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IR原宿駅から神宮橋を渡り
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以前、三渓園で藤棚の下で、老夫婦が奥様手作りと思しきお弁当を食べている姿を微笑ましく見た記憶がありますが、もっと気軽に散歩に出かけたいのなら、駅にある(権兵衛等の)おにぎりのテイクアウト店でおにぎりを買うのがおススメです
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飲物は水筒に入れて自宅から持参するか、もし外で飲物を買うなら、明治神宮の場合、ペットボトルや缶飲料が買えるのが、南参道沿いにある休憩所か、宝物殿前の自動販売機だけで、しかも値段が少々高め(500mlで200円)なので、できれば駅の自販機で買った方がbetterだと思います。
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石の脇にあった解説板によれば、「さざれ石」は学名を「石灰質角礫岩」と言い、以下のような段階を経て形成されるようです。
1.石灰石が雨水で溶解する。
2.その石灰分を含んだ水が粘着力の強い乳状体となって地下で小石を集結する。
3.次第に大きくなった2が、写真のような形状で地上に出て来る。
確かにこのような形状の石はどこかで見た覚えがありますが、これがあの「君が代」で詠われている「さざれ石」とは、解説がなければ知る由もなかったでしょう。因みに「さざれ石」は漢字で書くと「細石」。読んで字の如く、細かな石が集積した石のことを指すんですね。しかし、耳で聞いただけではどんな石なのかイメージしにくい。日本語って難しい(笑)。
そこでふと思い出したことがあります。先日、NHKーBSの海外情報番組で、日本語における漢字使用に反対を唱える一橋大学名誉教授がゲストに招かれていました。その先生は、自身の長年に渡る留学生への論文指導経験から、「漢字によっては複数の読み方があり、それぞれが異なった意味を持っていることが、海外からの留学生の頭を混乱させ、日本語理解の障壁になっている。だからいっそのこと漢字使用はやめて、ひらがなとカタカナだけにした方が良い」との主張を展開していました。
確かに先生の実体験に基づく懸念も一理あるのでしょう。しかし、既に発祥の地では改変してその原形を留めていないケースもある「漢字」と、漢字から一部を抽出して日本が独自に編み出した「ひらがな」「カタカナ」が、日本語の中で併存していることこそ、まさに長い年月の間に培われた日本独特の言語文化なのだと思いますし、上に挙げた「さざれ石」の例でも明らかなように、表意文字としての漢字の優れた長所は捨てがたいものです。このブログだって、すべて「ひらがな」「カタカナ」表記になったら、却ってどんなに読みにくく、理解し辛くなることか。そもそも、それぞれの国の文化の独自性は、汎用性や効率性を理由に破棄される謂われはないはず…
ここで改めて「君が代」の歌詞を(ウィキペディアより)。「さざれ石」の実物を見たことで、歌詞の内容がより具体的にイメージできるようになったと思います。
「君が代」
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
東大文学部でも教鞭を執った、19世紀後半から20世紀前半に活躍した英国人の日本研究家、バジル・ホール・チェンバレンは、「君が代」を英訳したようです。
A thousand years of happy life be thine!
Live on, my Lord, till what are pebbles now,
By age united, to great rocks shall grow,
Whose venerable sides the moss doth line.
汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように
われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
時代を経て、あつまりて大いなる岩となり
神さびたその側面に苔が生(は)える日まで
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国歌の「君が代」については、何かの式典で耳にしたり、歌ったりする程度で、実は詳細についてあまりよく知りませんでした。「君が代」と言うタイトルが示す通り、「天皇の時代が長く続くように、栄えるように」と言う歌であることを認識している程度(厳密に言うと、たぶん以前も調べたのだろうけれど忘れてしまった
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今回改めて調べてみると、「君が代」の歌詞そのものは和歌として平安時代から存在し、「古今和歌集」を出自としていますが、西洋近代において国歌が外交儀礼上必要となったのに伴い、日本も西洋諸国との外交上必要に迫られた結果、明治13年に曲が新たにつけられ、以後国歌として扱われて来たようです。国歌として正式に定められたのは平成11年(国旗及び国歌に関する法律)と、まだ間もないのが意外と言えば意外。そこに至るまでにさまざまな議論があったことは報道で知っていますが、考えようによっては、日本人の国家意識(国としての在り方への関心)はその程度(この案件について歴代政権が先送りして来た=曖昧にして来た=優先順位が低いと見なした)のものなのかなと思いました。
国歌としての「君が代」については、特に歌詞に関して、その意味するところに、作られた時代(平安時代)と現代とでは些か齟齬があり、国歌として正式に認められた今も、その是非についてさまざまな意見があるようですが、世界の国歌を見渡しても同様の議論はあるようですね。例えばフランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」は(元々国歌として作られたものではなく、作られた時代が時代だけに)周辺諸国に敵意を剥きだしにした、戦意を高揚させるような過激な歌詞で、フランスでも「国歌として相応しいのか」度々議論が沸き起こっているのだとか。
もし国歌を新たに制定するにしても、現代は明治時代以上に国民の合意形成が難しそうで、現時点で「君が代」に優る国歌を新たに作る(作詞作曲を誰に依頼するかでも一悶着ありそう)のは、革命でも起きて日本の国家体制が大きく変わり、国民の意識も大きく変わらない限り無理なんでしょうね。現状は、誰が詠んだかさえも分からない、千年以上も前に作られた歌詞」が「長い伝統を誇る国家」を象徴する意味合いで認識されていると見るべきでしょうか?
…なんてことを、宝物殿前の広場に鎮座していた「さざれ石」を見て、考えたりしたのでした。散歩道の途中には、このように予想だにしない興味深い発見
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