今日は先週に引き続き、ボランティア先の美術館で、
小学生を対象にギャラリー・トークを行った。
以前こちらで書いたように、作品解説のような知識の伝授
というより、本物の作品を前にして、子供達と対話しながら
鑑賞するという形をとっている。
今日は公立小の5年生の子供達、50人余り。6グループに
分割して、ボランティア一人当たり10人前後の児童を担当。
殆どが美術館初体験か、それに近い。予め学校の工作の
時間に今日の前準備としての作業を行ったらしい。
しかし、本物の作品を目にするのは今日が初めて。
まずは彫刻。彫刻と絵の違いは、彫刻は立体的で360度
見られること。それではと、皆でぐるりと彫刻の周りを一周。
次に何が見えるか、ゆっくりと周りながらじっくりと観察。
彫刻作品は漁師の少年がモデルだ。それぞれが海に行った時
のことを思い出しながら、目を凝らして彫刻の細部を見る。
児童自身の経験に照らして、目の前の作品を観察することで、
気付くことは多い。知識は本や資料を読めばわかること。
作品を前にしているからこそできることは、やはり作品を
よく見ることだ。これこそが美術館体験の醍醐味なのだ。
通常1コース40~50分で、彫刻作品1点、絵画作品3点
を見る。私は絵画作品の鑑賞に入る前に、必ず常設展示の
中で最も古い作品を紹介することにしている。
数百年前の作品とは思えない鮮やかな色彩と光沢。
これは美術館で適正な温湿度管理の下展示するのみならず、
修復作業を適宜実施し、保全に努めているからである。
子供達に美術館の作品保護の役割を理解してもらう意味でも、
私としては外せない解説だ。
最初はその意味が今ひとつピンと来ない児童も、
「それではこの絵が貴方の家にあった場合、500年後は
どうなっていると思う?」と尋ねると、皆一様に
「たぶん、こんなにキレイじゃないと思う」と答える。
常々子供達の生活体験に即した想像を促すことが大事かな、
と思っている。
今日は特に、絵画作品に対して子供達の反応が大きかった。
写真で予め目にしていた作品も、実物を見てみると絵の具の
厚みで表面は盛り上がって見え、筆跡もクッキリと鮮やかだ。
「うわぁ~こんなにデコボコしてるんだ」と目を丸くして
驚いている。キリストやマリアの肖像の頬を伝う涙の描写に、
「涙の粒が盛り上がって見える。本物みたいだ!」
クールベのりんごの絵に、
「下手くそだね。これなら私にも描ける」と辛辣なコメント。
それではと、ファンタン・ラトゥールの静物画を見せると、
「わぁ~おいしそう。これは描けないや」とあっさり脱帽。
「同じ果物を描いても、画家によって描き方が違うんだね」
という私の言葉に、一同頷く。
クールベはけっして絵が下手なんかじゃない。見てごらん、
罠にかかった狐の絵を。「リアルだ…写真みたいだ」
《サン=トロペの港》ポール・シニャック(1901)
シニャックの点描画では、離れた場所から見たり、
間近に見たりと絵との距離を変えながらの観察で、
見え方の違いに感嘆の声を上げた。
「遠くから見た方が何が描かれているかわかりやすいや!」
近くで見ると、「色の粒がたくさん集まっていたんだね」
「海の色って言っても、青や水色だけじゃないんだ…」
「オレンジやピンクは建物の色が映り込んでいるんだね」
この後、どれくらい離れて見た方が一番キレイに見えるか、
それぞれのベスト・ポジションを見つけてもらった。
同じコースを実施しても、担当するグループによって、
反応はさまざま。対話が弾むグループもあれば、そうでない
グループもある。どちらが良くてどちらが悪いという問題
ではない。
絵を前にして感じたことを言葉で表現してもらうことを
ひとつの目標にしている対話型トークだが、
言葉にせずとも、作品をじっくり見ることで、それぞれの
児童の心の中で、作品との対話は成立しているはずだ。
実はそれだけで、十分美術館に来た目的は達成できている
のだと思う。
先の講演会で森村泰昌氏も言われていたように、
100人いれば100様の作品との関わり方が
あるはずなのだから。
私自身、今日はどんな子供達との出会いがあるかな、と
いつも楽しみにしている。