①日本の政治には本当に幻滅している
安倍氏一強の与党自民党では、自らの保身のために安倍氏やその盟友麻生氏に「忖度」する議員ばかりで、日本国や日本国民のことを真剣に考えて職務に当たっている議員が殆ど見当たらない。
一連の失言で更迭された議員らに共通するのは、その発する言葉の軽さだ。思慮のなさだ。国民の代表としての自覚がなさ過ぎる。自分の発言が誰にどのように受け止められるかの想像力に乏しく、言葉選びの稚拙さからも知性が明らかに足りないように思う。
恥ずべきことだが、失言で更迭と言う事態がこれまで何度となく繰り返され、明らかに国会議員の資質に欠けると見られる人物が国会議員になれる日本の政治の状況には、私達国民にも責任の一端があるのだろう。
(五輪担当大臣がこうもコロコロ変わって良いのだろうか?世界はこの日本の状況をどう見ているのだろうか?以前、リオ五輪の準備の不手際を日本のマスメディアは何度も報道しては嗤っていたが、東京五輪も人のことを笑えない状況だと思う。日本はもう少ししっかりした国だと思っていたのだが、いつの間にか、やること為すこと緊張感や責任感に欠ける二流三流国に成り下がってしまったようだ。)
かと言って、野党も政府与党の政策に反対を唱えるばかりで、有効な対案を出す政策立案能力もなく、その自覚があるのか?ないのか?与党議員の粗さがしに余念がない。しかも離合集散を繰り返し、政権奪取の為に一致団結する気配もない。
内閣の不祥事続きの現在の状況は、かつて自民党が大敗を喫して万年野党が政権を奪取した時と同じ様相を呈しているが、今の野党のていたらくを見れば、今また野党に政権を任せようとは誰も思わないのではないか?。
先日の神奈川県知事選もそうだったが、今の政治の状況は
「有権者に選択肢がない!
一票を投じて、治政を託したい政治家がいない!」
と言う、有権者にとってはとんでもなく不幸な状況だ。
政治家の資質と言う意味では、そもそもどのような人間が政治家を目指すのかが気になるところだ。
昨今は県議会レベルでも、やたらに二世三世議員が多いが、「政治家」とはそれだけ「うまみ」のある職業なのだろうか?なぜなら、もし苦労の割に実入りの少ない職業なら、子どもは継ぐのを躊躇うだろうから。二世三世は親の地盤を引き継ぎ、周りの人間や利権絡みの支援者がいろいろとお膳立てをしてくれるから、一般の人間と比較して、さぞかし議員になるハードルも低いんだろうね。
逆に何の後ろ盾もない全くの新人が政治の世界に参入しようにも、選挙には何よりお金が掛かり過ぎるのが問題だ。選挙を戦うノウハウも必要だ。仮に新人が政治家を目指すのなら、宗教団体や労働組合、市民団体等の強固な組織の後ろ盾がないと難しそうだ。もちろん其のためには、そういった組織で圧倒的な人望を得る資質も必須だけれど。
二世三世議員が全く駄目とは言わないが、生まれながらにさまざまな面で恵まれた環境しか知らない彼らに、国民の大多数を占める庶民の痛みや苦しみを想像したり理解するのは難しいだろう。だから多様な背景を持った人材が政治の世界には必要だ。
このまま政府の無策が続き、国民への社会保障費の負担が増大し、大多数の国民が生活に疲弊してしまったら、政府が少子高齢化社会を見据えて目指す個々の「生産性の向上」なんて望むべくもない(その分、移民への依存度が高まりそうだ)。
こうした状況が今後も続くようなら、もうこの国から世界的な企業も文化人も生まれないと思う。
なぜなら、国家も企業も結局、人が形作るものなのだから。
私利私欲を越えて、この国をより良くしたいと言う熱い思いを持ち、其のためには自らの命を賭すことも厭わない覚悟を持った人が、政治家を志して欲しい。政治家に必要なのは、「滅私奉公」と言う言葉を体現するような究極のボランティア精神だと思う。
②最近何だか知らないけれど、よく知らない人に話しかけられる。
私自身が「話しかけやすい」オーラでも放っているのか、最近、行く先々で知らない人に話しかけられる。道端で、バス停で、バスや電車の車内で、スーパーマーケットで、病院で、特に年配者に声をかけられる。せっかくだから私も笑顔で応じて、結構会話が弾む。
大抵ひとりで行動しているから、人と会話することは脳にも心にも適度な刺激と安らぎになっているだろうから、この状況をせいぜい楽しもうと思う。
③樹木希林さんの娘、内田也哉子さんの聡明さに脱帽!
