はなこのアンテナ@無知の知

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ロード・オブ・ウォー

2006年06月30日 | 映画(2005-06年公開)


この作品の製作・監督・脚本を全て一手に引き受けたのが、
ニュージーランド出身のアンドリュー・ニコル。
調べてみたら、この人、凄い人なのだ。
97年に自らのオリジナル脚本「ガタカ」で監督デビュー。
ジム・キャリー主演の「トゥルーマン・ショー」の
脚本も手がけ、アル・パチーノ主演の「シモーヌ」でも
製作・脚本・監督を担当。
さらにスピルバーグ監督の「ターミナル」の原案を書き、
制作総指揮まで執っている、才能豊かな人物。

その彼が次に着目したのは武器商人。
別名「死の商人」とも呼ばれる彼ら。

こういう目の付け所の鋭さには脱帽。
武器商人は例えばトム・クルーズ主演の『M:I』
(最近見た『M:I:Ⅲ』のディヴァインも死の商人ですね)
の中に登場したりと、
従来の作品で主人公の敵役として登場することはあっても、
彼らを真正面から取り上げた作品はなかったのではないか。

主役の武器商人を演じるのはニコラス・ケイジ。
彼の脱力系の、人を小馬鹿にしたような飄々とした風貌が、
今回は、主人公の謎めいた人物像にピッタリ嵌っている。
これは見応えあります。ニコル監督の処女作
『ガタカ』で好演したイーサン・ホークも友情出演。

自分の仕事がもたらす多くの死に良心の呵責を一切感じない、
いかにも体温の低そうな人物像は、その冷徹さと引き替えに、
主人公自身の普通の人間としての幸福を奪っている。
その運命を何の屈託もなく受け入れている主人公の姿に、
これまで映画の中で幾度となく描かれて来た死の商人達に
通底する一種独特のメンタリティを感じた。
おそらく世の中には通常の理解を超えた、このような人物が
少なからず存在するのだ。
「だから戦争はなくならない」と言ったら、言い過ぎか?
『M:I:Ⅲ』でもこんな台詞がある。
「ディヴァインのような人物は必要なのだ。
 たとえ彼が死んでも、また別の人間が出てくる」

ユーリー・オルロフは、ウクライナ系移民2世。
同じウクライナ移民が多く住む街で、
ある日、彼は銃撃戦に巻き込まれる。
そこで銃に恐怖心を抱くどころか、
この銃によって自分は成り上がれるかもしれない、
と考えついたのが彼の武器商人としてのスタートだった。

世界の紛争当事国の軍人や独裁者に取り入り、
法の網をかいくぐって武器の闇取引でのし上がって行く。
そのやり口は実に巧妙だ。
オルロフの仕事は間接的に虐殺に加担するもので、
倫理的にはけっして許されるものではない。
だが彼の明快な主義主張とアメリカの現実には、
必要悪としての彼の存在を認めざるを得ない説得力がある。
実はオルロフは実在の人物ではなく、
世界の紛争で暗躍する武器商人達を
一人の人間に集約した形らしい。

作品は登場人物の言葉を借りて、戦争の真実の一面を語る。
戦争・紛争で亡くなる人の9割は銃で殺害される。
 最終兵器とは核ミサイルではなく、銃なのだ」

(因みに世界で最も流通しているのはカラシニコフ)
「世界の主な武器輸出国は米・英・露・仏・中の5カ国。
 すべて国連の常任理事国」

脚本の脱稿がイラク戦争開戦一週間前という
最悪のタイミング、
政権批判に繋がりかねないメッセージ性の強い作品に、
米国内の資金が集まるはずがない。
この作品の制作費はすべて米国外の資本で賄われたという。
(2005年12月公開)

ロード・オブ・ウォー公式サイト

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