お盆なので、ご先祖さまへお食事をお供えします。
仏料理
フランス料理じゃないですよ。
ホトケの料理です。
昔話ですが、セガレが小学生だったころ、お盆休みには夏休みの宿題みたいな「頑張りっこ挑戦」ということで、毎年のように四国歩き遍路に出かけていた。
今思えば相当無茶なチャレンジだったと思う。
3泊か4泊して四国八十八寺の札所を歩いたが、いやはやとにかく暑かった。
セガレも小さかったので歩くといっても一日20キロ程度。
真夏の炎天下、暑い中を次の札所を目指してただひたすら歩くことは辛い。
足の痛さやトイレの我慢、昼食時に食事ができるとは限らない。
とにかく苦痛に耐え、我慢することしかなかった。
でもキチンと挨拶ができるように、とだけは教えた。
セガレも四国の方たちのお接待が支えになって歩いてくれたと信じている。
そしてとてもいい思い出でもある。
そのお陰があってか一昨年、関西の大学を卒業したら故郷へUターンして就職した。
まだこの先人生どう転ぶか分からないし、まだセガレに話してないことはいっぱいある。
ボチボチですが世代交代というか、引継ぎというのかねぇ。
そんな節目も近いような気がするジジなのでした。
仏料理
フランス料理じゃないですよ。
ホトケの料理です。
昔話ですが、セガレが小学生だったころ、お盆休みには夏休みの宿題みたいな「頑張りっこ挑戦」ということで、毎年のように四国歩き遍路に出かけていた。
今思えば相当無茶なチャレンジだったと思う。
3泊か4泊して四国八十八寺の札所を歩いたが、いやはやとにかく暑かった。
セガレも小さかったので歩くといっても一日20キロ程度。
真夏の炎天下、暑い中を次の札所を目指してただひたすら歩くことは辛い。
足の痛さやトイレの我慢、昼食時に食事ができるとは限らない。
とにかく苦痛に耐え、我慢することしかなかった。
でもキチンと挨拶ができるように、とだけは教えた。
セガレも四国の方たちのお接待が支えになって歩いてくれたと信じている。
そしてとてもいい思い出でもある。
そのお陰があってか一昨年、関西の大学を卒業したら故郷へUターンして就職した。
まだこの先人生どう転ぶか分からないし、まだセガレに話してないことはいっぱいある。
ボチボチですが世代交代というか、引継ぎというのかねぇ。
そんな節目も近いような気がするジジなのでした。