はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

心がけたいこと~他者には敬意を払って

2014年03月08日 | はなこ的考察―良いこと探し
できれば縁あって出会う人とは、親しくなりたいものです。しかし、残念ながら、それが難しいこともあります。

例えば私の場合、お互いのことを知らない段階で、相手を見下したような態度で接する人には、心を開けません。私の基本的な考えとして、「他者には敬意を持って接すること」が、人と接する時の最低限なマナーだと思うからです。

高飛車な態度を取る人は、瞬時に自分と相手との力関係を"自分の物差し"で測っているのでしょうか?或いは、第三者から、相手に関して余計な先入観を植え付けられた可能性があるのかもしれません。もし、後者だとしたら、あまりにも人の言うことを鵜呑みにし過ぎで、少しは自分自身の目で判断しろよ、と思う。とは言え、"人を見下す"なんて行為は、よほど相手に落ち度があるケースに限られると思いますが…

もし、相手に高飛車な態度で出られた場合、上辺では何事もないような態度をとり続ける私ですが、内心では「なぜ、この人は私と言う人間のことを碌に知りもしないのに、ここまで傲慢な態度を取るのだろう?自分のことをどれだけ優れた人間だと自惚れているのだろう」と思って警戒します。誰にだって、これまでの人生があり、自尊心はありますからね。それを踏みにじるような人に心を開けるわけがない。

もちろん、相手の態度次第では、徐々に警戒心も解けては来るでしょうが、結構時間がかかります。やっぱり初期の段階で、相手の人間性が透けて見えてしまったので、信頼するのが難しいのです。

相手を常に優劣関係で判断する人は、これまでどんな人生を歩んで来たのでしょうか?幼い頃から何事もソツなく出来て、周りからも一目を置かれ続け、挫折を知らない、自信満々の人なのでしょうか?もし、そうだとすれば、その人は自分以外の他人が、どのような人生を歩んで来て、今、自分の目の前にいるのか一顧だにしない、傲慢な、想像力の欠如した人だと思います。

或いは、このブログでも何度か言及して来ましたが、他者への攻撃性はややもすると自分の弱さを隠す為の鎧であることも多いので(攻撃は最大の防御なり?)、ことさら他者との優劣関係に拘る人は実は自分に自信がなく、他人とのちょっとした差異に一喜一憂する、意外にも強いコンプレックスの持ち主なのかもしれません。

おそらく多くの人にとって、人生には失敗が付きものだと思うのですが、その失敗こそが、自分自身を見つめ直し、本当の自分を知り、さらに自分をとりまく世界について深く考えるきっかけになるような気がします。失敗から目を逸らさずにきちんと向き合うことで、人間的な成長が促される。そう考えると1度も失敗のない、或いは、失敗から学ぼうとしない人生は、人間として視野を広げる貴重な機会を失った人生と言えるでしょうか。

私がこれまで見て来た限りでは(←ごくごく個人的な体験から得た見識ですが)、本当に聡明な人は広い視野で物事を俯瞰して見るので、例えば、いちいち自分と他人とを比較してツマラナイ優越感に浸ったりなどしないし、自分自身を冷静に客観視できるから、人間として自分の足りない部分に気付いており、誰に対しても謙虚な態度で接しているようです。仮に何か相手に対して思うことがあっても、その聡明さで、けっしてあからさまに見下した態度を取ることなく、自分の内で合理的に処理しているように見える。

私も、そんな聡明な人に、少しでも近づけたらなと思います。ゆめゆめ他人を見下したような態度で接することのないように気をつけたいです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小林カツ代さんのこと | トップ | 子供たちは未来に向かって生... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。