「日本アカデミー賞の授賞式」や「内田裕也氏のお別れの会」の様子を伝えるテレビ番組で、たまたま耳にした内田也哉子さんのスピーチの素晴らしさに感動した。
何より言葉の選択の的確さ(政治家は彼女の爪の垢を煎じて飲んで欲しい)、スピーチの構成の巧さに、類稀なる知性を感じる。聞き手は、冒頭のフレーズのインパクトにまず心を鷲掴みにされ、丁寧に紡がれた言葉ひとつひとつの深みに心打たれ、締めのフレーズのセンスに唸らされる。その語彙と表現の豊かさに、彼女は今までどのような本をどれだけ読んで来たのだろう、日々どのような思索を重ねて来たのだろうと感心する。
母子だけに、声音(こわね)やおっとりとした語り口も亡き母樹木希林さんを彷彿とさせる。飾り気のない率直な物言いも母親譲りのものだろうか?
内田也哉子さんは10代をニューヨーク、ジュネーブ、パリ等海外の学校で過ごし、19歳で帰国後、20歳の若さで10歳上の本木雅弘氏と結婚している。若くして母親になっている。特異な夫婦関係を持った両親のもとに生まれ、結婚後は有名タレントの妻として3人の子育てで多忙でもあっただろうに、いかにしてその知性と感性を磨いて来たのだろう?
内田也哉子さんその人を知った今、今後は彼女から目を離せない。彼女が紡ぐであろう素敵な言葉を、ひとつたりとも聞き逃したくないと思う。
どうやら樹木希林さんは、この世に素敵な置き土産を残して、この世を去られたようだ。
安倍氏一強の与党自民党では、自らの保身のために安倍氏やその盟友麻生氏に「忖度」する議員ばかりで、日本国や日本国民のことを真剣に考えて職務に当たっている議員が殆ど見当たらない。
一連の失言で更迭された議員らに共通するのは、その発する言葉の軽さだ。思慮のなさだ。国民の代表としての自覚がなさ過ぎる。自分の発言が誰にどのように受け止められるかの想像力に乏しく、言葉選びの稚拙さからも知性が明らかに足りないように思う。
恥ずべきことだが、失言で更迭と言う事態がこれまで何度となく繰り返され、明らかに国会議員の資質に欠けると見られる人物が国会議員になれる日本の政治の状況には、私達国民にも責任の一端があるのだろう。
(五輪担当大臣がこうもコロコロ変わって良いのだろうか?世界はこの日本の状況をどう見ているのだろうか?以前、リオ五輪の準備の不手際を日本のマスメディアは何度も報道しては嗤っていたが、東京五輪も人のことを笑えない状況だと思う。日本はもう少ししっかりした国だと思っていたのだが、いつの間にか、やること為すこと緊張感や責任感に欠ける二流三流国に成り下がってしまったようだ。)
かと言って、野党も政府与党の政策に反対を唱えるばかりで、有効な対案を出す政策立案能力もなく、その自覚があるのか?ないのか?与党議員の粗さがしに余念がない。しかも離合集散を繰り返し、政権奪取の為に一致団結する気配もない。
内閣の不祥事続きの現在の状況は、かつて自民党が大敗を喫して万年野党が政権を奪取した時と同じ様相を呈しているが、今の野党のていたらくを見れば、今また野党に政権を任せようとは誰も思わないのではないか?。
先日の神奈川県知事選もそうだったが、今の政治の状況は
「有権者に選択肢がない!
