はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

たぶん、今が一番学ぶことを楽しんでいる?

2022年08月03日 | はなこ的考察―良いこと探し
自己紹介文にも書いているように、今、イタリア語を勉強中です。英語に比べて、その文法の複雑さ(例外事項の多い事!)に悪戦苦闘しています。

それでも、イタリア語を学ぶことが楽しい。一度始めると、家事を忘れて時間の許す限り没頭しています(夫の忍耐?と寛容に感謝!)。ただし、残念ながら若い頃ほど記憶力は良くないし、呑み込みも遅いので、努力の割には中々上達しないかな(笑)。

もしかしたら語学学習に関しては、昔、短大で英文学を専攻した時より、没頭できているのかもしれません。

と言うのも、短大時代はバイトをして自分で学費を稼いでいたので(日本育英会奨学金にも助けられました!)、とにかく時間に余裕がありませんでした。遊ぶ時間どころか、寝る時間も十分取れないほど、勉強とバイトと家事手伝いに私は多忙を極めていました。

短大入学前は何をしていたかと言えば、公務員試験に合格するも採用はされず、高校卒業後は当時、病気療養中だった父に言われるまま地元の中小企業に就職し、月曜から土曜日の毎日8時から6時まで働いていました(それでも手取り8万円にも満たない惨めさ。1年目はボーナス無し)。その間に実家にお金を入れながら、短大1年目の学費を貯めたのです。

幸い、入試科目は高校時代に得意だった現代国語と英語と小論文のみだったので、特に受験勉強をすることなく、短大には合格しました(しかし、受験勉強"経験"は大切。特にひたすら単語や化学記号を覚える"持久力"は受験勉強でこそ鍛えられると、昔受験勉強する機会がなく、今、語彙獲得に苦労している私はつくづく思います)

当時は横浜元町を発祥とするハマトラファッション花盛りの頃で、私が通った地方の短大でも、皆JJ誌などを参考に、ハマトラファッションに身を包んでいたものです。

残念ながら、私はその華やかな女子大生活とは無縁な、ひたすら地味な学生生活でした。私の困窮を知って、今も交流が続く恩師は学費の足しになればと、研究助手としての仕事(収集データのとりまとめ等)を下さいました。

その恩師と懇意であった別の教授は、もっと勉強したいなら4年制大学に行くべきだと助言を下さり、それが今にして思えば、15年後の美大進学に繋がったのでしょう。

子ども時代は4人兄弟の長女として、家庭の事情(自宅を購入直後に父の失業、両股関節脱臼で生まれ、3年近く股関節をギブス固定だった10歳違いの妹の世話、さらに認知症になってから同居を始めた祖父の介護)をモロに引き受ける立場で(特に昔の長子はそういう人が多かったと思います)、今で言う「ヤングケアラー」であった私ですが、親に初めて反抗して自分で決めた短大進学が、自分の人生を好転させるターニングポイントになったと思っています。

それこそ身を削る思いで勉強をしたので(だから楽しむ余裕などなく)、成績はほぼオール優で、就職試験も親の意向で再び受けた公務員と首都圏に本社を置く大手企業に合格。結局、親元から離れて今度こそ自分の人生を歩みたかったので、後者を選びました(それでも、毎月の仕送り等、実家へのサポートは結婚するまで続きました)

こうした自分の経験を踏まえて言うならば、教育は人生を切り開く鍵のひとつだと思います。そして、「教育の価値」を知る者からすれば、年老いてもなお学び続けることは生きる喜びに繋がると考えます。それは「社会的に何かを成し得る為」と言ったプレッシャーからも解放されて、純粋に学ぶことを楽しめる学び。

もちろん、学びは机上の学習に限りません。何であれ、自分が興味を持ったことを追求するところに「学び」はあると思います。

せっかくの今の自分としての一度きりの人生、楽しみたいですね。

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