さまざまなところで既に指摘されていることですが、私達は感謝する場面でつい「すみません」を口にしてしまうところがあります。
おそらく、「見ず知らずの方にお手間をとらせて申し訳ない」と言う思いもあっての「すみません」なのかもしれませんが、言われた側からしたら、別にその人が悪いことをしたわけでもなく、こちらも大した迷惑を被ってもいないのに、その人に謝られるのも変だと違和感を覚えなくもない。
さらに「人と人の関わりは偶然ではなく"縁"あってのこと」だとする「袖触り合うも多(他)生の縁」と言う言葉もあることから、その前提で私はできるだけ「ありがとうございます」と言うよう心掛けています。
さて、そもそも「ありがとう」とは、どういった経緯で生まれた言葉なのかと常々疑問にも感じていたのですが、偶然最近読んだ本の中で紹介されていたので、以下に引用します。
「ありがとう」の語源は…
「『有り難し』。つまり、あることが難しく、めったにないこと、非情に稀なこと。」で、出典は「『法句経』のなかの『人の生を享(う)くるは難く、やがて死すべきもの。今いのちあるは有り難し』と言う一節です。
意味は『私たちは、数えきれない偶然と無数の祖先の計らいによって生まれたのだから、命の尊さに感謝して精一杯生きなければならない』というものです。
要は、当たり前のことを当たり前と思わず、有り難いことだから感謝しようというのが『ありがとう』の真意です。そう考えると、『ありがとう』が、実に哲学的で奥深い言葉だということがわかります。
きれいな日本語がたくさんありますが、その言葉を聞いただけで心が温かくなり、優しい気持ちになれる言葉の代表は『ありがとう』ではないでしょうか。」
保坂隆『精神科医が教える 50歳からのお金がなくても平気な老後術』(大和文庫、2016、191-192p)
確かに「ありがとう」は含蓄に富んだ素晴らしい言葉で、人と人の間で潤滑油的な役割を果たす重要な言葉ですね。
必要な場面では惜しみなく使おうと、上記の一節を読んで改めて思いました。
おそらく、「見ず知らずの方にお手間をとらせて申し訳ない」と言う思いもあっての「すみません」なのかもしれませんが、言われた側からしたら、別にその人が悪いことをしたわけでもなく、こちらも大した迷惑を被ってもいないのに、その人に謝られるのも変だと違和感を覚えなくもない。
さらに「人と人の関わりは偶然ではなく"縁"あってのこと」だとする「袖触り合うも多(他)生の縁」と言う言葉もあることから、その前提で私はできるだけ「ありがとうございます」と言うよう心掛けています。
さて、そもそも「ありがとう」とは、どういった経緯で生まれた言葉なのかと常々疑問にも感じていたのですが、偶然最近読んだ本の中で紹介されていたので、以下に引用します。
「ありがとう」の語源は…
「『有り難し』。つまり、あることが難しく、めったにないこと、非情に稀なこと。」で、出典は「『法句経』のなかの『人の生を享(う)くるは難く、やがて死すべきもの。今いのちあるは有り難し』と言う一節です。
意味は『私たちは、数えきれない偶然と無数の祖先の計らいによって生まれたのだから、命の尊さに感謝して精一杯生きなければならない』というものです。
要は、当たり前のことを当たり前と思わず、有り難いことだから感謝しようというのが『ありがとう』の真意です。そう考えると、『ありがとう』が、実に哲学的で奥深い言葉だということがわかります。
きれいな日本語がたくさんありますが、その言葉を聞いただけで心が温かくなり、優しい気持ちになれる言葉の代表は『ありがとう』ではないでしょうか。」
保坂隆『精神科医が教える 50歳からのお金がなくても平気な老後術』(大和文庫、2016、191-192p)
確かに「ありがとう」は含蓄に富んだ素晴らしい言葉で、人と人の間で潤滑油的な役割を果たす重要な言葉ですね。
必要な場面では惜しみなく使おうと、上記の一節を読んで改めて思いました。