一票を投じて、治政を託したい政治家がいない!」
と言う、有権者にとってはとんでもなく不幸な状況だ。
政治家の資質と言う意味では、そもそもどのような人間が政治家を目指すのかが気になるところだ。
昨今は県議会レベルでも、やたらに二世三世議員が多いが、「政治家」とはそれだけ「うまみ」のある職業なのだろうか?なぜなら、もし苦労の割に実入りの少ない職業なら、子どもは継ぐのを躊躇うだろうから。二世三世は親の地盤を引き継ぎ、周りの人間や利権絡みの支援者がいろいろとお膳立てをしてくれるから、一般の人間と比較して、さぞかし議員になるハードルも低いんだろうね。
逆に何の後ろ盾もない全くの新人が政治の世界に参入しようにも、選挙には何よりお金が掛かり過ぎるのが問題だ。選挙を戦うノウハウも必要だ。仮に新人が政治家を目指すのなら、宗教団体や労働組合、市民団体等の強固な組織の後ろ盾がないと難しそうだ。もちろん其のためには、そういった組織で圧倒的な人望を得る資質も必須だけれど。
二世三世議員が全く駄目とは言わないが、生まれながらにさまざまな面で恵まれた環境しか知らない彼らに、国民の大多数を占める庶民の痛みや苦しみを想像したり理解するのは難しいだろう。だから多様な背景を持った人材が政治の世界には必要だ。
このまま政府の無策が続き、国民への社会保障費の負担が増大し、大多数の国民が生活に疲弊してしまったら、政府が少子高齢化社会を見据えて目指す個々の「生産性の向上」なんて望むべくもない(その分、移民への依存度が高まりそうだ)。
こうした状況が今後も続くようなら、もうこの国から世界的な企業も文化人も生まれないと思う。
なぜなら、国家も企業も結局、人が形作るものなのだから。
私利私欲を越えて、この国をより良くしたいと言う熱い思いを持ち、其のためには自らの命を賭すことも厭わない覚悟を持った人が、政治家を志して欲しい。政治家に必要なのは、「滅私奉公」と言う言葉を体現するような究極のボランティア精神だと思う。
②最近何だか知らないけれど、よく知らない人に話しかけられる。
私自身が「話しかけやすい」オーラでも放っているのか、最近、行く先々で知らない人に話しかけられる。道端で、バス停で、バスや電車の車内で、スーパーマーケットで、病院で、特に年配者に声をかけられる。せっかくだから私も笑顔で応じて、結構会話が弾む。
大抵ひとりで行動しているから、人と会話することは脳にも心にも適度な刺激と安らぎになっているだろうから、この状況をせいぜい楽しもうと思う。
③樹木希林さんの娘、内田也哉子さんの聡明さに脱帽!
「日本アカデミー賞の授賞式」や「内田裕也氏のお別れの会」の様子を伝えるテレビ番組で、たまたま耳にした内田也哉子さんのスピーチの素晴らしさに感動した。
何より言葉の選択の的確さ(政治家は彼女の爪の垢を煎じて飲んで欲しい)、スピーチの構成の巧さに、類稀なる知性を感じる。聞き手は、冒頭のフレーズのインパクトにまず心を鷲掴みにされ、丁寧に紡がれた言葉ひとつひとつの深みに心打たれ、締めのフレーズのセンスに唸らされる。その語彙と表現の豊かさに、彼女は今までどのような本をどれだけ読んで来たのだろう、日々どのような思索を重ねて来たのだろうと感心する。
母子だけに、声音(こわね)やおっとりとした語り口も亡き母樹木希林さんを彷彿とさせる。飾り気のない率直な物言いも母親譲りのものだろうか?
内田也哉子さんは10代をニューヨーク、ジュネーブ、パリ等海外の学校で過ごし、19歳で帰国後、20歳の若さで10歳上の本木雅弘氏と結婚している。若くして母親になっている。特異な夫婦関係を持った両親のもとに生まれ、結婚後は有名タレントの妻として3人の子育てで多忙でもあっただろうに、いかにしてその知性と感性を磨いて来たのだろう?
内田也哉子さんその人を知った今、今後は彼女から目を離せない。彼女が紡ぐであろう素敵な言葉を、ひとつたりとも聞き逃したくないと思う。
どうやら樹木希林さんは、この世に素敵な置き土産を残して、この世を去られたようだ。