コナサン、ミンバンワ!2009=平成21年も、後一日余りを残すのみとなりました。今夜は静かな当地名古屋ですが、せめてここは平穏裡に続く2010=平成22年へのリレーを望みたい所です。
さて、しつこいのは承知の上ですが、今月は、今夏完全勇退した展望式名物電車、名古屋鉄道パノラマカーへの追想と感謝を軸に、昨今の雑感を織り交ぜながら拙日記を綴って参りました。お読みの方によっては、昨年末の拙日記「パノラマカーの視点より」の続編と捉えて下さっても結構ですし、今夏の特集「想い出の夏の風」の追記とご理解下さるのも良いかと思います。
とまれ、パノラマカーは全車他の鉄道線にての再起もなく、潔く勇退し、(文化財などとして保存される5車を除き)用途廃止解体処置と相成りました。最後の廃車は、9/15(火)の事でした。
私も時折拝見しますが、鉄道愛好者向けのサイトに「名古屋鉄道運用専門掲示板」と言うチャンネルがあります。そこの同日付に、日記風の記述がありましたので、ここにご紹介する事とします。一部、原文に補足致した事をお断りしておきます。
「2009=平成21年9/15(火) パノラマカー7011F 大江(名古屋市南区の名鉄駅)午前10:03発 名電築港(同市港区、パノラマカーを初め名鉄車両の廃車処置を行う貨物駅)行・・・さよなら」
通常の車両廃車の時と異なり、最後の「さよなら」の文言が、やはりパノラマカーへの強い惜別の想いを表している様に私には感じられます。
名電築港駅・・・丁度名古屋市の南区と港区の境に位置する名目上の貨物駅。近所の大手メーカー、M重工業の社員通勤利用が主な東名古屋港駅の東隣に位置し、拙居所よりも、車で約15分程の所です。
南区の大江駅より西へ約2km、列車は約3分で東名古屋港駅に到達。ここよりは送電されない為、線路と道路の両方を行ける、事業用DMV車(本年11/29付拙日記に画像があります)の先導にて、名電築港駅の廃車作業線へと入る次第。この作業は、主に週の前半の平日午前に行われますが、搬入日には、必ず数十名とも言われる愛好者達が、記念撮影を兼ねての別れの挨拶に訪れる様です。中には涙する方もあるやに・・・。
「こいつだけは、見送ってやりたい」(立入禁止箇所への出入りがままあるのは遺憾だが)その想いが、彼らをこの最期の地へと呼び寄せるのでありましょう。
幼少の頃より親しみ、昨年一度はその去って行く姿を見送った目よりは、その気持ちが分る気も致します。深い喪失感を今も抱く各位は多い様です。
パノラマカーの足跡・・・我が心にも、それは大きく重いものがありますね。
空前絶後と言われる前面展望は、巨視の心を形にしたと言われます。
先頭ではない中間車と言えども、大幅な視界の改善は、公正な視点の大切さを訴えている様に感じられました。
そして、乗って楽しい車両。それは「今を大切に」との強い想いが感じられるのです。これらの想い、それはやはり、生きる上での大切な事共であるのは事実ですね。それらの大切さを踏まえて設計され、生み出された夢の乗物、それこそがパノラマカーであったと、私は今信じたく思います。運びもたらしてくれた、様々な車窓の景観も、今は大切な物語であります。
今も、折々雑用などで名古屋鉄道の列車に乗る事があります。先の大戦中、防空上の理由もあって地下に移された名鉄名古屋駅のプラット・フォームに立つと、今もお馴染みの音楽警笛、ミュージック・ホーンを聴く事があり「もしかして、まだ元気でいるのでは?」との想いに駆られてしまう事があります。実際には子分衆「パノラマ・スーパー」が吹奏しているのですが。しかしまあ、その位に拙人生と深く絡んでいたのも事実です。
「さようなら、赤の風。有難う、僕らの特急」・・・パノラマカーへの感謝と惜別の言葉は、やはりこれに尽きるでしょうか。これまでの足跡への敬意と共に、やはり前を向かなければならない。これも又、同車よりの最後の伝言と受け取るべきでしょう。激動と波乱、それに混迷の今年だったが、続く来年が少しでも希望の抱ける情勢になると良いと思いますね。
