猫さん今晩は。お知らせはしましたが、もし行き違いでしたら申し訳ないですね。今夏の特集記事も、一回は貴方宛ての伝言形とさせて頂いております。この盆も、帰省をなさる事でしょうから、それまでにご一読下されば幸いです。
先月の下旬辺りは、当地名古屋は昼夜共気温低めの日々が続き、特に夜間は冷房不要となる程の涼しさで、C電力浜岡原子力発電所の国策的停止措置もあって、節電も必要な折から良い按配だと思っていたのですが、今月に入ってはさにあらず、再びの猛暑ぶり返しにより熱帯夜復活にて参っております。ご存じの「夜の蝉時雨」も盛大に開幕、「やっぱりダメか」の諦めの感情を以て、この深夜の合唱を聴いております。苦笑
夏、出かける事の多かった思い出の地、新潟磐越も、先般の大雨による大水害を被り、交通も寸断されて秋までは出かけられない様です。
この地へ私を引き寄せる大きな一が、前世期の末に現役復帰を果たした旧国鉄の蒸気機関車、No,C57180であるのは、あるいはご存じかもですね。
同機は、奇しくも我々の大切な知友の実家のある広島県の出身。忌わしい原爆の丁度一年後の1946=昭和21年夏、同県の三原市で落成しました。
主に日本海縦貫線にて、高速性能を生かして急行などの旅客列車の主戦として活躍、1957=同32年暮れには酷使による過労で倒れた事があり、自動車のエンジンに当たるボイラー部を更新する手術を受けています。
あるいはこの事が、再起には幸いしたのかも知れません。
1969=同44年の引退後は、新潟市近郊の小学校にて大切に保管され、休眠30年を経ての復帰には、深い感銘を受けたものでした。本当に「人が造った機械にも、生への執着があるのか」との想いに駆られたのも事実で、1999=平成11年春の復活走行を拝見した時には、心より「万歳!」を叫んでおりました。
今夏は、新潟県下の水害にて今は運休中なのがちと残念ではありますね。先の東日本大震災と共に「なぜあの地方だけが・・」とつい思ってしまいます。ただ、悪い事ばかりではありません。
実は先の震災以後、音信の途絶えていた東北の知友のお一人の無事が分り、心より「良かった!」との気持ちもありますね。
福島県下の原子力発電所事故もあって、震災復興も中々進んではいませんが、今も尚数万の方々が避難所にての生活を余儀なくされる現実より、私はこの方の生存を信じて参りました。その想いが正しかった事を喜ばしく、又、誇りを以て受け止めたく思っている所です。
大変な被災状況だった様で、「生きてるだけで丸設け」と言う言葉は、今は適切かどうかとも思いますが、とに角、生きていれば何とかなって行くのも事実の様ですし、暫くは静かに見守って参れれば、とも思います。又、あの機関車も近く、その雄姿を再び我々の前に見せてくれる事を、今は信じたいですね。
盆の頃までは大変な暑さの様ですが、お互い、健康安全留意にて。
それにしても、今夜の蝉の合唱は一際大きいですね。果たして、眠れるかな?苦笑*(地球)*
先月の下旬辺りは、当地名古屋は昼夜共気温低めの日々が続き、特に夜間は冷房不要となる程の涼しさで、C電力浜岡原子力発電所の国策的停止措置もあって、節電も必要な折から良い按配だと思っていたのですが、今月に入ってはさにあらず、再びの猛暑ぶり返しにより熱帯夜復活にて参っております。ご存じの「夜の蝉時雨」も盛大に開幕、「やっぱりダメか」の諦めの感情を以て、この深夜の合唱を聴いております。苦笑
夏、出かける事の多かった思い出の地、新潟磐越も、先般の大雨による大水害を被り、交通も寸断されて秋までは出かけられない様です。
この地へ私を引き寄せる大きな一が、前世期の末に現役復帰を果たした旧国鉄の蒸気機関車、No,C57180であるのは、あるいはご存じかもですね。
同機は、奇しくも我々の大切な知友の実家のある広島県の出身。忌わしい原爆の丁度一年後の1946=昭和21年夏、同県の三原市で落成しました。
主に日本海縦貫線にて、高速性能を生かして急行などの旅客列車の主戦として活躍、1957=同32年暮れには酷使による過労で倒れた事があり、自動車のエンジンに当たるボイラー部を更新する手術を受けています。
あるいはこの事が、再起には幸いしたのかも知れません。
1969=同44年の引退後は、新潟市近郊の小学校にて大切に保管され、休眠30年を経ての復帰には、深い感銘を受けたものでした。本当に「人が造った機械にも、生への執着があるのか」との想いに駆られたのも事実で、1999=平成11年春の復活走行を拝見した時には、心より「万歳!」を叫んでおりました。
今夏は、新潟県下の水害にて今は運休中なのがちと残念ではありますね。先の東日本大震災と共に「なぜあの地方だけが・・」とつい思ってしまいます。ただ、悪い事ばかりではありません。
実は先の震災以後、音信の途絶えていた東北の知友のお一人の無事が分り、心より「良かった!」との気持ちもありますね。
福島県下の原子力発電所事故もあって、震災復興も中々進んではいませんが、今も尚数万の方々が避難所にての生活を余儀なくされる現実より、私はこの方の生存を信じて参りました。その想いが正しかった事を喜ばしく、又、誇りを以て受け止めたく思っている所です。
大変な被災状況だった様で、「生きてるだけで丸設け」と言う言葉は、今は適切かどうかとも思いますが、とに角、生きていれば何とかなって行くのも事実の様ですし、暫くは静かに見守って参れれば、とも思います。又、あの機関車も近く、その雄姿を再び我々の前に見せてくれる事を、今は信じたいですね。
盆の頃までは大変な暑さの様ですが、お互い、健康安全留意にて。
それにしても、今夜の蝉の合唱は一際大きいですね。果たして、眠れるかな?苦笑*(地球)*