボン賞を、日本国有鉄道の強敵、キ80系ディーゼル特急車の面々を僅差で抑え、獲得している。初年に登場した3隊18車と合わせ、7隊42車の勢力へと成長し、当時1時間に2往復の名古屋本線の豊橋~岐阜間特急列車の全てを制圧する事となる。

編成の隊数と車両数からお分り頂ける様に、デビュー当時のパノラマカーは、1編成6車両、先頭2車、中間4車で、名鉄社内や愛好者よりは「P6」と呼ばれ親しまれた。よって後年登場する短縮4車の編成は「P4」と呼ばれた。初期登場の7隊、勿論現存の第6編成をも含むこのグループは、当初後年「逆さ富士」の異名にて有名になる正面の逆台形の行先盤を備えず、この位置には「フェニックス」と呼ばれる金色の紋章が掲げられていた。これは「不死鳥」を意味し、これから「永遠不滅の価値を追求した車両」の意味が見て取れる。事実車両の開発当時の経営トップの意気込みは凄まじく、「ブルー・リボン賞が獲れなければ、開発陣は全員がクビ」との話もあった程だったと言う。特徴的な展望式正面の造形は、1953=昭和28年デビューのイタリア共和国の観光特急列車「セッテベロ号」に範を取ったものの由だが、安全度を配慮し、運転台と共に局面窓ガラスは採用されなかった。

俺とパノラマカーの最初の出会いは確か、東京五輪開催、そして東海道新幹線初開通の前年の1963=昭和38年頃だったと思う。今となっては場所を良く覚えていないのがちと残念だが、名古屋本線のどこかであるのは間違いない。もう一つの自己主張、音楽警笛ミュージック・ホーンを高らかに吹奏して接近して来るパノラマカーには、心底衝撃を食らったものである。更に衝撃だったのが、見た事もない展望前面。本来、運転の方がお座りの位置に、乗客の方々がいらす。子供心に「まさか・・・お客に運転させているのでは」と思ったりしたものである。実際には・・な訳ないのだが。苦笑

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