先週、7泊8日の旅程でトルコに行って来た。限られた日数で効率的に周遊したいと思い、昨年のスペインと同様、旅行社提供のフルパッケージツアーに参加した。
トルコは再訪である。中東駐在時、現地の宗教行事に因む休暇を利用して、イスタンブールに数日間滞在したことがあった。当時2才だった息子は、今回大学の部活動で忙しく(ロボコンに向けてロボットを制作中)、残念ながら同行していない。
トルコはアジアの西端に位置し、東西文明の十字路と言われたイスタンブールでヨーロッパ大陸と接している。エーゲ海沿岸部には古代ギリシャ・ローマ遺跡群、内陸部には、白い石灰棚の連なりが美しいパムッカレ温泉郷、奇岩で知られたカッパドキア等、観光資源に恵まれ、見どころが盛りだくさんな国だ。
実のところ周遊ツアーとは言え、今回は東西に横たわるトルコの西半分しか観光していない。それでも日本全土に匹敵する広さなので、正味6日間で北海道から沖縄まで観光したに等しく、まさしく駆け足の強行軍であった。けっして大げさな話ではなく、1日の大半をひたすら移動に費やし、観光できたのはたったの1時間、と言う日もあった。
周遊ツアーの何が一番辛い(面倒)かと言えば、毎夜のパッキングである。今回は連泊が一切なかったので、まさに連日連夜、移動と観光でくたくたになった身体に鞭打つように(笑)、パッキングに明け暮れた。さらに、そんな弱った身体と神経に追い打ちをかけるように、折しも旅行中トルコには、南方から熱波が襲い掛かっていた。ヒェ~(>_<)。
しかし、そんな中でもトルコ行脚を楽しんでいる自分がいた。何より目にするもの、耳にするもの、口にするもの、すべてが興味深く、私の飽くなき好奇心をそそるのだ。また、現地トルコの人々との触れあいを通じて、彼我の違いを感知したことは、好悪の感情もひっくるめて、貴重な異文化体験であったと思っている。
パムッカレ最高!
今回の旅行で最も感動した場所は、パムッカレであった。パムッカレとは「綿の城」を意味し、当地がかつて綿の産地であったことに由来すると言う。豊かな自然の恵みもあって古くから栄えた地域らしく、古代ローマ時代の都市ヒエラポリス遺跡が隣接してあるが、今回はその遺跡を横目に、一路パムッカレの石灰棚へと向かった。
小高い山の頂上から麓に向かって棚田のように連なる石灰棚。棚の窪みには温泉を湛えている。雲一つない晴天の下、空の青さを映し出すように、温泉水はその清澄な青さで、石灰の白さと美しい対照を見せていた。窪みに溜まった温泉は、刻一刻と変化する空の色を映し出すらしい。できることなら日がな1日留まって、その移ろいを見てみたかった。
私達観光客は、頂上で靴を脱ぎ、裸足になって、石灰棚を下って行く。さながら歩きながらの足湯体験だ。水の流れていない部分には砂利が溜まり、足裏を容赦なく突き刺す。片や水の流れている部分は浸食で地肌が滑らかになっており、緩やかな傾斜も相俟って足下が滑りやすくなっている。何れにしても慎重に足を運ばなければならない。遠近の景色を見遣りつつ、足下にも注意する~これが結構難しいのだ
片道20分は要しただろうか?時間の制約もあって、ツアー客の殆どはここまで来ない。しかし、来ただけのことはある。眼前に広がる石灰棚(正式名称:温泉石灰華段丘。小規模の物は鍾乳洞内でも見られる現象らしい)の連なりは、まさに自然が作り出した優美な奇観だ。長い年月の間に、流れ出る温泉水に含まれる石灰分が、山の斜面に沈殿後堆積し、棚を形成した、と言えばそれまでだが、人間の作為を越えた自然の営みのスケールの大きさには圧倒されるばかりだ。目前に無人の景色を見ながら、その雄大な眺めを独り占めしたような気分に浸った(因みに、麓から登って来る見学ルートもあるらしい)。
なお、パムッカレは、隣接するヒエラポリスと共に世界遺産に登録されている。残念なことに観光地化が進んだのに伴い、近年は温泉量が減少し、温泉水が流れなくなった場所は石灰岩が酸化してしまったのか、茶色く変色してしまっている。これ以上の環境悪化を防ぐ為、石灰棚への土足での立入を禁じたり、温泉水の取水制限を行う等して、現地の人々も保全に努めているようだ。個人的にもパムッカレは、今回のトルコの旅で最も印象深い場所だっただけに、その保全は気になるところだ。
ところで、日本からトルコ・イスタンブールへと向かう機中で、航空路の軌跡をパーソナルモニターで確認していた時に気づいたのだが、トルコとロシアのモスクワは思いの外近い。その為か、トルコの暑い夏を楽しむロシア人の姿を、リゾート地で数多く見かけた(写真はアンティーク温泉プール。水底に古代遺跡が沈んでいる。ロシア人で大賑わい。そこかしこでロシア語が飛び交い、果たしてロシア人以外いるのか?と言う印象)。
パムッカレでも、近くにある温泉プールから石灰棚の温泉に向かうロシア娘が、大胆なビキニ姿で闊歩している姿に出くわし、こちらの方がドギマギしたくらいだトルコ共和国建国の父、アタチュルク初代大統領の発案のもと政教分離が徹底し、他のイスラム国からは「享楽的」とも揶揄されるトルコだが、それでもイスラム教徒のトルコ人男性には、些か刺激が強すぎるのではないかと、老婆心ながら心配になったほどもちろん、そんなことなどサラサラ気にも留めない風の、イケイケなロシア娘達であった