今年一年、誠に有難うございました。続く来年も、又宜しくお願い致します。*(日本)*
さて、しつこいのは承知の上ですが、今月は、今夏完全勇退した展望式名物電車、名古屋鉄道パノラマカーへの追想と感謝を軸に、昨今の雑感を織り交ぜながら拙日記を綴って参りました。お読みの方によっては、昨年末の拙日記「パノラマカーの視点より」の続編と捉えて下さっても結構ですし、今夏の特集「想い出の夏の風」の追記とご理解下さるのも良いかと思います。
とまれ、パノラマカーは全車他の鉄道線にての再起もなく、潔く勇退し、(文化財などとして保存される5車を除き)用途廃止解体処置と相成りました。最後の廃車は、9/15(火)の事でした。
私も時折拝見しますが、鉄道愛好者向けのサイトに「名古屋鉄道運用専門掲示板」と言うチャンネルがあります。そこの同日付に、日記風の記述がありましたので、ここにご紹介する事とします。一部、原文に補足致した事をお断りしておきます。
「2009=平成21年9/15(火) パノラマカー7011F 大江(名古屋市南区の名鉄駅)午前10:03発 名電築港(同市港区、パノラマカーを初め名鉄車両の廃車処置を行う貨物駅)行・・・さよなら」
通常の車両廃車の時と異なり、最後の「さよなら」の文言が、やはりパノラマカーへの強い惜別の想いを表している様に私には感じられます。
名電築港駅・・・丁度名古屋市の南区と港区の境に位置する名目上の貨物駅。近所の大手メーカー、M重工業の社員通勤利用が主な東名古屋港駅の東隣に位置し、拙居所よりも、車で約15分程の所です。
南区の大江駅より西へ約2km、列車は約3分で東名古屋港駅に到達。ここよりは送電されない為、線路と道路の両方を行ける、事業用DMV車(本年11/29付拙日記に画像があります)の先導にて、名電築港駅の廃車作業線へと入る次第。この作業は、主に週の前半の平日午前に行われますが、搬入日には、必ず数十名とも言われる愛好者達が、記念撮影を兼ねての別れの挨拶に訪れる様です。中には涙する方もあるやに・・・。
「こいつだけは、見送ってやりたい」(立入禁止箇所への出入りがままあるのは遺憾だが)その想いが、彼らをこの最期の地へと呼び寄せるのでありましょう。
幼少の頃より親しみ、昨年一度はその去って行く姿を見送った目よりは、その気持ちが分る気も致します。深い喪失感を今も抱く各位は多い様です。
パノラマカーの足跡・・・我が心にも、それは大きく重いものがありますね。
空前絶後と言われる前面展望は、巨視の心を形にしたと言われます。
先頭ではない中間車と言えども、大幅な視界の改善は、公正な視点の大切さを訴えている様に感じられました。
そして、乗って楽しい車両。それは「今を大切に」との強い想いが感じられるのです。これらの想い、それはやはり、生きる上での大切な事共であるのは事実ですね。それらの大切さを踏まえて設計され、生み出された夢の乗物、それこそがパノラマカーであったと、私は今信じたく思います。運びもたらしてくれた、様々な車窓の景観も、今は大切な物語であります。
今も、折々雑用などで名古屋鉄道の列車に乗る事があります。先の大戦中、防空上の理由もあって地下に移された名鉄名古屋駅のプラット・フォームに立つと、今もお馴染みの音楽警笛、ミュージック・ホーンを聴く事があり「もしかして、まだ元気でいるのでは?」との想いに駆られてしまう事があります。実際には子分衆「パノラマ・スーパー」が吹奏しているのですが。しかしまあ、その位に拙人生と深く絡んでいたのも事実です。
「さようなら、赤の風。有難う、僕らの特急」・・・パノラマカーへの感謝と惜別の言葉は、やはりこれに尽きるでしょうか。これまでの足跡への敬意と共に、やはり前を向かなければならない。これも又、同車よりの最後の伝言と受け取るべきでしょう。激動と波乱、それに混迷の今年だったが、続く来年が少しでも希望の抱ける情勢になると良いと思いますね。
今年一年、誠に有難うございました。続く来年も、又宜しくお願い致します。*(日本)*