面白かった。
至る所に伏線が張り巡らされていて、
一瞬たりとも気が抜けない。
冒頭のシーン。甘美なオペラの調べが流れる中、
ネット上のテニスボールの行方に目が釘付け。
ネットに当たったボールは相手側コートに落ちるのか?
それとも自分側に落ちるのか?
それ次第で勝負が決まる。固唾を飲む観客。
ところが、いやらしくもテニスボールは
ネット上で静止したまま(そこに意味があるんだけどね),
シーンが切り替わるのである。
ツアープロとして世界各地を転戦することに疲れたのか、
ロンドンの高級テニスクラブでコーチの職に就いた
アイルランド人、クリス・ウィルトン。
新居の一室で彼が手にするのは、
ドフトエフスキーの『罪と罰』。
転居早々、読書に勤しむのかと思いきや、
彼はもう一冊の本を手に取った。『罪と罰』の解説本だ。
むむむ…何か変だぞ。
『罪と罰』というセレクション自体、何やら意味ありげだ…
そうした伏線の数々が、
物語の進行に従って次第に収斂されて行く面白さ。
これはなかなかの見ものである。
(従来の作品に比べたら毒気は薄まったものの)
ウディ・アレンならではのアイロニーも効いていて、
(意外か、それとも"いかにも~らしい"か)
オチには思わずニヤリとしてしまう。
これは”成り上がり”の物語である(実際、ハイスミスの
『リプリー』を引合いに出していた評者もいた)。
アイルランドの貧しい青年が、
イギリスの上流階級にまんまと仲間入りを果たす物語。
しかし、全編を通じて流れる甘美なオペラの調べとは対照的に、
彼自身の人生はそんなに甘くない。
手に入れた地位や贅沢な暮らしと引換えに
図らずも背負うことになった、
上流社会での身の置き所のない緊張感と、
現在の生活を失うこと(転落)への不安感、
そして、愛のない結婚への罪悪感。
これが、本当に彼の望んでいた人生なのだろうか?
彼は果たして、”幸運な男”と言えるのだろうか?
(確かに強運には違いないけど…)
クリス役のジャナサン・リース・マイヤーズ。
自らの生い立ちにも重なる(?)クリス役はまさにハマリ役?
今後も彼からは目が離せないぞ!
富豪の一家に取り入って、
そこの娘クロエとの結婚を果たしたクリス。
しかし一方で魅惑的なファム・ファタール、
ノラへの欲情をどうしても抑えきれない。
ノラの魅力に絡め取られ、
次第に理性を失って行くクリスの姿が、
私には滑稽に映った。
彼の挙動にクスクス笑いが止まらない。
自分が撒いた種から育ったものは、
自ら刈り取らなければならないのだよ、クリス。
(自分自身を含めて)人間の弱さを分ってはいるつもりだけど、
クリスには同情できない自分がいる。
ノラ役のスカーレット・ヨハンソン。
セクシーな美貌もさることながら、演技が上手い!声がいい!!
しかも若干21歳ながら、そのプロ根性は見上げたもの。
私事ながら、今年の3月に約10年ぶりに
イギリス・ロンドンを訪ねたばかりである。
最初に行ったのは13年前。2週間の滞在のうち、
10日間をロンドンで、4日間をエジンバラで過ごした。
ガイドブックを頼りに、自分で旅程を立て、
ロンドンは地下鉄で方々を回り、
周辺部へは現地のバスツアーを利用し、
エジンバラではレンタカーを使って各地に足を伸ばした。
たまたま当時イギリスに駐在していた友人夫婦には、
バースとストーン・ヘンジを案内してもらった。
10年ぶりのロンドンは、あの頃と殆ど変わっていなかった。
古くからの大都市ながら、常に成長し続ける街として名高いロンドンのこと。
その変化に、私が気付かなかっただけなのかもしれない。
本作では、自分が数ヶ月前に目にしたばかりの、歩いたばかりの、
ロンドンの街並みが、余すことなく映し出されていた。
今回初めて行ったテート・モダン(昔はなかった!)も登場し、
仕事の都合で行けなかった夫には申し訳ないけど、嬉しかった。
テート・モダン(美術館)でのワン・シーン
それにしてもロンドンは映画映えする街だ。
何気ない街角、公園、建物の外観と内部、
どこを撮っても絵になる。
古さと新しさが同居した独特の風情がある。
そう言えば、灰色の空と重厚な建物に、
真っ赤なロンドン・バスもよく映える。
3月のロンドン旅行にて。
左)ロンドンの街角、右)ロンドン・バス2階からの眺め
本作は、そういうロンドンという街の魅力も
堪能できる作りになっている。
ウディ・アレンは「なぜロンドンで映画作りを?」と聞かれて、
金を出す代わりに口も出すようになった米映画界に嫌気したから、
と答えていた。
ふとプロフィールを見たら、彼ももう71歳。
後、何本映画を作れるか、と考えた時に、
やっぱり自分の好きなように作りたい、と思うのは当然だろう。
ここまで来たら、彼なりのスタイルを貫いて欲しいものである。
ウディ・アレン・インタビュー