コナサン、ミンバンワ!2009=平成21年8月ももう終盤、盛んに鳴いた蝉が生を終え、あちこちにその亡骸が見られる時季となった。昨日は二十四節季の一「処暑」だったそうで、蝉の鳴き声も次第に元気がなくなって来ている様に感じる。
さて今年8月と言えば今月の表題、名古屋鉄道パノラマカーの全面退役が今月末に予定されている。既に公式には全ての運転を終え、残るは8/30(日)の最終運行、ラスト・ランを残すだけの様だ。
残念だし考えたくはないが、どの様な功労者にも、どんな名誉に浴した者達にも、終末の時は等しく訪れる。パノラマカーについても、その退潮に触れない訳には参らないだろう。
それに先立ち、パノラマカーの安全装備の補足を1つ。正面下部の副前灯両脇の油圧緩衝装置はつとに有名で、良く良く考えればこの装備、大昔の鉄道車両が良く用いていた旧型のねじ連結器の緩衝装置にヒントを得たものだった様だ。デビュー当時は極めて斬新だったパノラマカーも、必要な所はちゃんと伝統に学んでいたと言う事だ。もう一つ、全盛期の同車に不可欠だったのが、上方の主前灯の間に装備された「フロント・アイ」と呼ばれるレンズを用いた視界補助装置。死角の多い上部運転台の視界を補う為、初デビュー数年後の増備車より標準装備となり、それ以前の全先頭車にも追加されている。この事を見ても、同車の安全への配慮は特段のものだった事が分かる。
昭和末期、1984年より87年にかけ、当時の新特急車「パノラマDX」への部品譲渡と言う発展的解消の意味での最初の廃車を遂げたパノラマカーであったが、昭和より平成へと改元され暫くすると、いよいよ経年による本当の引退廃車が開始される。
1998=平成10年の初夏、名古屋鉄道経営陣により、向こう約10年でパノラマカーを完全退役させる方針が確認され、それに基づき同年より2000=同12年頃にかけ、約20車が最初の廃車となる。つまり、21世紀を迎える前に消えた仲間がいたと言う事だ。名古屋鉄道のみならず、JR各社や他の私鉄にても、ある程度経年を重ねた車両は、人気車種を中心に寿命の延伸を図って更新修繕が実施される事が多いが、その工事に漏れたグループが戦列を去った事となる。
この時期になると、パノラマカーの座席指定特急の運用はほぼ終わり、急行以下の列車には、加減速と省電力性能に優れた片側3扉の通勤向け車両が大量に登場する。時代の変化は速く、最早元特急車、パノラマカーの功労を以てしても、名古屋鉄道線の利用実態は、名鉄名古屋、金山と言った大駅にての乗降性を初め、カバーし切れなくなって行ったのである。その事が、同車の退役を促す結果となったのは想像に難くない。それを更に加速した一つが、2000=平成12年9月の東海豪雨による鉄道施設の水害被災であろう。次号にては、その事にも触れながら今世紀に入って急加速した本格引退への軌跡を追ってみたく思う。